つまみ花時計
個人で活動する直前の頃。どんなつまみ細工があったらいいか?と友人に聞くと、花の形の時計はどうか?と。花の上で針が回るような形の。
それをそのままに作ったのが私のつまみ細工の時計。長らく名前に困ってたけど、今日「つまみ花時計」とした。
高校時代に吹奏楽部で演奏した曲名「花時計」を覚えていてよかった。大人になってから香りで時間が分かると知った。(そんなハーブの庭にしてみたいと思って15年以上たったが、庭は雑草の王国のままだ。)
2024年8月29日、昨日上記の内容をあちこち投稿すると、香りで時間が分かるというのはお香みたいなもの?という質問があったので追記。
ハーブの本に植物それぞれで香る時間が違うため、香りで時間がわかると書いてあった。
とっさに冬や夏は窓を閉めているので、いくら素晴らしいハーブガーデンを作っても時間は香らないないだろうなと残念に思ったけど、いい時間の感じ方だろうかと思った。まさに花時計。高校時代、吹奏楽部で配られた「花時計」という楽曲にも同じような説明があり、香りが漂う、香りで時間を知るようなイメージを膨らませて演奏したことを、なぜかことあるごとに思い出していた。曲はほんの少しのリズムしか思い出せないけど。
今、もう一度探してみようと検索したら、見つかった。ネットが普及してからなんどか検索したけど、今のいままで見つからなかったのに。30年ぶりに聞くことができた。たぶん、ぴったり30年ぶりに聞いている。
花時計 作曲:森田一浩2024年8月31日 追記
「つまみ花時計」というネーミングが生まれた記念すべき私の時計について、師匠が自慢してくれた。「君の発想にはめっちゃ期待しておる。どこにもないものをどんどん産んじゃって〜!」こんな嬉しい評価はない!!
友人にどんなつまみ細工があったら面白いだろうか?と聞いた頃、私はデザインを真似ることとパクることの違いが理解できていなかった。やったらいけないこと、自分のデザインができないレベルだということ、作ったものに胸が張れないもの、という認識はあるものの、そもそもどれも布を何回か折ったものを花弁に見立てて作ったもので、言うほど違いがあるだろうか?という疑問が拭えなかった。パクられた、デザイン盗用だということに、欲張りというか傲慢というか、製作する人達が切磋琢磨する環境を阻害するものにならないのか?という感覚もあった。
つまり、あなたが主張するそのデザインとやらも今まで見てきたものから生まれたのに?とか、言うほど他と違いある?という感覚。それを自分に向けて思われたら抗えない!耐えられない!という恐怖心。私は最初から〇〇と言えばCHROMA×615のデザイン、元祖は彼女だとわかるような作品を作りたかった。そういう部分ではものすごく目立ちたがり屋だから、そういう作品を創ることができれば胸が張れると強く思っていたけど、その思いの中にはパクったパクられたというあれこれへの巻き込まれ防止という思いもあった。
今はどう感じるか?というと、やはり見てきたものの中から生み出すという点においては参考や真似しか存在していないと思う。つまみ花時計で言えば、友人の一言、基本的なつまみ細工の花の形、花時計という楽曲(思い出)、香りで時間がわかること=花時計(本の知識)の4つが見てきたもの。で、自分のものを生み出すという行為というのは、作るのは楽しいと思えない作業を乗り越え、創作の快感も味わい、そうして創ることができたという最低限の努力をしたものではないかと思っている。デザインの良し悪しはさらに別の話。で、デザイン流用、盗用、パクるということは、そいうした最低限の努力は無しで、結果の上澄みを使って作るの楽しいね!だけということ。敬意があれば趣味とか練習とか模写と言えるもの。
もうこれ以上いいもの創れないと思う。でも結局いつかはまたもうこれ以上いいもの創れない!と思う。そうやってずっとずーっと私のオリジナルを創り続けたい。続けていくことで、もっと私のオリジナリティ、色、らしさを高く濃くしたい。まずは師匠が一瞬でも言葉に詰まるほどのものを目指してみようと思う。