死生観
代替医療、自然治癒力医療講演会情報を共有する会 竹元 久了 さん投稿記事
🔵最も根源的な「再生・循環」という観念
「生命は再生する」「生命は自然の中を循環していく」という、縄文人の「再生・循環」の観念は、人類史から見ても最も根源的な観念の一つ。
●死を遠ざけなかった縄文人の生き方
現在、私たちが持っている死のイメージと、縄文の人々のそれとは、まったく違うものだったと、山田さんは言います。
「現代では死は忌み嫌われているイメージがありますが、縄文人にとって死はもっと身近でした。この時代は、集落の中央にある広場にお墓を作ったり、家の中に埋葬したりすることが多くありました。広場や家に遺体をしばらく置いていた例も見られます。つまり、彼らは死や死者を恐れていなかったのです」。
その根底にあるのが、「生命は再生する」「生命は自然の中を循環していく」という、「再生・循環」の観念です。
「現代では、死は自分がこの世からいなくなる"消滅"や"無"のイメージを持つ人が多いですが、縄文人にとって、死は『自然に還ってもう一度生まれる』ための出来事でした」。
この時代の「生」の象徴といえば、生命を生み出す出産に関するものが多く挙げられます。
「土器や土偶がたくさん作られましたが、出産に関するデザインが多いんですね。土偶はおなかや腰のあたりが膨らんだだものがよく見られますが、これは妊婦をかたどったものだといわれています。
また、土器には、赤ちゃんの顔のようなものが装飾されていたり、出産時の光景を表したようなデザインもあります。土器の中に赤ちゃんや、時には成人の遺骨を入れる『土器棺墓(どきかんぼ)』という埋葬方法がありますが、これは、土器を母体に見立て、もう一度生まれ変わることを願ったといわれているんですよ。お墓の副葬品として、遺体と一緒に土偶が埋められていた例もあります」。
●全てに宿る魂は自然の中で生き続ける
縄文時代には、生物だけでなく、この世に存在する全てのものに魂(アニマ)が宿るという思想「アニミズム」がありました。縄文の人々は、常に周辺にさまざまな生命や魂を感じながら、生活していたことになります。こんな考えから「土器棺墓(どきかんぼ)」には、動物の頭や木の実などが入っていたこともあるそうです。
そんな生活において、人の死もまた、自然界に起こり得る当たり前のことの一つでした。「縄文の人々にとっても死への不安や恐怖は当然あったと思います。でも、人は死んだらいなくなるのではなく、風となり、鳥となり、星となり、自然に還って存在し続け、やがて再生する。そう考えることは、彼らにとって『心の処方箋』として機能していたと考えています」。
●再生・循環を思えばもっと豊かな人生に
縄文の人々は、私たちと同じように見たり、感じたりできるホモ・サピエンス(現生人類)でした。山田さんいわく、日本人の精神や考え方などの基盤がここにあるのだそうです。最近は、自分の遺骨を山や海に散骨する「自然葬」を希望する人も増えていますが、これも「生命は自然に還って再生する」という縄文時代の思想が、いまも私たちの心の中に脈々と受け継がれているからでは、と山田さん。
「縄文時代の死生観は、人類史から見ても最も根源的な観念の一つです。現代は科学文明が発達したにもかかわらず、経済や環境、家庭や仕事などのさまざまな問題があり、死に対する恐怖や不安を持つ人も多くいます。閉塞感を強く抱えるいまだからこそ、その観念が人々の『心の処方箋』として求められているのでしょう。自分は消滅するのではなく、自然のあらゆるところに存在して生き続ける、と思うことができれば、死の迎え方やクオリティ・オブ・デス(死の質)も、とても豊かなものになるのではないでしょうか」。
匿名
Facebook山地 弘純さン投稿記事
今回、姫路の塩田温泉夢乃井で行われた檀信徒研修会に行きました。今回の講師の武内先生は、実は僕が大学時代に専攻したゼミの恩師です。もう20年以上前になるんですね。
当時の授業の印象は実は薄いのですが、一緒に行った一泊二日のゼミ旅行が楽しかったな〜とか、ゼミ対抗ソフトボール大会は燃えたな〜とか、そんな思い出が蘇ります。
そういえば、ゼミ旅行の泊まりでの懇親会では、みんな酔っ払っていて、先生も酔っ払っていて、先生がボケると、それを頭をはたいて突っ込む、みたいな楽しい無礼講な時間もあったな〜とも思い出しました。
そんな話を先生と懐かしく振り返る時間がとれて、とても嬉しかったです。
ゼミを卒業し、そのうちに、先生はいつのまにか空海研究の第一人者と呼ばれるようになり、弘法大師空海の漫画に登場したり、研究論文が載っているのを、拝見させていただきました。
大学時代の授業ではわからなかった言葉の読み解きの面白さを多々感じるようにもなりました。そして今日の講義でも弘法大師の言葉から読み解く死生観を、大変真っ直ぐに語ってくださいました。
「帰真」、つまり真実の場所へと帰る。
「本覚」、つまり本より覚っている。
ここがポイントであると。
往生のように、行くのではない。帰るのである。何もないところから覚りに向かうのではない。本より覚っているものを思い出すのである。このスタンスが、我らが真言宗としての世界の見方なのですね。魂という存在の肯定もありました。
真言宗の僧侶でも、いろんな解釈がなされています。
その中で武内説は、スピリチュアルとの関わりや、今までの体験などで培った僕のイメージする世界観が、大丈夫ぴったりとフィットしてると太鼓判を押してもらえたような気がして、とても嬉しかったです。宇宙の原子やニュートリノのワードもでました。
