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くろがねのまださめやらぬ椿かな

2024.10.12 05:54

https://irocore.com/kurogane-iro/ 【色の説明】より 

鉄色(くろがねいろ)とは、鉄の焼肌の色のような青みが暗くにぶい青緑色のことです。釉薬の呉須のくすんだ青色を指すこともあります。金を「こがね」、銀を「しろがね」、銅を「あかがね」というのに対して、鉄は「くろがね」と呼ばれました。

藍染で出される色の中でも緑みの濃い青に対して適当な色がないことから広く用いられた色名で、明治中期頃から大正にかけて大流行し、番頭や手代の前掛けの色に用いられました。ちなみに鉄を関する色名は、ほかに「鉄御納戸」、「鉄紺」、「鉄鼠」、「鉄深川」などがあります。

https://saitodev.co/article/%E8%B5%A4%E3%81%84%E5%B7%9D%E3%81%A8%E9%89%84%E7%B4%B0%E8%8F%8C/ 【赤い川と鉄細菌】より

地下水を組み上げたら赤い水が出てきて、その水の上に油が浮いていた。

その水を散布していたら、スプリンクラーの先にサビっぽいものが付き始めた。

この水を引き続き使い続けても良いか?という相談があったわけで、この答えを探すために赤い水について調べなければならなくなった。

これらの問題を探るためには赤い川と鉄細菌の話から始めると良いだろう。

時々、こんな感じの赤い川を見かけることがある。

鉄が多く溶けていて、酸化鉄(赤錆)が沈殿しているから赤く見える。

このような赤い川では、

流れの少ないところではこんな感じで、油っぽいものが浮かんでいる。

しかもこれらの油っぽいものの臭いを嗅いでみても重油臭はない。

この油の原因は鉄細菌という微生物によって生成されたもので、赤い川も鉄細菌の働きによって形成される。

鉄細菌というのは、Fe2+ → Fe3+ + e- という反応の際に生成される電子(e-)を取得して生活する化学合成の無機栄養の土壌微生物の総称。

※生物は電子(e-)を欲しがっている

ちょいと光合成の話でも鳥取砂丘で花崗岩質の砂を見た 前提として、土(石)には鉄を含む鉱物はふんだんにある。これらの鉄が何らかの作用によって水に溶ける。

酸が金属を溶かす例えば、強酸に触れた時に遊離する等。

水に溶けた鉄は Fe2+ + 2OH- →Fe(OH)2 で水酸化鉄(Ⅱ)(水酸化第一鉄)になるとする。

この水酸化鉄(Ⅱ)に対して、鉄細菌は Fe(OH)2 + OH- → Fe(OH)3 + e-

このように鉄を酸化させ、その時に出てくる電子を活動のためのエネルギー源として受け取る。

発生した水酸化鉄(Ⅲ)(水酸化第二鉄)を酸化皮膜として利用する。

この膜こそが水に上に浮かぶ油っぽいものになるらしい。

酸化された鉄が沈殿することで赤い川が形成される。

堆積したものが長い年月を経ることで褐鉄鉱となる。鉄バクテリア - Wikipedia


https://tsubaki-fan.com/camellia-note/camellia-color/ 【「椿」という色】より

 桜色、紅梅色、藍色、山吹色、薔薇色・・・植物の名をつけた色の呼び名は沢山あります。そして、椿、と名付けられた色も。

 日本の代表的な的な色見本であるDICカラーガイド(DICグラフィックス株式会社)の「DIC日本の伝統色第6版」を調べたところ、椿色の名はありませんでした。

しかし日本の伝統色について調べて行くと面白いことがわかります。『日本の色辞典』(吉岡幸雄,紫紅社)の中の、「重色目(かさねいろめ)」と呼ばれる色のなかに「椿」と呼ばれる色があります。それは次のような色です。

重色目 椿のイメージ

重色目 椿のイメージ(日本の色辞典より、筆者が重ねた)

 「どちらが重色目の椿という色なの?」と思うでしょう。

 どちらか、ではないのです。この二つの色で「椿」と呼ぶのです。なぜ二つの色で一つの呼び名なのでしょう?

