宮澤賢治の辞世
Facebook新田 修功さん投稿記事 すきとおった風ばかり……⁉️🍃
読書セラピー「賢者の一言」 宮沢賢治
賢治さんが亡くなる前に病床で詠んだ詩です。
長いですが、死を前にした人の透き通った心境が素晴らしいのでご紹介します。
だめでしょう とまりませんな がぶがぶ湧いてくるですからな
ゆうべからねむらず血も出つづけるもんですから どうも間もなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くように きれいな風がくるですな
中略
あなたの方からみたらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
わたくしから見えるのは やっぱりきれいな青ぞらと すきとおった風ばかりです。
………………………………✨✨✨
たとえ病気で死ぬとしても、こんな心境であちらの世界に逝きたいものです😇
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
https://ihatov.cc/monument/039.htm 【「宮澤賢治の辞世」歌碑】より
1.テキスト 宮澤賢治の辞世
方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる
病(いたつき)のゆゑにもくちん いのちなり みのり に棄てば うれしからまし
2.出典「絶筆短歌」
3.建立/除幕日 1982年(昭和57年)9月1日 建立/9月12日 除幕
4.所在地 東京都江戸川区一之江6丁目 国柱会 申孝園
5.碑について
国柱会本部の建物の横に、「申孝園」と名づけられた庭園があり、歌碑はその一角にあります。正直なところ私は最近まで、「国柱会」という宗教法人が、現在もなお存在し、活動しているとは、思いもよりませんでした。国柱会とは、田中 智学 氏が、1914年に創設した在家仏教団体で、「純正日蓮主義」を掲げ、非常に国粋主義的な立場を鮮明にしていたことで知られています。
大東亜共栄圏のスローガンであった「八紘一宇」という言葉は、この国柱会の田中の創案であり、のちに軍部がこれを利用することになりました。満州侵略の中心を担った石原莞爾も、国柱会会員でした。このような団体に賢治が加入していたという事実は、一部の賢治ファンにとっては、あまり気持ちのよいものではないかもしれません。これを、賢治の「若気のいたり」とみなしておこうという風潮も、かなり根強いように思います。
しかし、賢治が終生、国柱会の会員でありつづけたのも事実ですし、かなり後になってからも、国柱会の機関紙に詩や歌曲を投稿しています。
「イーハトーブ」というイメージには、どこか「(作られた理想郷としての)満州国」を連想させるようなものもあるように、私には感じられてしまうのですが、どんなものでしょうか。私が国柱会の本部を訪ねたのは、2000年1月のある朝でした。あたりの雰囲気にやや緊張しながら、「国柱会のパンフレットのようなものがあればいただきたいのですが」と窓口で言ってみたのがきっかけで、「宮澤賢治がお好きなのなら、賢治に詳しい先生を呼んできてあげよう」ということになって、「国柱会 講師」という名刺を持った方が、わざわざ奥から出てきてくださいました。応接セットのある部屋に案内してもらい、お茶も出され、賢治と田中智学について、しばらく話を聞かせていただきました。
信仰心もなく、どこの馬の骨ともわからないような私に対して国柱会が示してくれた応対は、79年前に、賢治が熱い信仰と情熱を持って国柱会を訪ねたときのそれよりも、はるかに懇切なものであったでしょう。
1921年1月に、東北から出てきて「下足番でも何でもします」と頭を下げた一文学青年を迎えた「国柱会 講師」の言葉は、次のようなものでした。「会員なことはわかりましたが何分突然の事ですしこちらでも今は別段人を募集も致しません。よくある事です。…」 (お茶を出されるどころか)玄関で立ったままの応対だったと、賢治は書き残しています。
石碑の碑文は、一般には「絶筆短歌」と呼ばれている有名な二首の短歌です。
碑銘は「宮澤賢治の辞世」となっていますが、この「辞世」という表現になんとも「武士道的」な雰囲気があって、こういうところもいかにも「国柱会らしい」ような気がして、おもしろいです。
https://ameblo.jp/yutakachan/entry-12384040832.html 【宮沢賢治の辞世二首】より
賢治は、享年三十七歳。この年は豊年で秋祭りを見届け、この絶筆短歌を書いた。
方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる
病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし
死因は結核による急性肺炎。死ぬ時を選んだのだろう。
稗貫(ひえぬき)とは稗貫郡のこと。みが、のみかも、み祭、三日と韻を踏んでいる。病魔に苦しんだ日々の終わりを空はれ渡ると表現したか。
