Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

kojinkai

太宰治「正義と微笑」

2024.08.23 01:00
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記あんきしている事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。


全文は、青空文庫にて。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1577_8581.html


太宰治は大分変わり者だし、

基本的に肯定しがたい、というところも

あるのですが、この言葉はまさに

学問の根本を語っているように

思います。


私の考え方自体はいつも

太宰治が書いたこの文章、

このような思考に基づいています。


頭がよいとかどうとかは

実際には社会に出て終えば

いくらでもカバーし得ますし、

得意なところを生かせば

よいだろうと思います。


しかし、学問は人格を作る、

というのは、あながち

間違いではありません。


多くを認め、理解する広い心が

養われた先にあるものを

見たいがために、

私はこの仕事をしているのかも

しれません。