【大友勇太】VOL.① 触れられた人がどこまでも自由になれるタッチのプロから聞いた「自分を知る」身体との対話とは?
「ロルフィング®」とは、アメリカで50年以上前に生まれたボディワーク。からだを「部分の集まり」ではなく、「すべてがつながり合って、変化し続ける、生きているもの」として考え、その全体のバランスを整えていく。
《触れること》は、得意ではなかった
ー大友さんのロルフィングのタッチはすごくフラットで、心地よいです。
ありがとうございます。でも、僕は元々触れることが得意なわけではないんです。
ー元々得意ではなかったんですね。
はい。1つずつ積み上げてきた感覚です。セッションの中で、クライアントの生きた身体と向き合いながら時間をかけて学んでいきました。
ーどうして「触れる」という得意ではない分野を選ばれたのですか?
出身は秋田県で、小学校から高校までは野球少年でした。大学の進学を考えた時に、憧れのプロ野球選手は無理だけど、それを支えるトレーナーとして関われたらいいなと漠然と思いました。よくある理由です。
ー野球少年だったことが身体に触れる道にすすむきっかけだった。
はい。でも、進学の時、第一志望の国立の大学一本で考えていましたが、センター試験で望んだ点数は取れませんでした。生意気にも滑り止めは考えていなかったので、慌てて2月から受験できる大学を探したら、唯一あったのが中京大学でした。
そこでトレーナーの勉強ができると思って入学したら、実際にはそんなカリキュラムはなく、中京大学は基本的に「体育の先生」を養成する大学でした。勢いだけで入ってしまったので、「やばい、どうしよう」と思っていたら、たまたまトレーナーの勉強をするサークルがあったんです。
そこから、身体の勉強を始めて、僕のトレーナー人生がスタートしました。サークル活動なので、先輩が先生役だったんです。でも、それでは足りないから、週末は夜行バスで東京や大阪に行き来して、プロ野球のトレーナーさんのセミナーや有名な治療家の方のセミナーに頻繁に行きました。
ーなるほど。何とかトレーナーの道を拓いていこうとされていたのですね。
解剖学や生理学の勉強は得意だったのですが、トレーナーは技術職なので、「手」を使います。例えば、テーピングやマッサージといった手技になると、僕よりも解剖を知らない同級生でも、足首のテーピングを早く巻けたりします。
いわゆる、手が器用な人ですよね。そこでまず、「僕は、手を使うようなものは向いていないのかも」と感じました。
―そんなイメージはないので意外です。
いろんなセミナーに行き、終了後に講師の方と握手をしていた時に気づいたのが、そのほとんどの方の手が「温かくて、ふわふわしている」ということでした。それで、サークルの同級生と試しに握手をしてみると、特別な努力しているわけではないのに、既に似たような手をしている人がいたんです。
僕の手は、小さくて細く、冷え性なので、真逆の手をしていました。「がんばってどうにかなるものじゃない気がするから、今後は手で触れるようなことは一切やめよう」と、トレーナーの勉強をし始めてから早々に決断しました。
ーえー!!ちょっとびっくりしました。思いもよらない展開というか。
はい。それで、触れなくてもいいトレーニング指導に舵を切りました。でも、また壁にぶつかるんです。トレーニングの勉強のために、同級生と一緒に身体を鍛えてみても、同じ量のトレーニングをして追い込んでいるのに、筋肉の付き方が確実に違うんです。僕は筋肉が付きにくい。
そこで、「今からこれに全力で振り切っても、勝負にならない」と感じて、また違う道を探すようになりました。
「動きを観る」ことに道を見出す
ー若い時になかなかうまくいかない経験をされているんですね。
こっちに進みたくても進めないから、あっちに行くしかないという感じでした。そこで、「これだったら僕はいける」と思ったものがありました。今で言う「ムーブメントトレーニング」と呼ばれる、「身体の使い方」や「動きのコツ」をつかんでもらうことで、元々の身体能力を発揮して、動きの効率性を向上させるというものです。
ーなぜ、「いける」と思ったのでしょうか?
