竜が登る大西神社に沢山の初詣客
大晦日から元日になり、すぐに阿下喜の大西神社へ、次男と一緒に初詣に参りました。地元の若者から、振る舞いをやっているので、ぜひ、お越しくださいとのお誘いを受けた。
境内には、たくさんの人が来られていたことに驚きました。初詣には、20分ほど並んだでしょうか?偶然にも、いなべっこの前店長と前後で並びを共にし、こどもたちがかがり火に薪をくべていました。その時の写真がこちらで、まるで竜が登るがごとくの炎が撮影でき、何となく縁起が良いと。
初詣を終えて、ぜんざいの振る舞いを頂きました。温かいぜんざいの振る舞いは、阿下喜の若者たちが行っていました。知り合いの方から、この振る舞いについてお聞きしました。
(以下、その方の言葉の要約)
「振る舞いを始めて、10年くらいになります。前は、深夜の初詣客は全くいなかったのですが、このふるまいや地域の方々の努力で、今のように賑わうようになりました。もとは、地域のために何かできないかと思い、自主的にこの振る舞いを企画し、自治会など地域の方々にやらせてもらえるようにお願いしたことから始まりました。今でも、阿下喜の若者たちがしっかり引き継いでもらっています」
まちとは、古くから基本的に自治や奉仕がその基盤にあります。故に、地域力とは、地域内での人による奉仕の心。
行政の世界に入り思うのは、行政は住民福祉向上のために、税金の再分配を行う機関ですが、万能ではないと言うこと。予算も人の数も限られていますし、予算編成・配分には様々な今までの経緯がありますので、組み直そうとすると、何かを減らすという議論が大前提となります。また、行政マンだからといいスーパーマンではありません。まあ、ここに関しては、合理的に働けているか否かの議論はありますが、災害時など徹夜で役所に詰めてもいますし、積雪時は深夜から道路などの安全確認をしているのもまた事実です。公務員は楽な仕事であるとは一概には言えません。
ただ、自治会役員のなり手がなかなかいない。いや、なかなか簡単に手が挙げられないように、社会の構造が変化してしまいましたし、同時に、「税金を払う市民の代わりに行政がすべきである」という論調が強くなってしまったとも言えます。その代替案として出て来たのが市民活動だと考え、付随した指定管理者制度や委託事業となってきました。
しかし、いろんなまちづくりを調べて行くと、税金を投入した委託事業には、やがて限界が来ます。不交付団体以外は、予算の多くが、国からの交付金で成り立っていますし、経済が安定しないなら自主財源も安定しません。だからといい、借金となる地方債を乱発するわけにもいかず、結果として、市民活動の自立がテーマとなります。
1998年より施行されたNPO法。現在、国内の約6割のNPOが自立したNPOであるとの報告がありますが、地方において、そのしくみと意識ををいかに醸成するかが、鍵となります。