凍った時の中に
2024.09.10 10:00
ここ数日ベランダで騒がしく鳴いていた蝉が消えた。
平日の昼間、テレビを見ていてふと気がついた。
少なくとも番組開始から約三十分、その声を聴いていない。
発情した蝉のベサメ・ムーチョは途絶え、窓からは涼しい風が吹いている。
蝉は死んだのか、それとも別の場所へ移動したのか。
どちらでもいいが、それでも気になるのは、
その一般名詞が自らのあだ名でもあるからだ。
甚だ遺憾に思う。
蝉の生涯が、蝉というあだ名を持つ人間にも当てはまるとは考えていない。
それでも夏をようやく終えたかというこの季節に退場されては、
我が身の人生の前途に広がる苦難と絶望、
あげくには夭折にすら思い至り、暗澹たる気持ちになる。
念のためベランダを探してみたが彼の姿は見つからない。
鳴きすぎて死んでしまったのだろうか、とも考えた。
考えてそれはとても不毛な人生であるように思えた。
長い時間を土の中で過ごし、さあ交尾でもするかという段になり、
その相手を求め叫び続け、頑張りすぎたあげく、力尽きて死ぬ。
目眩がするほど不毛な人生だ。
「ここはバナナで釘を打つのに適した温度です」
そんな適当に思いついた自作の歌を口ずさみながら、
冷凍庫からアイスを取り出しスプーンでぐりぐりと穿り出す。
口に運び、その甘みに思わず眉を顰めた。