岡田耕治氏の俳句
https://kangempai.jp/essay/2014/11okada.html 【2014年11月のエッセイ 365日×3句 岡田耕治】より
朝起きて洗面を済ませてから「太陽礼拝」というヨガを行います。この習慣は、もう20年にもなるでしょうか。「花曜」の編集を任された時、仕事と両立するために体を整えよう独習しました。たまたま「花曜」にヨガを教えておられる方がいて、礼拝用のテープをいただきました。音楽や録音はiPodになりましたが、これだけは未だにカセットテープを回しています。
次に、寝る前にパソコンに入力しておいた10句程の俳句をプリントしたものと、視力回復メガネを携えて、海岸に出かけます。家の近くには自然のままに残された海岸もありますが、もっぱらテトラポッドにガードされた直線の波止場を歩きます。片道1分のこの直線を視力回復メガネを掛けて、5往復します。往きは岬の山を見て、還りは手にした句稿を見て。これは世に言うウォーキングではありませんので、歩く姿勢や呼吸などはちゃらんぽらんです。ただただ俳句を見直すために、往きは山の緑を見て、復りは句稿の白を見る、それを繰り返します。
なぜ往復の動作が違うのかは、単に視力回復メガネの効能によります。黒く塗られたこのメガネには7つの小さな穴が空いていて、光景が点として目に入ってきます。このメガネの活用法の一つに、遠くのものを1分間見てから近くのものを1分間見る、それを3回~4回繰り返すこととあります。
これについても、視力回復が本来の目的ではなく、全く違う視点から昨夜自分が書いた俳句を読み直すためにしていることです。よくサングラスをかけると、世界が違って見えると言われますが、このメガネはそれ以上に新しくも狭い視野を私に提供してくれます。これをかけた途端、私の俳句を読むもう一人の私が現れる、そんな感じです。もちろん、効能書にはそんなことは書かれていませんが。
この往復の中で見直した中から3句を選び、順番を付け、撮りためた写真とともにフェイスブックにアップします。ここで一度はほっとするのですが、続いて前日に読んで選んでおいた俳句をツイッターに入力し、140字以内の鑑賞文を書きます。これが私の365日の日課です。このとき時計を見ますと7時になっていますので、起床から1時間ほどのことでしょうか。この後、朝ご飯を食べ、衣服を整えて出勤することにします。
http://mkk0076.blog88.fc2.com/blog-entry-320.html 【カロの一冊 母のあと父が来ている泉かな 岡田耕治】より 岡田耕治著『日脚』は静かに燃えている印象の句集です。 夏の句を中心に・・・。
香水やすぐに戻ると言いて去る 耕治
朝顔蒔く何もなかったことにして 耕治
香水にも朝顔にも、たくさんの時間と感情が込められて、まるで私小説のよう。
岡田さんは言語教育の専門家です。でも、彼は難しい言い回しをしません。
句に使われているのはどれも、日常、すぐそこにある言葉。自然で、さりげない語り口の中に、他の言葉には負わせることのできない必然があります。
風の日のポプラに生まれ変わること 耕治
誰も恨まない言葉の奥に、ひそかな否認と諦観。 他者も、季節も、事物も、そして自分自身も、 等しく受容する姿勢が貫かれています。
蛇出でて一つの傷に近づきぬ 耕治
蛇も傷も、挑戦的な形をとりません。けれど、忘れられません。
言葉は私の心に沁み入って、いつか、私をすっかり変えてしまいそう。
一線を越えたばかりのきりぎりす 耕治
ドキリ。でも品があります。
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母のあと父が来ている泉かな 岡田耕治
コンスタン・モンタルド(1862~1944)はベルギー象徴派絵画を代表する画家。
「la fontaine de l'inspiration インスピレーションの泉」は代表作。
神秘の力が湧き出る泉に寄り静かに水を汲む男女。こんな情景にいつかどこかでめぐり遇いたい・・・。
岡田句は不思議なイマージュの世界に通う側面も。
約束をゆっくり過ぎる野分かな 耕治
約束の時間は制御の中で華やいで・・・。