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粋なカエサル

蕎麦の話⑤江戸っ子と蕎麦1 新蕎麦

2019.01.04 21:35

 四季の気候に恵まれた日本人は、初物によっていち早く新しい季節の訪れに接することに無上の喜びを感じてきた。そしていつの頃からか「初物を食べると七十五日寿命が延びる」と言い伝えられるようになる。 「百五十日生きのびる口と耳」(口=初鰹、耳=ホトトギスの初音)

 とりわけ、江戸っ子の初物好きは際立っていた。安永五年(1776)には、人気番付『初物評判 福寿草』まで発行された。この評判記の冒頭は、初物の食類の部で、No.1(「極上上吉」)は初鰹だが、続く「上上吉」に「新蕎麦」(秋)が「初鮭」(秋)、「新酒」(秋、「若菜・早わらび」(春)とともにランクインしている。また、初鰹と新蕎麦を初物の双璧として例に挙げているこんな文もある。 「当時大通(「だいつう」極め付きの通人・粋人)の世の中。松魚(かつお)も初鰹と言へばその味(あじはひ)美なり。蕎麦も、新蕎麦と言にはしかず」(『にゃんの事だ』止働堂馬呑散人【しどうどうばどん】)

 新蕎麦が手に入ると、蕎麦屋は早速「新蕎麦」の札を店頭に掛ける。今や遅しと待ち構えていた人々は、それを目ざとく見つけ両替屋へ素っ飛んでいく。蕎麦代をふんだんに用意するためだ。

             「新そばに小判を崩す一さかり」

 有名店は目が廻るほどの忙しさ。伸ばした生地を、間断なく寄せる磯波のように切りまくる。

             「新蕎麦や磯打つ波のまくり切り」

 客は、後のことは考えずに金を惜しまず連日賞味するし、店も売り切った後のことも考えずにひたすら蕎麦を打つ。

            「新そばや跡は野となり山となり」

 江戸っ子の新蕎麦への思い入れは、実は蕎麦の実が収穫される前から。一般的には、桜の花を始め、花は散るのを惜しみ花の盛りが一日でも長く続くことを願うもの。しかし、蕎麦は違う。「なんでまだ咲いてやがるんだ、さっさと散りやがれ」って感じ。花が咲いてから実がなるまでが長く、退屈にさえ感じられる。

            「やんがての事とおもへどたいくつな」

            「新蕎麦や待てば久しき花の里」(雪川)

 これほど待ち焦がれた新蕎麦を、江戸時代の人々は蕎麦屋とか自宅で家族と食べるだけでなく、招いたりお呼ばれしたりして楽しんだ。

            「約束の日はまだ遠し蕎麦の花」

 新蕎麦が出たら招待するという約束、まさに指折り数えて待っていたのだろう。

 (南杣笑楚満人一世(作)、歌川豊広(画)「手打新蕎麦」)

(「両国橋の納涼」『絵本江戸土産』西村重長)  納涼の時期に早くも新蕎麦。「二六新そば」。

(新蕎麦の貼紙 『摂津名所図会』)街道筋でも新蕎麦となると貼り紙が出された。