変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を
https://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/satoriheno_kanso.htm 【悟りへの観想】
https://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/supirityual_sesyon.htm 【スピリチュァルセッション】
https://transpersonal.jp/1567/ 【当学会会長 諸富祥彦のスピリチュアル・メッセージ】より
だいじょうぶです。あなたのからだは、「白く輝く、聖なる光」に包まれています。邪悪なエネルギーから自分を守りましょう。
諸富です
みなさん、いかがおすごしですか。
最近、私のまわりで、何人かの方が、あまりにも大きな苦しみに押しつぶされそうになられています。急に寒くなったここと関係しているのかもしれません。
こんなとき、多くの方は、「なにか、自分に原因があるのかも」と考えて、自分を責め始めます「私の過去や、子どもの頃の親やきょうだいとのかかわりに原因があるのかも」「いつも私が、自分を否定してしまうのは、周囲から愛をもらえなかったから・・・」と原因を探し始める方も少なくありません。
自分のものの見方や考え方(認知の仕方)に歪みがあることに問題があると考えて、考え方や受け取り方(認知)の修正をしようとされる方も少なくありません。
しかし私の経験では、悩みの浅い方は別にして、ずーっと何年も何年も続いているような、深い悩みを抱えている方の多くは、このようにして、「何に原因があるのだろう」「自分をどう変えたらいいんだろう」と考えれば、考えるほど、さらに「心の闇」に捕らわれて、抜け出せなくなってしまいます。
「考えすぎる癖」がついていること自体に、心の闇から抜けだせなくなってしまっている問題の本質があることが少なくないからです
「考える癖」にストップをかけましょう。
「考えすぎるのをやめること」が、大切なのです。
でも、ただ、「考えないようにしましょう」と言われただけでは、なかなか実行できるものではありません。何か大きな支え、安心感を与えてくれるものが必要です。
ここで、「自分を超えた、より大きな何か」「スピリチュアルな、おおいなる存在とのつながり」が大きな意味を持ってきます。
私がお勧めなのは、「白く輝く、美しい光」に自分のからだ全体が包まれて、守られているイメージを思い浮かべて、それをからだ全体で感じ取ることです。
あなたは、「目には見えないけれど、たしかに存在する、この大いなる何か」「愛と智慧に満ちたエネルギーの流れ(=大いなる、いのちの流れ)」の中から、この世界に産み落とされた存在です。
両手のひらを広げて、よく感じ取ってください。
あなたのからだ全体を包んでいる、エネルギーの流れが、幾重にも広がっていることにすこしずつ、すこしずつ、気づいていかれていくと思います。
ほら ほら いかがですか
慣れくると、あなたのからだ全体を包んでいる、「白く輝く光」がうっすらと見えてくることと思います。
その「白く輝く光」こそが、あなたをこの世界に送ってきた「大いなる何か」の贈り物。
あなたをいつも守ってくれて、あなたがあなたらしくいることができるように、包んでくれている〈白く輝く、聖なる光〉なのです。
何か、つらいこと、あなたの気持ちをいらだたせたり、落ち込ませるような何かがあった時には・・・・この、〈白く輝く、聖なる光〉が、いつもあなたのからだ全体を包み、守ってくれていることを思い出しましょう。無理にイメージする必要はありません。
ただ、シンプルに、思い出せばいいのです。
そうすれば、その〈白く輝く、聖なる光〉が、あたかもバリアーのようになって、あなたを邪悪なエネルギーから守ってくれていることに気づかれると思います。
誰かがあなたを恨んでいるとき。誰かからの否定的な言葉が聞こえてきたとき。
誰かがあなたに嫉妬のまなざしを向けて、あなたをひきずり落とそうとしているとき。
そのために心がいらだったり、落ち込んだりして、自分が自分らしくいられなくなってしまいそうなとき・・・・。
そんな時、その度に、この〈白く輝く、聖なる光〉が、いついかなるときでも、あなたのからだ全体を包み、守ってくれていることを思い出しましょう。
深ーい呼吸を何度も繰り返して、ゆったりしたペースを取り戻しましょう。そして、この〈白く輝く、聖なる光〉に守られて、自分が完全に安心して、自分らしくいることができているイメージを思い浮かべるのです。
いやな人、嫌いな人、あなたを攻撃してくる人・・・そんな人々の存在に気づいたら、無理してそばにいる必要はありません何も言わず、スッと離れて、「自分らしくいられる自分」「自分のエッセンス(本質)に忠実に生きていることができる、素直な、自然体の自分のペース」を取り戻すのです。
だいじょうぶです。
何も心配する必要はありません。
あなたはこの〈白く輝く、聖なる光〉にからだ全体を包まれた、守られた存在なのです。
このことをしっかりと心に刻んでおけば、いかなる邪悪なエネルギーや想念も、あなたがあなたらしくいられることを妨げることはできないでしょう。
あなたはいつも、完全に守られて、あなたの本質(エッセンス)と一つなのです。
忘れないでください。
Facebook相田 公弘さん投稿記事「変えられないものは受け入れる」」
