ZIPANG-9 TOKIO 2020 =滋賀県立陶芸の森 陶芸館にて 9月14日から開催= 特別展「躍動するアジア陶磁-町田市立博物館所蔵の名品から-」 時を越えて、彩りの多文化に出会う!
日本屈指の東南アジア陶磁コレクションで知られる、町田市立博物館(現在休館中*)の陶磁器やガラス工芸の優品約150点を厳選して展示します。多彩な作品を通じて、魅力に溢れたアジア工芸の世界をお楽しみいただけます。
■展覧会概要
1973年に開館した町田市立博物館(現在休館中*)は、国内最大級の東南アジア陶磁と、優れた中国陶磁コレクションを所蔵しております。本展は、そのコレクションから東南アジア陶磁器とそれに関連する中国陶磁器、また国内でも名高い中国ガラスコレクションから選りすぐりの作品、あわせて150点で紹介します。
多くの民族が盛衰を繰り返してきた東南アジア。中国とその影響のもとで、時代や地域ごとに多様な発展を遂げた東南アジア陶磁を、技法や色彩による横断的な視点から取り上げ、躍動するアジア工芸の魅力をお楽しみいただけます。
*2027年に町田市立国際工芸美術館(仮称)として開館を予定
■見どころ
(1)国内最大級の東南アジア陶磁コレクションに触れる機会!
(2)多様なアジアの文化をスタイルで紹介!
(3)巡回地の中で、中国ガラスの展示は当館のみ!
■基本情報
会期 :2024(令和6)年9月14日(土)~12月8日(日)
※月曜日休館
(9月16日・9月23日・10月14日・11月4日(月・祝)は開館し、
翌日振替休館)
会場 :滋賀県立陶芸の森 陶芸館
観覧料 :一般850円(680円)、高大生640円(510円)、中学生以下無料
※( )内は20人以上の団体料金
主催 :滋賀県立陶芸の森
協力 :町田市立博物館、京セラ株式会社、一般社団法人甲賀市国際交流協会、
公益財団法人滋賀県国際協会
後援 :滋賀県教育委員会、NHK大津放送局、甲賀市、京都新聞
企画協力:AsHI
■展覧会構成
【1章 東南アジア陶磁の黎明】
<展示件数:ベトナム5点 中国4点 タイ5点 クメール1点 ラオス1点 計16点>
10世紀まで中国の統治を受けていたベトナムでは、中国の影響を強く受けた陶磁器が発達しました。この他の東南アジアの地域では、主に釉薬を施さない土器が使われました。
本章では、のちの東南アジア陶磁の基礎となる、これら黎明期の陶磁器を紹介します。
「紅陶白象嵌瓢形瓶」タイ・ラーンナー王国(14-15世紀)
「青磁天鶏壺」中国・南朝(5世紀)
【2章 淡緑と褐色の造形】
<展示件数:クメール15点 計15点>
9世紀にカンボジアで勃興したクメールは、12世紀にインドシナ半島の大半を治める大帝国に発展し、他に類を見ない陶磁文化が栄えました。
本章では、クメールで作られた独特なスタイルを持つ陶磁器を紹介します。
「灰・黒褐釉人面瓶」クメール(11-12世紀)
「灰釉兎形壺・黒褐釉兎形壺」クメール(12-13世紀)
【3章 色の競演】
<展示件数:ベトナム22点 中国2点 計24点>
ベトナムの民族王朝である李朝と陳朝では、中国宋時代の陶磁器の影響を受けつつ、白・緑・茶などのカラフルな陶磁器が作られました。
本章では、それらに影響を与えた中国陶磁と併せて紹介します。
「白磁蓮弁文壺」ベトナム・李朝(11-12世紀)
「青白磁唐子文鉢」中国・南宋 (12-13世紀)
【4章 多彩な青磁】
<展示件数:タイ7点 クメール1点 中国9点 ベトナム4点 ミャンマー1点 計22点>
中国で作られた青磁は各国で珍重され、のちに東南アジアで窯業技術が発達すると、各地で個性的な青磁が作られるようになります。
本章では、中国および東南アジア各地で作られた青磁を一堂に並べます。
「青磁鳥形水注」タイ・スコータイ~アユタヤ朝(15世紀)
「青磁花文盤」中国・元(13-14世紀)
【5章 黒の表現】
<展示件数:タイ14点 中国6点 ベトナム4点 ミャンマー1点 計25点>
中国では3世紀から鉄顔料で絵付けをする「鉄絵」の技法が確立され、14世紀以降東南アジア地域にその表現が広がりました。
本章では、中国と東南アジア陶磁の鉄を用いた様々な黒釉の表現を紹介します。
「鉄絵魚文盤」タイ・スコータイ~アユタヤ朝(15世紀)
「鉄絵牡丹唐草文瓶」中国・遼(11-12世紀)
【6章 多彩の美】
<展示件数:中国8点 ベトナム22点 ミャンマー3点 計33点>
14世紀に中国で青花が開発され、のちにベトナムにも伝播します。また、アジア各地で緑・赤・黄など多彩な絵付けが行われます。
本章では、様々な色を用いて彩られた中国と東南アジア陶磁を紹介します。
「青花象形水注」ベトナム・黎朝(15-16世紀)
「白釉緑彩鳥文盤」ミャンマー・ペグー~タウングー朝(15-16世紀)
「青花牡丹文盤」ベトナム・黎朝(15世紀)
【番外編「新たな輝きと色彩-中国ガラス」※巡回地の中で当館のみ展示】
<展示件数:色ガラスや多彩な鼻煙壺などのガラス作品 15点>
