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お前まだそこにゐたのか梅雨の月

2024.08.27 12:19

https://caffe.main.jp/001/?p=7163 【今月の季語(6月)梅雨の月】より

二月から四月にかけてゆっくりと桜の季語を追いました。昨年の花どきを心穏やかに過ごせなかった悔いがあって、今年は桜前線を待ち受ける心づもりでいたのです。ところが現実の桜はあんまりなスピードで通り過ぎてしまいました。このご時世では追いかけることも叶わず、残念!

次は〈月〉を待ち受けてみませんか? 単に〈月〉といえば秋の季語ですが、幸い月は四季を問わずに仰げます。春には春の、夏には夏の月が上り、それらに対応する季語があります。秋本番ほど多くはありませんが、整理しながらゆっくり追っていきましょう。

夏もすでに仲夏ですが、〈夏の月〉は三夏通じて使えます。

蛸壺やはかなき夢を夏の月     芭蕉

市中は物のにほひや夏の月     凡兆

蛸壺に入っているのは明石の蛸です。明日の命も知らず、蛸壺に一夜の夢を結んでいる、という句です。芭蕉はどういう心持ちで詠んだのでしょう。たとえば、明日は蛸をご馳走しますよ、と言われたのかもしれません。それは楽しみ、と一旦は受けるでしょうが、その蛸は今頃……と海の底へ思いを馳せたようにも思えてきます。

凡兆は芭蕉の弟子です。こちらは庶民の暮らしを見下ろす月を詠んでいます。同じ〈夏の月〉ですが、取り合わせるもの次第で色合いまで異なって感じられます。

夏の月皿の林檎の紅を失す      高浜虚子

今生にわが恋いくつ夏の月      藺草慶子

昼間はもとより、夜も灯火の下では紅色の林檎が、月の光の中では紅く見えないのです。月の光のみの空間では闇より濃い闇の色になるのでしょうか?

後の句。「わが恋いくつ」と自問していても、恋多き女とは限りません。春の月ならばふわふわした嬉しさが伴いそうなところですが、夏の月となると色彩も味わいも変わります。青春を過ぎ、朱夏を迎えた女性が、「今生」と更にこの先をも思いながら問いかけることになるのは、いかなる状況なのでしょうか。

仲夏の今だけ使える月の季語もあります。〈梅雨の月〉です。

わが庭に椎の闇あり梅雨の月    山口青邨

春の月ありしところに梅雨の月   高野素十

青邨の庭の椎の樹は、梅雨どきを迎え、鬱蒼と茂っていることでしょう。月のあるこの夜は樹の形の闇が見えるのです。といっても視覚だけの句でしょうか。このころ椎は目立たない細かい花を無数につけ、青い匂いを放ちます。嗅覚も働いているのではないでしょうか。

素十のこの句は、季重なり(季またがり、と区別して呼ぶこともあります)の解説によく引用されます。目の前には今〈梅雨の月〉が上っています。同じ位置に、ついこの前までは〈春の月〉があって、やっぱりこうして仰ぎ見ていたなあ、という意味合いです。(春の月)も〈梅雨の月〉も季語ですが、時制は仲夏に合わせて詠まれた句ですから、この句の主たる季語は〈梅雨の月〉のほうです。一句の中で過去と現在を往き来できる贅沢を味わえる、と言ってもよいかもしれません。

〈梅雨の月〉と同じところに懸かっていた〈春の月〉は、

水の地球すこしはなれて春の月   正木ゆう子〈春〉

大原や蝶の出て舞ふ朧月      丈草〈春〉

朧のイメージが強いですが、春になったばかりのころの月は、水の精のようかもしれず、さて素十の〈春の月〉はどんな月であったのでしょう。

〈夏の月〉の傍題に〈月涼し〉があります。三夏通じて使えますが、仲夏の〈梅雨の月〉と同義でないことは明らか。〈涼し〉に適った使い方をしましょう。読み取るときも同様です。

のりかへて北千里まで月涼し    黒田杏子 (正子)


https://miho.opera-noel.net/archives/4221 【第九百二夜 池内友次郎の「梅雨の月」の句】より

 昨夜、梅雨の月が満月のように見えた。昼間の雷雨によって洗われた夜空は漆黒となり、月は金色であった。だがよく見ると、向かって左の部分がまだぼんやりしている。家に戻って調べると梅雨満月は14日の夜の21時頃だという。明日だ! 最近とみに早寝早起きになっているので、寝ないで待つことができるだろうか。

 今宵は、「梅雨の月」「夏の月」の作品を見てみよう。

  梅雨雲は野に垂れ野路の月は金  池内友次郎 『蝸牛 新季寄せ』

 (つゆぐもは のにたれのじの つきはきん) いけのうち・ともじろう

 池内友次郎は長いことフランスに音楽留学した音楽家でもある、高浜虚子の次男である。高浜の姓ではないのかというと、父である虚子は池内政忠の五男であるが、虚子は母方の姓の高浜を継いでいた。家系が途絶えないようにと、昔は父方の姓を継いだり母方の姓を継いだりしていた。

 虚子の息子の池内友次郎は、今度は、父方の池内の姓を継いだことによる。

 父虚子が昭和11年2月、箱根丸で六女章子を連れて渡仏した。4月、マルセーユの港にで出迎えたのが留学中の息子の友次郎であった。久々の父と妹との日々はさぞかし安らぎの時であったに違いない。

 掲句は、フランスで詠まれた作品であろうか。

 この作品を鑑賞しようと選んだ理由は、ここ数日の夜々の犬の散歩の光景に似ていたからである。散歩道は、しばらく行くと見晴るかすほどの畑地が広がってをり、夜空には梅雨雲が白く垂れ、雲の間に、金色の月影を落しているではないか。ずっしりと重々しい黄金色の月は、まさに「月は金」であった。

  梅雨の月なましらけつつ上りけり  野村親二 『新歳時記』平井照敏編

 (つゆのつき なましらけつつ のぼりけり) のむら・しんじ

 中七下五の「なましらけつつ上りけり」の詠み方に、茨城県取手市の利根川河川敷から眺めた梅雨の月をふっと思い出した。20年前に東京から転居して取手に住むようになると、暇さえあれば、黒ラブの一代目オペラを連れて利根川の土手を上り、時には河川敷まで降りて川面に映る月を眺めていた。

 

 「なましらけ」は、調べがつかなかったが造語であろうか、「なまなましい」と「しらける」を合わせたような感じがする。湿気を含んでうすぼんやりしたような梅雨の月は、大河に上ってきそうである。

 また作者の野村親二さんも、どこの結社の方なのか調べることができなかったが、平井照敏編『新歳時記』の中で見つけた作品である。平井照敏編『新歳時記』は、他の歳時記にはない、新しい感覚の作品に出合うことがある。

 すぐに、句意が掴めない場合もあるが、しばらく頭の中に置いておきたい句が見つかることは楽しみでもある。