【大友勇太】VOL.③ 触れられた人がどこまでも自由になれるタッチのプロから聞いた「自分を知る」身体との対話とは?
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楽しみと怖さが同時にある自分だからこその生活設計
ー先ほど「ただ触れて、そこで何が起こるかというのを観察する」とおっしゃっていました。今は、そんなふうに自分の意図がない状態で、自分を抑えられているという手応えはどのくらい持てていますか?
どうだろう。50%ぐらいの感じです。自分の気持ちよさだけでやっていたらだめだと思っていて、セッションは《楽しみと同時に、怖さでもある》んですね。この感覚は、これからもずっと消えないと思います。
やはり、あの時の女性が震えた時のことを覚えていますし、一方でずっと意図を持たないのでいいのだろうかという疑問もあって、この《中腰感》は続くんじゃないかなと思っています。でも、僕はすぐ調子に乗るから、これでいいんだろうなとも思うんです。
セッション前は怖さもあるんですが、自分では《これはいい傾向で、一生かけて長く続けられそうだ》と感じています。
ーあえて恐怖を避けたり、何とかしようとするのではなく、感じたものをそのまま受け取っているのですね。
はい、そうですね。セッションをする前には、「怖さ」はあるのですが、それも「程よい緊張感」くらいには収まっています。これが僕一人だったら、今のスタイルではロルフィングの仕事を長く続けられていないなと感じています。
安心してチャレンジしていけるのも、《奥さんや子どもがいてくれて、とてもいい環境があるからこそ続けられているのかもしれない》です。それこそ、この「家族のおかげ」という話は、今話していて気づきました。
「日々の生活が、穏やかで心地よく、滞りもなく順調に回っていること」がとても大切だと思っているので、住んでいる場所や空間、日々の関わる人、出張などもどれくらいのスケジュールでどういう場所でするのかという「細やかな選択」も、すごく大事なことのような気がします。
どうしたら、「ロルフィングを仕事として長く続けていくことができるのか」という視点で、自分の働き方や家族との暮らし方は意図的に設計しています。これも結局、自分を知らないとできないと思いますね。
ー「自分を知る」を積み重ねてこられたからこその選択ですね。
「何が本当に必要なのか」がわかってきたので、そこに集中できて、いいパフォーマンスが出せればいいなと思って生活をしています。以前は「不安、焦り」も出てきやすかったのだと思います。
それをかき消すために、「すべてに全力投球して、自分で自滅する」ような感じから、今は、「セッションをして、クライアントの方が喜んでくれればいい」というところにフォーカスがあります。
そしてそのためには、畑をしたり、子どもと自然の中で遊んだり、カフェでゆっくりとコーヒーを飲んだり、家族とおいしいごはんを食べたりすることが、「安定していいパフォーマンスをする」ことにつながっています。このような《自分のできることをするために、その準備を丁寧にする》という感覚に、少しずつ時間をかけて変容してこれたのかなと思います。
ー大事なことですよね。やっぱり感覚も必要。
「あなたには何が必要ですか?」というのは、人によって本当に様々だと思います。僕には先ほどお話したような、今の「バランス」がありますし、時間の経過で、それは多少変わっていくものもあるかと思います。その人それぞれのバランスがあって、それはすごく「感覚的」なものでもあります。
ー私は、これ!という直感ももちろんですが、違和感を見逃さないという感覚を大事にしています。
僕の講習会で伝えていることとまさに同じ内容のことを、はぎのさんがおっしゃっていて驚きました。僕がロルフィングをする際にとても大切にしているのが、《直感よりも違和感の方が精度が高い》ということなんです。直感は、どうしてもバイアスがかかってしまうので、「こうあってほしい」というのが混じってしまいますよね。
違和感は、その正体が何かはわからないんだけど、確実に《多分ここには、何かいびつなものがあるのだろうということはわかっている》というメッセージだったりします。
ーそう。ちょっとしたことだから、一回蓋をしそうになるんですよね。
はい。直感の場合は、「ここめっちゃ大事」と自分では思っているポイントでも、結局、「中身は空」ということもあり得るのですが、《違和感》に関しては、「何かが入っている精度」がとても高いと感じます。