「白地青被葡萄栗鼠文瓶」中国・清(18-20世紀)
「白地多彩猫菊蝶文鼻煙壺」中国・清(18-20世紀)
■関連行事
(1)記念講演会「旅するアジアの文化、その魅力に迫る!」【事前申込・無料】
・講師:町田市立博物館 学芸員 新井 崇之氏
・日程:令和6年11月9日(土) 14時~15時30分
・会場:滋賀県立陶芸の森 管理棟 視聴覚室
(2)関連体験講座「~ちょっとした花あそび~どうぶつ花びんをつくろう!」【事前申込・抽選制】
・講師:武 二香氏(愛知県豊田市)
・日時:令和6年9月21日(土) *午前の部 10時~12時/午後の部 13時~15時
・定員:30人(午前の部・午後の部とも各15人) 参加料:2,500円
(3)ギャラリートーク【申込不要・入場券要】
・日時:令和6年9月22日(日)、10月13日(日)、11月17日(日)
*各日程とも13時30分~(約1時間程度)
■同時開催
陶芸館ギャラリー【入場無料】
「森で生まれた東南アジアの美」
・会期 :令和6年9月14日(土)~12月8日(日)
・出展数:約13点(参加作家:6か国6~7人[予定])
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
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アーカイブ リンク記事をご覧ください。
甲賀忍者 軍神として崇められた聖徳太子への甲賀武士の信仰
油日神社 廻廊が取り付く中世の神社建築
国の史跡ともなる境内には、南北に本殿・拝殿・楼門 が一直線に並び、楼門の左右から廻かい廊ろうが延びています。廻廊が取り付く中世の神社建築は、滋賀県内でも当社以外にありません。いずれも規模が大きく意匠に優れ質も高いもので、中世の神社景観を今に伝える貴重な文化財です。
「甲賀の総社」油日神社
由来
油日神社は、南鈴鹿の霊峰油日岳の麓に鎮座し、明治時代までは「油日大明神」と称しました。
『 日本三代実録( にほんさんだいじつろく) 』によれば、平安時代の 元慶( がんぎょう)元年(877)に「油日神」が従五位下を授かっており、これ以前から存在することがわかる古社です。古くは油日岳を神体山としたとされ、山頂には今も岳神社がまつられます。
油日神社 白洲正子の著書『かくれ里』に登場する福太夫の面
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「甲賀忍者 軍神として崇められた聖徳太子への甲賀武士の信仰を伝える日本遺産『甲賀の総社』油日神社」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2325031
甲賀流忍者 甲賀五十三家筆頭とは・・・
甲賀 望月家「九曜紋」
甲賀流忍術屋敷
甲賀忍者の歴史
甲賀忍者がその存在を大きく認められたのは、何といっても長享元年(1487)、「鈎(まがり)の陣」の戦いである。
当時、幕府の命令に背いた佐々木六角氏の討伐に、足利九代将軍義尚が六角氏を追って甲賀城を攻めた。六角氏は姿を隠し、甲賀山中でのゲリラ戦となったが、足利将軍の権威をかけたこの戦いは将軍義尚が鈎の陣屋で延徳元年(1489)に死ぬまでの約3年間続き、逆に甲賀武士(甲賀忍者軍団)の活躍ぶりを全国に知らしめる結果となったのである。
(写真:甲賀流忍術屋敷望月家の祖甲賀三郎兼家を祭る社殿)
その5年後の明応元年(1492)にも、将軍職を継いだ足利義種が甲賀総攻撃を命じるが、佐々木六角氏は甲賀忍者に護られ、甲賀山中から伊勢にまで落ち延びた。このように、佐々木氏にとって、甲賀忍者との結びつきはなくてはならないものとなっていた。
ところが永禄11年(1568)、織田信長からの近江路案内役の依頼を断った佐々木氏は、信長に居城・支城をことごとく攻略されてしまう。そして天正9年(1581)、信長は安土城に4万6千の大軍を集め、全滅作戦「天正伊賀の乱」を決行したのである。こうして近江の雄、佐々木氏の時代は去っていったのだが、この時、甲賀忍者集団が積極的に佐々木氏を支援しなかったのが大きな敗因でもあった。
実はこの裏では、徳川家康が動いていた。家康は早くから忍者の実力に目を付け、永禄元年(1558)には甲賀・伊賀の忍者を合わせて270名雇い入れていたという。信長の佐々木氏攻めに甲賀忍者が動かなかったのは、佐々木氏に加担しないことを条件に、家康が甲賀攻めを回避したからだといわれている。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「日本遺産甲賀流忍者 甲賀五十三家筆頭は、平安時代に甲賀地方を治めた九曜星を家紋とする氏族」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2333938
日本遺産~忍びの里 甲賀流忍術
様々な忍者の流派
忍術の流派、甲賀流、伊賀流はよく知られているが、それだけではない。
