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この道往けば act2

富山遠征第3弾 旧倶利伽羅峠 前編

2024.08.28 10:17

まだまだこするぜ倶利伽羅峠

ということで、最後に現在疑定されている旧倶利伽羅峠付近の道を見てみたいと思います。

何度も言うように1000年近く前の戦いです。

確実にこことは言えないのも無理はないのです。


しかしまずは見てみるが我がモットー。

レポスタート!

さて、前回通過した天田峠を戻ってきて、再び石川県道286号のお世話になっております。

そして戻ってきたところに見えたのがこの看板。

倶利伽羅不動寺(くりからふどうじ)

先程峠から分岐するような道がありましたが、麓から辿り着くこともできるようです。

そしてこの道こそ、本来の倶利伽羅峠道に近いとされるルート。

行ってみようじゃないか。

県道から離脱した道は片側1車線の快走路。

県境とは思えないような光景です。

これも観光地のなせる業でしょうか。

片側1車線のまま上り始めました。

ここだけ見ると国道のようですね。

歩道までついた素晴らしい規格です。

めちゃくちゃいい道ですよ。

月出峠などでも見ましたが、観光地への道は桜植えがちですねよね。

これ、道あるあるだと思うんですけど共感してくれる人いないかな。

絶対多いよね、桜。

一昔前でならいわゆる走り屋さんたちが好きそうな道だなぁと感じました。

片側1車線でワインディング、歩道もあって観客も見やすい。

車乗れる前の話ですし、僕にとって車は道を通過するための相棒って感じなので、そこまでその世界に詳しくはありませんが。

世代的に避けて通れないんでね・・・。

しかし、ただの観光路線としてはよく出来すぎているという感じもしています。

この先の目的地は本当にただの古戦場なんでしょうか。

この辺りから、そんな疑問がわいてきました。

谷を大きめの橋で越えていきます。

やはり、ただの峠への道にしてはオーバースペックなように感じます。

バブルの遺物という可能性もありますが、結構ちゃんと補修されてるんだよなぁ。

その答えは、割りすぐに現れました。

やはり集落があったのか!

それもこれは大きそうな集落だ。

それならば、観光需要と合わせてあの規模の道があるのも納得です。

倶利伽羅峠の歴史を学べる歴史資料館もあるみたいですね。

こういうエリアにはつきものですが、かなり現地に近いのは良いですね。

実際徒歩でも行けそうな距離です。

集落内に入っても結構標高差があります。

要するに坂が多いってことですが。

それだけ広い集落ということでもありますね。


この集落の名前は倶利伽羅(くりから)と言います。

峠名が先なのか、集落名が先なのか。

恐らく前者でしょうね。

歴史が違いますもん。

さて、最後の登りに入ります。

集落の中に峠があるという結構珍しいパターンと言えます。

永谷坂峠五輪峠などで経験はありますが、あまり多くはありません。

旧倶利伽羅峠、着。

現在の峠である倶利伽羅トンネルより、その旧道にあたる天田峠より南に位置するこの峠。

実際の位置はこのようになっています。

ただし、実際古代の峠道がここだったかと言えばそういうわけでもありません。

実際この位置から真北にある倶利伽羅不動寺内に「古代倶利伽羅峠道」という堀切の峠道があります。

今回は寄れませんでしたが、次は足を運びたい場所ですね。

峠周辺はこんな感じの景色です。

峠付近に来て道が突然狭くなりました。

逆に雰囲気は良くなりましたが。

そしてもう一つよくなったものがあります。

絶景なり!

石川と富山の県境の山々。

まさにこの景色の中で倶利伽羅峠の戦いは繰り広げられたのでしょう。

この辺りは200m前後の低山が広がっている戦にはうってつけのエリア。

高低差のある森という感じでしょうか。

見た目は峠っぽくありませんが、峠にあるべきものは完璧にそろっているこの峠。

だからこそここを峠と呼びたくなるんですよね。

一つずつ見ていきましょう。

峠といえばまずはお地蔵様。

由緒正しき六地蔵ですね。

峠でこの規模のものを見るのは関峠くらいか。

あそこも国境の峠として機能してきました。

この位置の重要性が推し量れます。

峠の脇にはこんな立派な仏像が。

これは仏様というよりは、かつての僧を象ったものと見受けますが、お名前がわかりませんでした。

大切にされていることはよくわかります。

不動寺関係でしょうかね?

そしてここから道は、古戦場としての核心部に入ります!

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