「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 道長からの褒美は「忘れていない」というメッセージ
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 道長からの褒美は「忘れていない」というメッセージ
さて、まずいつもの内容の前に、今回から、というか2024年、令和6年の9月から、新聞の記事に関しては、全文掲載をやめて、その記事の題名とURLを記載することにしたいと思う。
いくつかの理由がある。一つは、最近興味のある記事が長くなってきている。記事を選ぶのに時間がかかってきて、1時間でブログが終わらなくなってきてしまっている。そこで、記事の長さで時間が変わらないように、題名とURLで読めるようにしておこうと思っているのである。
もう一つの理由は、最近記事の使用に関しても著作権などがうるさくなってきている。もちろん私のブログに苦情などが来たことはないのであるが、しかし、今のうちにそのような状況に対応しておいてもよいのかもしれない。つまりそのような感じの内容をしてみればよいのかもしれないと思って、タイプを変えてみようと思ったのである。
そのうえで、毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について、いつも通りに好きかって見ている。この大河ドラマに関しては、参照記事もなく、基本的には、ただ感想文を羅列してみたいと思う。まあテレビドラマの感想なので、何も記事は必要ないという事であろう。
それにしても本当によく練られた台本であり、非常に素晴らしい内容である。今回は、まひろ(吉高由里子さん)が女房として藤壺に参内し、働き始めるのだが、気を使って思うように物語の執筆が進まない。その物語をめぐって、藤原彰子(見上愛さん)が「私も読みたい」ということを言う。要するに、「源氏物語」を元に、中宮彰子がやっと心を開くということが見えてくるのではないか。後に「ゴッドマザー」といわれ、朝廷を陰で牛耳るほどの実力を持つのが中宮彰子であるが、これまでそのようなところは全く見せていない。どちらかと言えば、自分の個性を全く出さずに、周辺の女房どもに言われるままに存在していたということになるが、それが、源氏物語を読んで、自分の心を開き、大きく羽ばたき始めるということになる。まさに、「主人公でありまひろが、朝廷を動かした」というようなストーリーになっている。
それにしても、様々なところに「初回からの伏線回収」が入る。一つ目は、「地味でつまらない女」というセリフである。たしか、(細かく調べていないので)馬比べをしたときで、そこに雨が降ってしまい源倫子の飼い猫小麻呂が逃げ出した時に、男たちが話していた言葉を聞いてしまったまひろがショックを受けるところである。その時に、平安時代のイケメンたちが話していたのが「身分の低い女性はいらない」というような言葉であったが、その時のまひろの評価は「地味でつまらない女」というものであった。まさに、その時の事を「まひろは忘れていませんよ」ということを示したよい言葉である。もっと言えば「その地味でつまらない女の作った物語が、天皇も、中宮彰子も動かし、そして最終的には藤原伊周(三浦翔平さん)を排除する最大の武器になる」ということなのである。
同じ忘れていませんということでは、藤原道長(柄本佑さん)が、物語の続きを欠いた褒美としてまひろに渡した扇。この扇に、幼いころ初めて会った時の情景が書かれているということである。もちろんこれは、当時の場面のリフレインをしっかりと回想シーンという形で出しているので、そこは皆さんも気づいたであろう。
この平安貴族たちは、片方で毎日忙しくし、また、様々な意味で多くの人々と会い、男女関係も派手に動いていたが、しかし、意外に純粋に、昔のことを覚えていて、なおかつその昔のことにしっかりと自分の「起源」を持っている。その昔の自分たちが、そのまま大きくなったということが、より物語の「純度」を高めているのではないか。もちろん、当時のことを覚えていたというような話はないし、当然に作者である大石静さんの創作であることは十分に承知しているが、その様に「昔の関係」を見せることによって、まひろと道長の相手を思う純粋な気持ちがうまく表れているのではないか。
その純粋な気持ちというところでいえば、まさに一条天皇(塩野瑛久さん)であろうか。以前自分に意見した女性を思い出し、そして、一度は起こりながらも純粋に物語に引き込まれてゆく。そして「光る君は誰か」ということが、気になるという展開は、なかなか興味深い。その内容から「広く多くの人に読ませる」ということにつながるのである。源氏物語が、多くの人の心を開き、そしてその心が今につながるというようなことにしっかりと見せてきているところがなかなか面白い。
同時に、この源氏物語を読んだまひろの家の人々の反応。「下品な物語」と言ってみたり「経験もしていないのによくかけるね」というような反応も、まひろという人を知っているから出てくる内容ではないか。この話が、面白いのは、「傍観者としてのまひろが、道長を題材に、赤裸々に物事を書いている」ということであり、清少納言(ファーストサマーウイカさん)の「美しい部分だけを残す」という作風とは異なる「人間の内面をしっかりと見せる」ということがなかなか興味深いのではないか。平安時代の二大女流作家が、全く異なる内容で、中宮の女房として残した者が異なるというのは、なかなか面白いのかもしれない。
なお、もう一つ「この光る君は何をするの」「さあ、なにをするのでしょう」という中宮彰子とまひろの会話について。これは多分「作家(脚本)の大石静さん本人の言葉であろう」というように思う。まあ、「物語」は「筆者が作るもの」であり、同時に「筆者の頭の中で、人格を持った主人公が勝手に動くもの」でもある。ある意味で「作家本人も主人公がどうなるかはわからない」ということがあるのだ。そのことをなんとなく書いたのではないか。そこがまた、魅力でもあるのだ。