風吹きて蓮子飛び出る宇宙かな 中川洋子
https://www.haradise.net/archives/2633 【風はおもいのままに吹く ヨハネによる福音書 3章8節(聖書の話27)】より
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」
(ヨハネによる福音書3章8節)
僕にとっては、表現として、言葉として、すでに魅力的な聖句である。確かにわたしたちは「風」を感じる事はできる。しかし、本当はその風がどこで生まれ、どこで消えてしまうのかを知らない。「風はおもいのままに吹く」という言葉に、物事の本質が隠されている予感と自由の香りが漂う。
僕が高校で行っている授業の一年間のテーマは「生命(いのち)」なのだが、毎年、この聖句を自分のキリスト教学の授業を説明するために紹介する。生命について考える事は「風に思いを巡らせるようなこと」「答えのないことについて考えること」だと思うのだ。今年度の授業も始まったこの時期、いい機会なので、この聖句を味わってみることにした。
この聖句はニコデモというファリサイ派の議員とイエス様の対話の中で、イエス様の言葉として紹介されている。30歳くらいだったと思われるイエス様より、随分年上で、社会的にも地位があったであろうニコデモは、「永遠の命」が欲しくて、イエス様に頭を下げて、教えを請う。しかし、イエス様にかなり厳しいことを言われることになる。「新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネによる福音書3章3節)。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことも分からないのか」(ヨハネによる福音書3章10節)。こてんぱんなのである。文脈で理解すると、「風を感じる事ができてもその全ては分からないように、神の世界のこと、霊の世界のことはお前にはわからないのだ」とイエス様はニコデモに伝えようとしておられる事になる。
僕が、この聖句に魅力を感じたのは、自分の命が風のように自由に飛び回るイメージが湧いたからかもしれない。しかし、聖句は風を感じる受け手としてわたしたちを位置付けている。わたしたちに全てを見せず、自由に吹いているのは神の側にある者たちだ。永遠の命が欲しい、天国のことを知りたい、命の不思議を理解したい。そういったわたしたちの欲求を、イエス様は一蹴する。
ギリシャ語でもヘブライ語でも風と息と霊は一つの言葉で言い表される。なので、「風の音を聞く」という表現には、「霊の声を聞く」というようなニュアンスがあるらしい。
はたと、全てを知ることは出来ないが、霊の声を聞くことは出来るのだと気がついた。わたしたちは霊の声を聞くことが出来る。しかも、かすかに聞き取れるとか、不確かだがそうかも知れないというような状況ではなく、はっきりと聞く事ができる。なぜなら、それはイエス様の口からしっかりと語られるからだ。
今回の聖句が含まれるヨハネによる福音書の3章を読むと、年をとって新たに生まれる事など無理だと嘆くニコデモにイエス様は、「水と霊によって新しく生まれることで神の国に入れる」と伝えようとされている。
注解書を読むと「水と霊」はバプテスマのことを指すという解説に出会う。洗礼によって信仰を授けるときにキリスト教では浸水を行うのだ。
もちろん、「はっきり言っておく」とイエス様が語り出しても、難しくて分からないことだらけなことも多い。それでも、人の口から発せられる言葉を聞き、理解する事は、神様からの声を魂で感じ理解する事に比べれば、随分易しいことだと思うのだ。そのためにわたしは来たのだとイエス様は言う。わたしたちには捕まえることが出来ない自由に吹く風をその体にとどめて、そこに立って下さる。わたしたちはその声を聞くだけでいいのだ。そして、その声を聞くことによって、少しずつ変えられて行くように思うのだ。霊によって生まれる者へと変えられて行くように思うのだ。
わたしたちは確かに今「生命」を与えられている。僕も、自分が生きているということ、自分の中に生命があるということを確信している。けれど、その生命がどこから来てどこへ行くのかを知る事はできない。
イエス様の声に耳を傾け続ける事で、いつか、わたしたちも霊から生まれたものとして、最初に感じた、風のように自由に飛び回ることを許されるのかもしれない。そんなことを思った。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
胎内記憶の心理学
FBでお友達になった五十嵐さんのコーディネイトによるトマス・バーニー博士&池川明博士講演会を視聴しました
池川明博士のことは映画『かみさまとのやくそく ~胎内記憶を語る子どもたち~』を見た人はご存知だと思います。
「子供達は、ママ達が笑顔でいてくれることを一番望んでいます。
そして、どの子供も、ママを助けるために生まれてきたんだと異口同音に言います。」
帝王切開で生まれてきた子供が
