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MIHARU OSINO

でたらめなガラクタの車

2023.12.31 15:00


一八歳目前の春に、自動車教習所に通いはじめた。

わたしの誕生日は五月なので、誕生日前の四月から通えたわたしはまだ高校三年生になったばかりだった。

午後の教習のため、五限六限、ホームルームをすっぽかした。田舎特有の一時間に一本しかでない貴重な電車を見逃すわけにはいかない。

変化のない生活にちょっとした刺激が欲しかったのと、卒業や春休みなどの混雑時期に同年代の人たちと教習所でまで顔を合わせたくないこともあって、あの時期の知らない人たちばかりの教習所へ通うことが楽しみだった。


春休みも終わり、世のなかは、それぞれが、それぞれの場所で、それぞれの立ち位置で、新生活がはじまった頃である。それぞれへ散らばったあとの春が一番静かだとわたしは思う。とても寂しかったし、とても心地よかった。

教習所も三月までは賑やかだたったのだろう。そんな残像が透けて見えた春先の午後の空気は、時間の刻みかたが違かったはずだ。きっと流れる雲を見れるほどの余裕があった。うららかな世界がラップ一枚ほどの緊張感を纏っているような。

わたしたちはいつだって刺激と安心の狭間にいる。三次元という刺激のなかで、どれだけ宇宙という安心を見失わないか。わたしたちはいつだってわたしたちに試されている。


二〇二四年の現在、わたしは三二歳になった。

これまでの人生、年齢を聞かれる機会が少なかった。だから、自分がいくつなのか把握しきれていなかったし、(今もだけれど)今、西暦何年なのか、平成や令和なんてもってのほかで、よく分からなかった。

ただ最近、「おいくつですか?」と言われる機会が増え、自分の年齢を認識している。


春先の教習所にはわたしと数名しか通っておらず、受付の女性や教習の先生との距離が近かった。行けば、気さくに声をかけてもらえた。

そのなかの一人の先生、なぜかその男性をわたしは追いかけ回していた。その彼が、当時、三二歳と言っていたのを覚えている。

今でこそ最低限の常識や倫理観を身につけたつもりだけれど、当時のわたしは今よりも欠けていて、意味もなく懐いていた。性欲にも満たない薄っぺらい好奇心を恋心と勘違いしてたのか、本当なにも考えず、追いかけまわしていた。

「最近、子供が産まれたから」と聞いても、「へえ!で?」としか思っていなかった。今の若い子は、きっともっと賢い。お金だろうが愛だろうが自分の欲しいものが明確にあり、そこへの分別もできているのだろうけれど、当時のわたしにはそういった分別など備わっておらず、目先の好奇心に従って行動していた。好きでもないし、欲しいわけでもない。得することなどなにひとつないけれど、なんとなくはしゃいでいた。祭り好きでもないけれど、目の前で祭りがやっているから、「祭りって、なんか知らないけどちょっとわくわくするよね」みたいな、ふらっと立ち寄る程度のはしゃぎかただったのだと思う。

帰りの教習所の送迎バスには乗らず、わがままを言いねだり、彼個人の車で送ってもらっているときも、きっと好奇心しかなかった。今思うと、わたしの知らない父性の可能性に期待し好奇心を抱いていたのだと思う。

当時はひとつ上の大好きな彼がいたので、恋心や性欲を埋めてもらいたいわけではなかった。刺激からしか得られない栄養以外の栄養。絶対的な安心や包容を求めた結果、「理性を越えた壮大な愛をもつ男性であるかどうか」と、男性を試していたのだ。

刺激と安心。どちらかの彼がどちらも兼ね備えていたのならそれに越したことはない。ただ、二十歳そこそこの男性に求めるのは荷が重い。ましてや三十代であっても父性などあってないようなものであるし、人によっては子どもがいても心から湧いている人などいない。それは、女性の母性にも言えることである。


生物の構造上、父親や母親とは恋愛できない。

こればかりは嫌悪という生理的な反応が作用としているのだろうけれど、パートナーになる相手には幾分かの母性や父性を感じなければ成立できないほどの、絶対的エッセンスはそれらにはある。少なくとも、わたしは。

とはいっても、この安心感は「共存する」「繋がる」といった意味で必要ではありながら、そればかりに偏ってはつまらなかったりもする。少なくとも、わたしは。

社会を見回してみると、安心は既にあるけれど刺激が足りておらず外へ求めている人間と、刺激は既にあるけれど安心は足りておらず外へ求めている人間がいて、皮肉にもその二人が引き合っていることも多い。そして、二人が交わることはない。

アセクシュアルなど、精神的にも肉体的にも、性的な意味での刺激がまったく必要のない、むしろ不快な人もいる。わたしの身近にもいて夫婦の生活が成り立っているけれど、それも不思議ではない。ある意味、二人の世界にとっては、「当たり前」「常識」から外れた夫婦生活をしていること自体が刺激になっていて、そして、同時に安心のなかにいるのだろう。

わたしの人生も、刺激も安心もどちらも譲れない。だからこそより、わたしの求めているすべてが揃っていない人と軽率に関係をもってしまうと、想像以上にいろんな人を傷つけてしまうという、かなり分かりきった簡単な事実に直面した。

わたしの嫌いなアドバイスのひとつに、'依存先を増やそう' という言葉がある。嫌いな理由を述べるには話が逸れに逸れすぎてしまうから言わないけど。「(自分が他人に求めている、)他人の欠けたものを他人で埋めようとしている」この自己認識は、相手(誰か)を傷つけている事実を真正面から受け容れる覚悟である。この覚悟さえあるのなら、すべての責任を背負っているのだから口出しなどできない。けれど、意外と、他人の痛みを見て見ぬふりしたまま、自分の欲求さえ満たされればそれでいい動物性が前に出てしまう人だって多い。十代、二十代のわたしのように。


ほとんどの人間関係のもつれというのは、自分自身がなにを求めていて、なにで満たされるのか、自分のことなのに自分自身を知らないから起きる事故だ。防げるのだ。

知ろうとしたとしても、世間や社会を基準に「大切なもの」「満たされるもの」を決めてしまうと迷宮入りとなる。なぜなら、意識が大衆基準で膨大に広がるため、求めなくていいものすら必要(魅力的)に見えてしまい、この世のすべてのものを欲するようになってしまう。

自分自身がなにを求めているのか、なにで満たされるのか、それすら分からない。自分自身を見失うということは、でたらめな部品で出来たガラクタの乗り物のようなものだ。

少年少女時代は、でたらめこそなんぼ、ガラクタこそなんぼ、転んでこそなんぼ、なところがある。最初は自分自身なんて分からない。分からなくてもいい。一旦、親、周囲、社会、世間、この途方のないでたらめな世界にのまれてこそ見えてくるものだってある。

ただ大人になるにつれて、三輪車から自転車、そして車、と、自分を運ぶものが大きくなる。'でたらめ'の価値とは、「これはでたらめであった」と気づかせ、本来の自然なものへ調整させてくれるためにあるのだと思う。でたらめの本当の価値を受け取らず、でたらめのガラクタの乗り物のまま、知らず知らずに乗っていても、三輪車、自転車、車、と、ただただ事故の代償も大きくなっていくだけだ。


わたしたち人間には知性がある。事故があれば点検すればいい。つまり「知る」ということ。自分自身を知り、自分にとって正しい部品で、自分にとって正しい乗り物に乗り、自分にとって正しい道を進めば、人間関係はもつれることは少ない。もちろんないとは言い切れないけれど、事故が起きる可能性はぐっと下がる。


それこそが、わたしが十代からの恋愛で学んだことである。