日本全土には、四十九流派もあったと言われている。
その内訳は、北から
青森県「中川流」、山形県「羽黒流」、新潟県「上杉流」「加治流」、栃木県「福智流」「松本流」、長野県「芥川流」「青木流」「戸隠流」「伊藤流」、山梨県「甲陽流」「武田流」「松田流」「忍甲流」「忍光流」、神奈川県「北条流」、愛知県「秋葉流」「一全流」、福井県「義経流」、三重県「理極流」「辻一務流」「服部流」「滝流」「義盛流」「内川流」「滝野流」「沢流」「伊賀流」、滋賀県「甲賀流」、奈良県「飛鳥流」「秀郷流」「九州流」「蒲生流」「楠流」、和歌山県「名取流」「新楠流」「雑賀流」「根来流」「紀州流」、岡山県「備前流」、広島県「福島流」
などなど、まだ他にもあった。
それぞれの流派は、主君の為に又それぞれの地域の発展の為に活躍をしていたのだが、甲賀、伊賀ほどに存在した事すら知られていない。
忍者の活躍自体は、表街道で派手に立ち回るものではない裏稼業の様なもので、歴史上に記録として残ったり、名前が残ったりしないのが本来の姿なのである。たまたま甲賀と伊賀は、都が京都であったのと戦国の時代、天下を争った武将「信長、秀吉、家康」が全部、愛知県の出身でちょうどその中間に位置し、交通の要衝であったので、歴史上の物語に登場する場面が多く、甲賀、伊賀が脚光を浴びる事になったのである。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020日本遺産~忍びの里 伊賀・甲賀~甲賀忍者 軍神として崇められた聖徳太子
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/42083048
建築家I.M.ペイ
光こそ鍵
「日本の昔の建築家は、土地と建物そして景観を調和させる、そういったフィーリングをもっていました。もちろん、わたしは真似はしたくありません。しかし、日本人の心、文化、伝統を尊重したいと強く思いました」
「私は確信しているのです。
光こそが建築にとってその成否の鍵を握っていると」
ブリッジの奥に明かりが灯る神秘的な眺め…「MIHO MUSEUM」
(滋賀県甲賀市信楽町)
特別展「金峯山の遺宝と神仏」
平安貴族として栄華を誇った御堂関白・藤原道長。 彼は寛弘四年(1007)、自ら書写した法華経を携え平安京を出発し、 奈良県吉野の金峯山山上へ登り、蔵王権現に祈りを捧げ経筒を埋納した。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 特別展「金峯山の遺宝と神仏」12月10日(日)まで開催! 信楽【MIHO MUSEUM】
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/48497242
日野ひなまつり紀行~昔と今、街を巡る、時を巡る~
日野独特の風景である桟敷窓越しにひな人形を眺める
桟敷窓とは、写真だけ見ると、窓の内側は直ぐに座敷があるように思ってしまいますが、外塀に窓を切り庭のベランダをほぼ窓の幅で塀まで接続したような感じ(或いは中廊下を塀まで伸ばしたもの)と思ってください。通常は、祭り見物など内から外を観るために造られたものであるが、ひな祭りの時などは、家に飾られたものを外の方たちに観ていただくための窓とし活用している。
(桟敷窓が切られている塀の瓦屋根と奥の住まいの瓦屋根の間の両側に松らしき立派な木が見えるのでその部分が庭であることが分かると思います。縁側風にまた昔よく屋根の上に造られた木製の物干し台風に造られているので、祭りを観ながら飲んだり食ったりと楽しむことのできる空間である。)
近江日野商人ならではの発想に違いない。
昭和のはじめにタイムスリップしたような、どこか懐かしさを感じる日野の町並み。そんな街角や商家に、江戸時代から現代に至るまでのお雛様や創作人形などが飾られる。 華やかでほほえましい雛人形との出会い…。
ゆったりとした時間 が流れる日野のまちを散策してみてください。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「日野ひなまつり紀行~昔と今、街を巡る、時を巡る~近江日野商人のお雛様とお屋敷(桟敷窓)拝観」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3754836
近江商人 三方よし
近江商人とは、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、近江八幡・日野・五個荘から特に多く輩出しました。近江商人は、そのほとんどが江戸時代末期から明治時代の創業で、現在も商社として多くの企業が活躍しています。
三方よし
近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切でした。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」です。
