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薔薇の小部屋

ハプスブルクの悲劇

2024.08.29 08:50

昨日の、よみうりカルチャー横浜「西洋史を学ぶ」のテーマは、ハプスブルクの悲劇でした。

栄華を誇ったハプスブルク家を襲う死の影。

ミュージカル『エリザベート 』では、終盤の悪夢の場面です。


オーストリア帝国が、オーストリア=ハンガリー二重帝国に変貌した頃、皇帝プランツ=ヨーゼフの弟マクシミリアン大公は、兄と同等の皇帝の座を得ようとメキシコへ向かいました。

しかし、マクシミリアンを待っていたのは保守派ばかりではなく、多数の共和派もいたのです。

1868年、僅か3年余りでマクシミリアンの夢は潰えました。



マクシミリアンの死で、すっかり気力を無くした母ゾフィーは、その5年後の1872年に肺炎で死去。

最後を看取ったのはエリザベート でした。


エリザベート の従兄弟の子、バイエルン国王ルートヴィヒ2世は、1886年に崩御しますが、死の真相は未だ謎に包まれています。


オーストリア皇太子ルドルフがマイヤーリンクでマリー・ヴェッツェラと心中したのは1889年。

事件当時から暗殺説もありました。


ルートヴィヒ2世と婚約していたことのある、エリザベート の末妹ゾフィー=シャルロッテは、1897年に慈善イベントの大火災で、少女たちを先に救助させて焼死しています。


そして、皇妃エリザベート の暗殺。

1898年9月10日、ジュネーヴを発とうと船に向かう途中の出来事でした。

フランツ=ヨーゼフの悲しみは、どれほど深かったことか。


次回はウィーンの世紀末文化がテーマです。

リングシュトラーゼと、それに伴う都市開発。

そこに誕生する新しい文化。

旧態依然とした帝国が直面する新時代を辿ります。