いたつきは、古今集仮名序の「身にいたつきのいる(入る)も知らずて」からだろう。
くちんは、朽ちと苦血か。みのりは、稔りと御法。豊作と法華経。
漢字の病と棄は、病を捨てられる喜び。うれしからましの本歌は、古今集から。
いつはりのなき世なりせばいかばかり 人の言の葉うれしからまし 詠み人知らず
病気とは、かくも素晴らしい歌を詠ませるものか。健康で酒が美味い幸せを感謝しなければ。 病みわたる恨みの波を涙花 打ちては返す嘆きは紅く
https://tenki.jp/suppl/miyasaka/2016/09/21/15751.html 【賢治の辞世と秋祭りとの関係は?生誕120年の賢治忌】より
北上みちのく芸能まつり 鹿踊り
台風が猛威を振るうこの秋ですが、みなさま対策は万全でしょうか。そんな中に先週末は台風の合間を縫って、各地でにぎやかな祭囃子が響きましたね。さて、9月21日は賢治忌。宮沢賢治(1896~1933)は故郷の岩手県花巻市で37歳の短い生涯を閉じましたが、その最期は、賢治が半生を捧げた「農」への想いに満ちていました。収穫の季節のそんな賢治の姿を、俳句や短歌の世界から追ってみます。
賢治忌を詠む
まずは、賢治忌を詠んだ句をご紹介します。
・ゝゝと芽を出す畑賢治の忌 阿部みどり女
・賢治忌の枕もとより蝗かな 小原啄葉
・田まわりの兄の自転車賢治の忌 有馬正二
・伝言板見かけぬ駅や賢治の忌 星徳男
・どつてこのきのこ楽隊賢治の忌 生方義紹
・トランクは空を飛ぶもの賢治の忌 矢島惠
・賢治忌や水琴窟の透ける音 林孝典
[句引用:宇多喜代子(監修)、松田ひろむ 他 (編集)『ザ・俳句十万人歳時記 秋』第三書館]
「ゝゝと」は、「ちょんちょんと」と読みます。秋の何気ない風景の中に、物語や空想が広がるイメージですね。賢治の得意だった、ユーモラスな表現をなぞった作品もみられます。
原体剣舞連(はらたいけんばひれん)
北上みちのく芸能まつり 鬼剣舞
賢治の作品は、自然崇拝にもとづく世界観と、独特な音感に彩られています。故郷の自然を愛し、そして音楽に夢中になった賢治は、岩手に古くから伝わる剣舞を、『原体剣舞連(はらたいけんばひれん)』という作品にしています。旧仮名遣いです。
・原体剣舞連(はらたいけんばひれん)
こんや異装(いさう)のげん月のした 鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす 原体(はらたい)村の舞手(をどりこ)たちよ
鴇(とき)いろのはるの樹液を アルペン農の辛酸に投げ
生(せい)しののめの草いろの火を 高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹(まだ)皮(かは)と縄とをまとふ 気圏の戦士わが朋たちよ
[作品引用:吉本 隆明『宮沢賢治の世界』筑摩書房]
代表作の詩集『春と修羅』に収録されていますが、宮沢賢治は晩夏にこの踊りをみて、作品にしたとも言われています。剣舞は、岩手県各地に伝わる民俗芸能。原体地区の剣舞は、子どもが舞手となる「稚児剣舞」であることが特徴です。
賢治は生前不遇で作家としてはほとんど評価されませんでしたが、この鮮明なイメージ表現は、とても現代的。時代を先取りしていたのかもしれません。
み祭三日 そらはれわたる――賢治、最後の日々
北上みちのく芸能まつり 鹿踊り
賢治の晩年は病床にありましたが、1933 (昭和8)年には、少し起きられるようになっていました。天気に恵まれた9月17日から19日までは、花巻の氏神の祭り。この年は3月に津波があったものの大豊作で、町では山車がたくさん練り歩き、大いに賑わいました。祭りの間は、賢治も臥せっている部屋から降りてきて、門の前に出て神輿の渡御を拝んだそうです。19日の祭りの最後の日、賢治は二首の短歌を書きます。
・方十里 稗貫(ひえぬき)のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる
・病(いたつき)の ゆえにもくちん いのちなり みのりに棄てば うれしからまし
[短歌引用:奥田 弘ほか(著)『宮沢賢治の短歌をよむ―続橋達雄筆録/六人会「賢治ノート」』蒼丘書林]
稗貫(郡)の地の十里四方に稲が実り、三日の祭りの間、天気までもが豊作を寿いでくれている。病で朽ちつつある命だが、稲の実りの役に立つならば、嬉しいことだ。そんな大意です。
翌日には、賢治が祭りを眺めていたことを知った農夫が、賢治は回復したと考えて訪れます。賢治は時間をかけて農夫の肥料などの相談に乗りますが、容体が急変。急性肺炎となり、翌日、家族に看取られて永眠します。祭りとともに詠んだ二首の短歌が、絶筆となりました。
今年は、宮沢賢治生誕120年。ゆかりの地・花巻市では、たくさんの催しが企画されています。語り尽せない多面的な賢治の魅力を体感するためにも、秋の季節に、一度は岩手を訪れてみたいですね。
参考文献:
宮沢清六 (著)『兄のトランク』筑摩書房
滝浦静雄 (著)『修羅とデクノボー―宮沢賢治とともに考える』東北大学出版会
田口昭典 (著)『宮沢賢治入門 宮沢賢治と法華経について』でくのぼう出版