 実は「重色目」とは単色ではなく、二色(あるいは三色)によって成り立つ配色のことを指しています。二色がそろってはじめて「椿」という色になるのです。それは平安時代、服飾に用いられる色彩が多様さと複雑さを極め、日本人が最もデリケートで高度な色彩感覚を発揮した時代に生まれた色でした。

十二単のしくみと色の効用

 なぜ単色ではなく複数の色を以って「色」と捉えるのか。それは当時の人々の独特の服飾文化に依るところが大きいと思います。

 平安時代、公家の女性は十二単(じゅうにひとえ)のように、ほぼ同じ形の衣服を何枚も重ね着するという服装をしていました。十二単は平安時代の中期に完成した女房装束で、成人女性の正装です。宮中などの公の場所で晴れの装いとして着用されました。衣裳は「唐衣(からぎぬ)、表着(うはぎ) 、打衣(うちぎぬ)、五衣(いつつぎぬ)、単衣(ひとえ)、長袴(ながばかま)、裳(も)から構成され、髪型も大垂髪(おすべらかし)が基本です。

 このような着装形式の場合、襟、袖口、裾からわずかに見える部分の重なりによって生じる配色が美的効果を生み出します。

 一揃いの衣類は、表地と裏地を合わせて一枚とする「袷(あわせ)仕立て」と、下着的に用いる裏地のない「単(ひとえ)」が基本です。袷仕立ては動きに応じて裏地も見えるため、表地と裏地の色の調和はとても重要でした。

 衣裳に見られる配色の呼び名について補足しておくと、以下のようになります。

   ①重色目(かさねいろめ):一枚の衣裳の表と裏の染色の配色

   ②襲色目(かさねのいろめ):重色目を持った衣裳を重ね着してできる配色

 「椿」の色は、「重色目」なので、表地と裏地が揃った「袷仕立て」の配色だとわかります。

十二単説明

十二単説明(「時代衣裳の着つけ」より。説明文は筆者)

十二単の重なりの様子

重なりの様子(「時代衣裳の着つけ」より。説明文は筆者)

「椿」という色を構成する二つの色

 「椿」は花の色を表現した色です。その配色に使用される染色は、表が「蘇芳(すおう)」で裏が「赤」(別説では紅)です。

蘇芳(明礬)

蘇芳(明礬)(日本の色辞典より)

茜(椿灰)調整

茜(椿灰)調整(日本の色辞典より)

 表の「蘇芳」は、インド南部やマレー半島に自生するマメ科の樹材の芯に含まれる赤い色素を取り出したもので、染めた後に明礬(みようばん)や椿、榊の灰を触媒に発色させて出す、やや青みを帯びた赤色です。日本では得られないので古くから輸入に頼っていました。布や糸の染色はもちろん、木工品を染めるのにも用いられ、大変好まれた色です。130種ほどある色目の中でどれくらいの色に蘇芳色が使われているか数えてみたところ、表裏あわせて57色ありました。

奈良時代の服飾等差(服色の尊卑の序列)では紫に次ぐ第二位で、紅よりも高位の、高貴な色と考えられていました。

一方、裏の「赤」は、もとは赤系の色の総称でしたが、次第に太陽の色に見る黄味の鮮やかな緋色、すなわち茜色のことを指すようになりました。茜はインドや中国でももっとも古くから使われてきた染料で、日本ではアカネ科の根から得ます。蘇芳同様、明礬や椿、榊の灰を触媒に発色させます。茜染めの技法は難しいことから一度廃れましたが、八代将軍吉宗が平安後期の鎧の飾糸をもとに、染師を江戸城に招いて復活させた逸話が残っています。

高貴で力強い真冬の色、「椿」

 染織や服装、色彩文化史の専門家である長崎巌氏は、著書『平安の采配美 春夏秋冬 かさねいろ』の中で、日本の服飾の特徴をこう述べています。

①快適さを求めて四季に応じた生地、仕立てを選択する。

②美意識の反映としてそれぞれの季節に相応しい色や模様を選ぶ。

③それは日本の気候が四季を持ち、日本人が季節に伴って身の回りで生じる自然の移り変わりを敏感に感じ取っていたからである。

 それぞれの色は、着用時期が決められていたと言います。「椿」の色は、陰暦11月の五節(ごせち)から春まで、つまり冬の間という決まりです。五節(ごせち)」は、奈良時代以後、大嘗祭(だいじょうさい)・新嘗祭(にいなめさい)に行われた五節の舞を中心とする宮中行事です。(大辞泉より)

 真冬、命の営みがひそやかになる季節に、ひときわ鮮やかに赤く咲き誇る椿の花は、平安の人々の心にどれほど鮮烈に、また力強く映ったことでしょう。「蘇芳」も「赤」も共に赤系の色です。赤(あか)は太陽によって夜が明ける(アケル)の言葉に由来する、太陽の色です。その色を二つも用いて示そうとした「椿」という色は、高貴さと生命力の色であったに違いありません。