それは、中京大学には世界レベルのアスリートがたくさんいるので、その動き方をひたすら観察していると、例えば、バスケ選手が「もう少しこういう風にジャンプすれば、楽にダンクできるのにな」というようなことが、あまり勉強しなくても分かったんです。
ーやっぱり観るなんですね。
「この道かもな」と思いました。これは、さっきの同級生たちと同じで、努力感がなかったんです。
ーそれは、おいくつぐらいの時ですか。
20歳頃です。その後に、山本邦子さんとの出会いがありました。アメリカのアスレティックトレーナー(NATA-ATC)の資格を持つ、動きそのものの改善をしていくヨガの指導者の方です。僕もその出会いから、どんどん動きを観れるようになっていきました。
ーヨガもされていた。すごく色々と学ばれていたんですね。
当時の僕は、セミナーで一緒に勉強している人たちに刺激を受けて、「トレーナーとして一番になりたい」という思いがあったんですよね。若い頃はその一心で突き進んでいました。それで、もっと上に行きたいと関西のトレーニング指導者で有名な方に、「弟子にしてください」とお願いをして、紹介してもらった神戸の整形外科クリニックに就職しました。
そのクリニックの院長は、オリックスのチームドクターをされていたので、一般の方以外にも、スポーツ選手がたくさん訪れる場所で、理学療法士さんや鍼灸師さん、同じトレーナーでも、ウェイトトレーニングを指導できる方もいるような環境でした。
一方、僕は独学を重ねて「動きを観る」ことに特化して勝負している感じでしたね。
ー異色。
さらに、熱さはあって、ギラギラしていたので、「なんでそのエクササイズをする必要があるんですか?」って同僚に絡んでいったり、本当にやんちゃでした。でも、3年くらい、様々な患者さんに関わらせてもらったおかげで、「動きを指導するだけで通用するほど甘くはない」と感じるようになりました。
それで、「人間の身体を理解するためには、動きだけでなく、やっぱり触れないとわからないことがありそうだ」と、ようやく振り出しに戻るんです。「ずっと避けてきたことに、向き合わないといけない時が来たのかも」と。
ロルフィングとの出会いから振り出しに戻る
ー振り出しに戻る。
そうですね。そんな時に、「ロルフィング」に出会いました。アメリカのナショナルフットボールリーグ(NFL)のプロチームで、アスレティックトレーナー(NATA-ATC)として働いていた、佐藤博紀さん(ヒロさん)という方がきっかけでした。
そのヒロさんが、「日本に完全帰国して、自分でロルフィングで開業するんだ」と教えてくれました。最初は、「何それ?」と、正直思ったのですが、不思議とロルフィングの施術は受けてみたいと思いました。
初めて、ロルフィングのセッションを受けた時の衝撃は、今でも覚えています。施術をベッドに横になって受けているだけなのに、背骨が1個ずつ動くのを感じて。「あれ?お腹を触られてるのに、背骨が動いてるぞ?」って、とても驚きました。
「これだ!」と思い、整形外科の仕事を辞めて、ロルフィングを習得するため半年後にはアメリカに行きました。
ー行動が早い!なかなかうまくいかない経験の中で、大友さんを動かしていたのは「 一番になりたい」という思いだったのでしょうか。
「どの道だったらトレーナーとして一番になれるのか」という思いに突き動かされていた感覚はありました。ただ、動きを観ることで、その人のことを理解しようと思っても、「何か届かない感覚」があり、ロルフィングを通して、もっと《人間を理解したい》というのが埋められそうな直感があったんです。
でも、これまでいろんな方と出会ってきて、「関わっている選手が活躍してほしい」とか、「治してあげたい」という思いは、実はそんなに強くないのかもなと少しずつ気づくようになりました。今になって思うのは、《その人そのもの、人間という存在自体に興味があった》ということです。
ー「治したい」じゃない。
そうそう。例えば選手が何かの大会に優勝したり、代表に選ばれたとしても、そんなにその成績自体には特別な興味はなかったんです。もちろん、よかったなと思いますが、それよりも結局《その人は、どんな人なんだろう》というところにだけ、ピントが合っている感じです。
トレーニングの際、重りという負荷を与えた時に、「この局面でこの人は逃げるのか、立ち向かうのか」という中から見えてくる、その人自体に興味がある。だから、はぎのさんと同じなんですよ。《なんで人ってこんなに違うんだろう》というところに興味があった。
ーそうですね。聞いていてよく分かります。私も結局そうです。
その過程には、フルコミットしているし、冷淡でもないんです。ただ、並走してずっと「僕が観るべきところを観ているだけ」という感じです。その結果としての成績自体は、それは、その選手のほしいものなので、僕がするべきことに集中する。
もしも、僕が最初にロルフィングを体験した際に、ヒロさんのタッチが「治す」ための触れ方だったのであれば、僕はロルフィングを学ぼうと思わなかったかもしれません。なんだか、《僕の存在そのものに触れてもらっている感覚》があったので、とても深い安心感の中で、身体に必要な変化が自然に起こったんだと思います。