「魂は天に向かいに魄は地に向かう」の言葉も説明されていたので、僕は精神と物質の温度、周波的な推測を先生に尋ねてみました。憶測を入れない先生らしい言葉が返ってきました。
「僕はそこまでわからない。そこはあなたにまかせるよ。自由にやったらいい。」
さすがだな〜と思いました。そして、ありがたい言葉もいただいたな〜とも思いました。
大勢の中で話ができないかなと思っていましたが、懇親会の時にお話がちゃんとできて幸せでした。宇宙に詳しい方々に聞きながら、空海の世界観を現代にアップデートできればいいなと改めて思った次第です。
Facebok斉藤 一治さん投稿記事
世界最古の神を祀り、宇宙の誕生、人類の歴史を知り、すべての本質を学習します。
自然信仰と祖先崇拝をさせていただき大自然の中、神々の働きを知り、生活の中に神徳を感じています。
☆ 光明愛理聖教一心太祝詞 ☆
あらしまの つまりしよの たかめにすすむ ありかやの ふみまに といて
あらましの ことよと とうらめ あれや まごころの めぐみによくせ
かみのみもとの ひとあそび ぬくめて そだつ かみのしろ ごと
☆ 大祓詞 ☆
高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて 八百萬神等を神集へに集え賜ひ
神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命は 豊葦原水穂國を 安國と平けく知ろし食せと
事依さし奉りき 此く依さし奉りし國中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ
神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき
此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて
下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて
天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ
天の益人等が 過ち犯しけむ 種種の罪事は 天つ罪 國つ罪 許許太久の罪出でむ
此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて
千座の置座に置き足らはして 天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて
八針に取り裂きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ あせえほのけれ
此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ
國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理
短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば
罪と云ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き拂ふ事の如く
大津邊に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く
彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く
遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を
高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
速川の瀬に坐す 瀬織津比売と云ふ神 大海原に持ち出でなむに
此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百
會の潮の八百會に坐す
速開都比売と云ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば
氣吹戸に坐す氣吹戸主と云ふ神 根國 底國に氣吹き放ちてむ
此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比売と云ふ神
持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 今日より始めて罪と云罪は在らじと
祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す
御祭神
天之御中主大御神 高皇産霊乃大御神 神皇産霊乃大御神 天乃常立神
天照皇大御神 瀬織津姫大御神 孝明天皇
☆ 縄文彌榮 ☆
縄文回帰、瀬織津姫大御神に申し上げます。
大宇宙に遍満するエネルギーは無限です。
生きとし生けるものの魂は常に蘇り無限です。
生きとし生けるもの皆んなで大いに笑いましょう。
利他の精神で永遠に続く魂を楽しみましょう。
生きとし生けるもの皆んなで幸せであり続けましょう。
☆ 浄 霊 ☆
浄霊は、罪・穢れ・禍事を取り祓う洗霊なり。
人の病いや苦痛も浄霊にて克服して元氣になりましょう。