ーそうそう。その時、人から何故そうしたのか?と理由を尋ねられても、言語にならないんです。
そうですね。多くの場合、《違和感は、自分では気づきにくい》というのも大切なポイントだと思います。だからこそ、他者が指摘してくれたり、先ほどの《動く》ことで場面が変わって気づいたり、人に《触れられる》ことで「あれ?」と認識する場合もあります。
《違和感に気づくには、他者の存在が必要》なんだとも言えますね。
身体の対話は人為を超えた全体との出会い
ー大友さんは、セッションを《身体の対話》と表現されていますが、どんな風に対話をされていますか?何をもって対話と表現されているのでしょう。
言葉で対話する時、《その人の全体が立ち上がること》で、その人の「輪郭」のようなものに触れた時に、楽しさを感じています。身体でも、《触れているのは身体の一部分だけど、同時に全体にも触れたような瞬間》が訪れることがあります。
それに出会う瞬間の「満たされた心地よい感覚」に、僕自身が触れたいからやっている感覚がありますね。その触れている全体というのは、《存在》なのか、《いのち》なのか。《アイデンティティ》、《核》、《愛》とも言い換えることができます。
ー部分から全体という、《その人そのもの》に触れる感覚になるのですね。
そうですね。外から見えた様子や肩書きなどだけで、「あの人はこうだ」とすることは、「その人を知った」ことにはならなくて、ただ知識情報が入っているだけとも言えますよね。そしてそれは、他の人と情報として共有することも可能です。
でも、その人のことを本当の意味でハッと《知る》瞬間は、自分固有のもので、必ずしも他の人にもわかってもらえるものではなかったりするんです。さらにおもしろいのは、聞かれている人自身も、「自分ってこうなんだ」と、同時に知る瞬間だったりすることです。
最初の方に関しては、《見ている人と見られている人との分離》が生じていて、見ている人が、「なんか目つきが鋭いから、怖そうな人な感じがする」と言ったとしても、見られている方からすると、「え、そんなことないのに」と、ジャッジによって両者が分けられてしまっています。
でも、「その人の全体に触れる」ような感じで知るという体験の方は、《見ている人と見られる人が、同時に一つのものを目の当たりにする》という感覚になります。
―一方的なすれ違いが起こっていない状態ですね。
はい。その瞬間に、「出会えたな」と感じます。感動したりします。そして、《身体という自然への畏怖》が芽生えるからこそ、《楽しさと怖さの同居》を感じるという、前に話したことにもつながります。僕はただそれを「観察者」として見させてもらっている感じです。
これは「タッチ」でも同じなんです。
ーずっとそのスタンスを続けておられますね。
はい。《人為と自然の間》なんです。僕は、ロルフィングの他にも、ソースポイントセラピー(SourcePoint Therapy®)というエネルギーワークも組み合わせていて、その良さは手順が決まっているところにあります。宗教儀礼などの「しつらえ」に似ているのかなと考えているんです。
「右には何を何個お供えして、左にはこれを置いて」というような「儀式のセッティング」までは、人間がやれる仕事。僕のやっていることは、神主さんに近くて、願いを叶えるわけではなく、その神事の執り行いをします。
ー「自分にできること」をする。
そうです。あとは「待つ」ことしかできません。ご祈祷をお願いした人にご縁があれば、本当に望むことが起こるでしょうし、何も起こらないかもしれない。そして、それをしてくれるのは、《神など超越したものの領域》であるという感じです。
身体という小さな自然が持つ、大きな力(自然治癒力)は、とてもパワフルで、毎回のセッションでも奇跡のような瞬間を目の当たりにしていますが、自然治癒力が働きやすい環境の手入れをすることを心がけています。
「神なんていない、すべては管理、コントロールできる」と、人為の緻密さに酔いしれるわけでもなく、「神こそすべて、人間にできることは祈りである」と、自然を盲信し過ぎるわけでもなく、《目の前にあるものをよく見て、僕にできること》をする。
ー狭間が好きなんですね。
「間」が好きですね。ロルフィングは、関係性のボディワークと言われますが、「膝」だけを見るのではなく、「膝と足首」、少し視野を広げて「下半身と上半身」、さらには「身体と心と魂と」「あなたと私」というような《ものごとの間を行き来するもの》を見つめています。