どの本を読んでも書いてある。人は人。誰かと比べないことが幸せになる秘訣だって。
今の自分を受け入れよう。ありのままの自分を好きになろう。そうすればあなたにも幸せがやってくるって。私にもわかってる。きっとそうなんだろう。
頭ではわかるけど、なかなかその考えはすぐには受け入れがたいものだ。
たとえば街で美人を見かけたとき、思うのだ。「私もあれくらいキレイだったらな~。どうして美人に生まれなかったんだろう」と。
仕事ができるスーパーキャリアウーマンみたいな人がそばにいたら思うだろう。「私も彼女くらい仕事の才能があったら」と。
「うらやましい」って気持ちは誰にでもあるものだから、悪いことではないのだけれど、いきすぎるとそれは自分の否定になる。
自分を否定するところから始めたらどんどん苦しくなるだけ、とあの頃おばあちゃんが教えてくれた。
当時、すごく好きになった人がいた。
四六時中、その人のことばかり考え、寝ても覚めても頭の中は彼のことばかり。
ある日、その彼が言った。「俺って、骨が細い女性が好みなんだよね」
ほ、骨ですか!?私はそれを聞いて心臓が止まりそうだった。
だって、私の骨は「かなり太い」ほうだったから。
ショックを受けた私は、その日からオリジナルダイエットを開始した。
その名も「コーラ・ダイエット」
美容整形外科に電話してかたっぱしから聞いてみたけど「全身の骨を削る手術」はできないというし、誰に聞いても「そんな方法はない」と笑われた。
他に方法は思いつかなかったし、コーラは骨を溶かすと聞いたことがあったので(今考えるとばかばかしい話だが)、わらにもすがる思いで挑戦したのだ。
私は本気で骨を細くするつもりだった。
ところが3ヵ月たっても、骨は1ミリも細くなっていなかった。
4ヵ月目からもっと制限をきつくした。もう毎日コーラしか飲まない。
そんなことを続けているうち、ある日、具合が悪くなって、通学途中の電車の中で倒れてしまった。
私は、周囲から呆れられ、医者にはすごく怒られた。
「やせたって骨は細くならないんだよ」「もっと自分の体を大切にしなさい」って。
だけど私はどんなことをしてでも骨を細くしたかったのだ。
彼の理想の女性になって彼に愛されたかったから。
何かできることがあるなら、あきらめたくなかった。
だけどそんな涙ぐましい私の努力も知らず、彼はあっさり「もともと細い女の子」を恋人にした。
失恋で落ち込んでいた私におばあちゃんは言った。人生を楽にする法則があると。
「変えられないもの」を変えようとするから苦しくなる。
努力の方向を間違えてはいけない。変えられないものは、受け入れるしかないのだ、と。
その言葉は、当時の私にはとても響いた。
やればできるって信じていたけど、それは幻想だった。
世の中には「努力しても変えられないものだってある」とつくづく思った。
このとき、初めて私は「今の自分を受け入れよう。ありのままの自分を好きになろう」ということの意味が少しわかった気がした。
そのときの記憶が、まるで昨日のことのように鮮明によみがえってくる。
急に当時の感情が思い出されて、思わず私は苦笑した。
冷静になると、自分のバカさかげんがよくわかるものだ。
あのとき、もうそんなことはしないと自分に誓ったのに、また同じようなところでつまずいてる自分が情けない。
もう二度と自分を見失ってしまわないように、今度こそおばあちゃんの教えを実行しよう。
私は新しいノートを取り出した。「変えられないものは受け入れる」
ノートの1ページ目におばあちゃんが教えてくれた言葉を大きな字で書き写した。
丸ごと自分を受け入れることから始めようと思った。
※出典:「仕事も恋もがけっぷち! 29歳OLが永遠に続く幸せを手に入れたシンプルな習慣」
青山 華子 ソフトバンククリエイティブ
https://www.compass-point.jp/kakugen/4163/ 【変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ】より
ラインホールド・ニーバー
アメリカの神学者、ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉である。
第二次世界大戦時、この言葉を記したカードが兵士たちに配られたという。戦後はアルコール依存症患者への断酒メッセージとなった。
先日行われたWBA世界ミドル級王者決定戦で、奇しくも“不可解判定”というあまりにも不本意な判定で敗れたロンドン五輪金メダリストのボクサー村田諒太選手は、この言葉を座右の銘にしているという。試合後の紳士的な言動は、鍛錬された彼の精神の表れだったのだ。
変えられるものは、自分自身。
変えられないものは、自分以外のものだろう。
例外はあるにせよ。
自分自身にも変えられるものと、変えられないものはある。
手足の長さ、顔のパーツなど、持って生まれた造形は、基本的には変えられない。
これまた例外はあるけれど。
しかし、内面はいくらだって変えることはできる。
言葉、行動、心の持ちようといったものは、意識すれば変えられるのだ。
顔のパーツは変えられなくても、内面が変われば表情は変わる。
姿勢を正せばスタイルも良く見えるし、なにより心身ともに健康になる。
変えられないものにくよくよ悩んで貴重な時間を費やすことに、何の意味があるだろう。
変えられるものに意識を集中すれば、変えられないものへの執着は消える。
まずは、変えられるものと変えられないものの判別をしよう