建速須佐之男命(弐)
対馬から最も韓国に近い位置に島大國魂神社 がある。
島大國魂神社
祭神素盞嗚尊
白水山ニ祀ル
定
一、 神域ニ立入ル事
一、 鳥類ヲ捕ル事
一、 竹木ヲ伐ル事
右条々於境内令禁者也
昭和十年八月五日 長崎縣
通らずが濱
神代素盞嗚尊渡韓ノ時ノ宮居ノ跡ニシテ
神宮皇后征韓還御ノ日此ノ地ニ於テ親シク
報賽セラレシ聖場ナリ故ニ古ヨリ通行ヲ禁ス
-石碑より-
この島において最高神は素盞嗚尊のようでこの神社の地域は現在も禁足地になっているそうです。
天日神命(ヒニミタマ)。津嶋縣直の祖神として、『神名帳考 證』にも「阿麻氐留神是天日神命也」とあり、『特撰神名 牒』は、山城の天照御魂神社、丹波の天照玉命神社等と同 じく、当社も天照國照彦火明命なるべし、と考定してゐる。 阿麻氐留といふのは天照であり、それは本来この地方の神 名で、「天照神」だつたのではないか。それはまた照日神(テルヒノカミ) とも称したことは、『対馬神社誌』に明らかである。
-『式内社調査報告』-
また対馬の中心部にある阿麻氐留神社は天日神命として一説では天照國照彦火明命(ニギハヤヒの別名)なるべしとしながら別神として天照として扱っているようである。
私見では素盞嗚尊の別名のことではないかと考えています。
例えば天日鉾も新羅の朴氏もしくは昔氏であり天日は天照と同義語と考えることも可能と考えられます。
一方壱岐においては
国津意加美(くにつかみ)神社(旧称妙見宮)
『延喜式神名帳』には「壱岐島石田郡國津意加美神社」と記録されており「社記」によれば、神代に素盞嗚尊韓国を巡り給ひて御帰朝の際我が壱岐国郷ノ浦江上に着岸ましまして後茲に宮殿を建つ是より村浦の宗廟と崇敬し奉りて妙見宮と申すとある。
妙見とは倭の伽耶韓国の金首露の娘で仏門に入信した妙見王女を祀った宮が発祥であることから金官伽耶との関係も見逃せないかもしれません。
このことからも素盞嗚尊は韓国から対馬 壱岐を経て本土に上陸したようでその経路を追ってみましょう。