ーどちらにも、どこにでも行ける。
そうです。《ニュートラルは、真ん中に静止して動かないのではなく、どこにでも動ける自由がある》ということだから。いろいろなところに身を置きながら、いつでもどこにでも動ける自由があることは大切ですね。
ーはい。どこにでも行けると思えば人生豊かですね。
彼のタッチによって、意識は皮膚から深部に潜り、ある場所に到達すると、何かと手をつなぐ様な感覚が広がることがある。わたしという存在が浮かび上がる瞬間。それに出会えた時、神聖なものとつながれた安心感と力強さは忘れられない。絶妙な距離と感度を保ちながら、一緒に探求をしてくれる人は貴重で、それが彼のセッションの醍醐味だ。
彼のタッチはフラットだからこそ、受け手が自由になれるのだ。そのタッチに至るには、彼がもつ強い念じる力を自身で自覚する必要があった。人は自分よりも他者を動かしたい。自分の弱さや醜さを直視することは、最初は耐えがたいために、他者に意識を向ける。
そのことからも、彼が自分と向き合ってきた日々を感じざるを得ず、リスペクトしかない。また、ストイックな彼にとっての家族との暮らしが、生きる実感として存在している様は、穏やかなエネルギーに満ちていて、見ていて心地が良い。
山形にあるfestaには、訪れただけで、身体が軽やかに楽になる人がたくさんいるのだろう。兵庫や東京にも出張されているので、是非多くの方に、彼のタッチによる伴走で自分の探求をしてもらいたい。
PROFILE
大友勇太(Yuta Otomo)
Rolfing House festa
ボディーワーカー
1984年秋田県大仙市生まれ。
中京大学体育学部を卒業し、神戸須磨の藤田整形外科・スポーツクリニックでトレーナーとして2年半勤務。
2010年にロルフィングを学び始め、2011年にロルファー及び、ロルフムーブメント・プラクティショナーの認定を受ける。
2012年から神戸岡本でRolfing House festaをスタートする。
2014年には山形に引っ越し、現在は一軒家でロルフィングの施術を行いながら、東京、神戸にも出張している。
趣味はコーヒーとチャイと本。
人と話すのが好き。
《資格》
DIRI認定ロルファー™、ロルフムーブメント™・プラクティショナー
SourcePoint Therapy®認定プラクティショナー
Rolfing House festa(ロルフィングハウスフェスタ)
山形にある一軒家。「ロルフィング」と「ヨガ」のスタジオ。「からだは小さな自然である」という考えのもとに、ロルフィングとヨガで、その力を十分に引き出し、みなさんの日常がいつの日も心地よく、すこやかなものになりますように。
https://www.rolfing-festa.com/
住所:〒990-2453
山形県山形市若宮4丁目2-3
電話:090-2954-8207
E-mail info@rolfing-festa.com
時間:10:00~20:00
取材・ライター
はぎのあきこ(Akiko Hagino)
フリーインタビュアー / ウェルビーイング思想家
自分とまわりの環境とのつながりの中で、安寧を感じ幸福な状態を指すspiritual well-being思想を基軸として、「わたしたちはどう生きたいのか、どう死にたいのか」という正解のない問いを探究するため、独自のスタイルで取材・執筆をしながら、タッチケアやエネルギーワーク、ヒーリングを行うセラピストとして活動中。
保健師および看護師、教員として人の生死に触れ、「いのち」に直面してきた経験や最愛の祖母の死からの学びから自分の生き方、在り方を見つめ直すことが今の活動を始めるきっかけとなっている。「自分を知る」をテーマに生きる力を育み、体感して考える講義を得意としている。
取材や発信のテーマは、十人十色の「自分」という存在の美しさ、「いのち」がある今の喜びを伝えている。 情熱をもって「いのち」を尊重し生きている人への取材を2024年より自身のウェブサイトにて掲載スタート。
《主な講義》
2021年〜生命倫理・看護学原論の一部講義
2024年〜人間関係論担当
セルフマネジメント
メンタルヘルス
ウェルビーイング
他者とかかわり生きる
自他理解とは
倫理と道徳
生命倫理
関係性の発達理論
「聞く」をはじめる
生きるとはたらく
キャリアマネジメント など