取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを強調した「三方よし」の原典は、中村治兵衛宗岸の書置です。近江商人は遠く他国へ旅をして商売をしましたが、その土地で排斥されずに受け入れられ、むしろ歓迎されました。
しまつしてきばる
これは近江商人に共通な日常の心構えです。倹約につとめて無駄をはぶき、普段の生活の支出をできるだけ抑え、勤勉に働いて収入の増加をはかる生活を表現しています。
「しまつ」は、単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ることが真にモノを生かすことになるのだということであり、「きばる」は、近江地方では「おきばりやす」という挨拶につかわれているくらい日頃から親しまれた言葉です。近江商人の天性を一言で表現しています。
正直・信用
今昔にかかわらず、商人にとって何よりも大切なものは信用です。信用のもととなるのは正直です。
外村与左衛門家の「心得書」でも、正直は人の道であり、若い時に早くこのことをわきまえた者が、人の道にかなって立身できると説いています。正直は、行商から出店開設へと長い年月をかけて地元に根づいて暖簾の信用を築き、店内においては相互の信頼と和合をはかるための基でした。
陰徳善事
人に知られないように善行を施すことです。陰徳はやがては世間に知られ、陽徳に転じるのですが、近江商人は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行いました。
文化12(1818)年、中井正治右衛門は瀬田の唐橋の一手架け替えを完成しました。一千両を要した工事の指揮監督に自らあたり、後の架け替え費用を利殖するために二千両を幕府に寄付しました。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 日野・五個荘(東近江)・近江八幡 ~ 近江商人のふるさと「売り手よし・買い手よし・世間よしの『三方よし』の理念とは」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6479273
「光」と言えば・・・
安藤忠雄初期建築原図展 ― 個の自立と対話
安藤忠雄 光の教会
編集後記
私は、この記事に着手しながらふと考えた。安藤忠雄氏は建築家以前はボクサーだった筈だ。建築とボクサーの関係… ?? 皆さんも気になるのでは?
2017年に或るファッション雑誌のインタビューで安藤忠雄はこう語っていた。
ー あのリングでの、瞬間に判断して動かなくてはならないという感覚、頼れるのは自分自身のみという緊張感を、若い時に経験できたのはよかったと思っています ー
ー ボクシングも建築もそれが「闘い」であるという点では重なる部分はありますよね。ー
これで安藤氏が生んだあの世界的名建築の答えになったであろうか?・・・否!
哀しきかな…私にはさっぱりである。なおも他へ目を走らせると…
ー 日本中へ旅しました。まず印象に残ったのは、各地の伝統的な民家の風景でしたね。素朴な力強さに心動かされました ー
ー知識よりもまずは体験して、身体で”建築“を知るんだという感じでしたねー
安藤氏は奈良の東大寺大仏殿等日本の伝統的建築の世界と同時に、当時最新の近代建築を訪ね歩いたと語りました。そこで彼をして感動せしめたのは丹下 健三氏の作品、広島平和祈念資料館、香川県庁舎、国立代々木競技場、体育館など見学して「建築とは、こんなに凄いものか〜」と回想している。その中で、私なりにこれこそ氏の感性と哲学だと感じたポイントを以下にメモしてみた。
「丹下さんの建築は未来を考えると同時に、いつも歴史を踏まえています」…であった。
思うに安藤氏の設計ポリシーには土地固有の空気感が確りと伝わるのだ。
氏の作品には丹下氏とは表現は異なれど、特に宗教建築作品には人類が普遍的に希求する超次元の存在をインド哲学の五大要素 (空 風 火 水 土) から切り取り強調した表現がなされているのを感じますよね?
素人の気楽さ、生意気なことをつい口走ってしまいました。皆さんはどう思われますか?
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 文化庁国立近現代建築資料館 「安藤忠雄初期建築原図展 ― 個の自立と対話」の開催
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6393778
共生する自然
安藤忠雄 《水の教会》
1988年 北海道:星野リゾート トマム
日本人は自然に畏怖の念を抱き、崇高なものとして信仰の対象としてきました。そうした自然観はどのように日本の建築に反映されてきたのでしょうか。建築を自然の一部と捉え、自然を素材のひとつとして建築をつくる。自然との境界をデザインする。建築に見る日本の自然観は未来へと紡がれます。