「ぼくがおかあさんのおなかにいるときに、ほうちょうがささってきて、しろいふくをきためがねのひとにあしをつかまれて、おしりをたたかれました。こんどはくちにゴムをとおしてきて、くるしかったのでないてしまいました」と証言、
自分がお腹の中にいるときの両親の様子を「お父さんがお母さんに土下座してあやまった」と胎内記憶を話す子供たちを研究している産婦人科医です。
近代科学では「胎児もしくは出産直後の新生児の視力で、メスや眼鏡をかけた医師を認識できるわけがない。」まして胎児がお中の外の様子が見えて記憶しているなどの報告はオカルト・トンデモ扱いされしまいます。
ところがトマス・バーニー博士はアカデミズムから逸脱しないで丹念に論文を集めて胎児の心理学の学会を立ち上げていたのです。
バーニー博士によると体内記憶の心理学の歴史が最初に始まったのはザビーナ・シュピールラインという女性の論文からだということです。
ザビーナ・シュピールラインをめぐるフロイトとユングの確執が「危険なメソッド」という映画になっています。
ザビーナ・シュピールラインは優秀な女性でしたが母国ロシアに戻ってからスターリン時代の粛清にあい、侵攻してきたドイツ軍に娘二人とともに虐殺されて歴史の闇に葬られてしまった女性です。
続いてオットーランクとスタニスラフ・グロフのバース・トラウマ(出生外傷)が紹介されました。
誕生前後に胎児がストレスを受けると誕生後の人生の中で不安や恐怖や無力感として現れることがあるという指摘です。
ところで『バース・トラウマ(出生外傷)』で検索にかけたら2番目に病院のHPが出てきて、どこかで見た文書だと思ったらすでに消えてしまった昔のHPの自分の文章が(出典)として引用されていてびっくりしました。
吉福さんのグロフ・ブリージングのワークショップを私が岩手で主催したのが88年ですからもう30年以上経っています。
私の個人セッション・ワークショップでも多くの人々が胎内記憶を報告しています。
バーニー博士は体内記憶が伝説や神話のもとになっていると述べ重要な人物としてR・D・レインを上げています。
世界中の神話に英雄が河に捨てられる幼児追放という神話のモチーフがあります。
レインによると受精卵は子どもを表し、卵管は子どもが投げ込まれる河であり、子宮は子どもを受け止めてくれる存在を表しています。そして誕生とは逆転した受精卵の着床であるといっています。
バーニー博士が最初に論文を発表した時にレインは賛同してくれたということです。
池川明博士が1992年7月20日のワンダーゾーンというTV番組で胎児がお腹の中にいる時に聞いていた音楽を覚えている話をしていましたが家の中にそのビデオがありました。
トマス・バーニー博士は後半に非常に興味深い最近の研究を話してくれました。
光は波動と粒子の二つの性質を持っていますが、同時に二つの性質を測定することが不可能なのです。 位置を測定するとエネルギーが、エネルギーを測定すると位置がわからなくなります。
波動の姿を見せるか粒子の姿を見せるかはわたしたちがどのような種類の問いかけをするのかにかかっているというのです。
波動でもあり粒子でもあることを非局在性と呼びます。 非局在性の思考実験に有名な「シュレディンガーの猫」があります。
まず、一匹の猫を捕まえて有毒ガスが何時噴出するか判らない装置を仕掛けた箱に猫を入れます。 この箱を開けた時に猫は死んでいるか生きているのどちらかです。 有毒ガスが出れば猫は死に、出なければ生き続けます。 量子力学ではそうしたことはありえません。 箱が閉されているかぎり、そこにあるのは生と死の確率的な重ねあわせです。 すべては波動関数の重ね合わせですから、猫は生きていてなおかつ死んでいるということになります。
観測するという行為自体が素粒子の状態を変えてしまうのです。
科学では客観的に客体を観察し記述しなければなりませんが、素粒子のレベルでは私という観測者も観測されるものに影響をあたえてしまうので観測者と観測されるもの両方含めた全体が問題になってくるのです。
もはや世界を客観的に観察することは出来ず世界を主体と客体の相互作用としてか捉えられないのです。
文化人類学で研究者は先住民の社会にフィールド・ワークに出かけてゆきその社会の記録を取ります。 ですが学者が訪れたことにより、学者を意識して人々は以前とは違った行動をとってしまいます。 学者が関与したことによって社会の構造が変化してしまい、もはや訪れる以前の社会を客観的に記述することは出来ないのです。 記録出来るのは元のあるがままの社会ではなく学者が関与して変化した社会で、しかも学者の見方を反映した社会なのです。
孤立した実体というものは存在せず、すべての事物は関係性のなかで存在しているのです。
池川明博士は意識が確率に影響を与える実験の話をしていました。
それはアメリカの女性心理学者ガートルード・シュマイドラー博士によって1949年に発見されたシュマイドラー効果を思い起こさせました。
超能力に肯定的・中立的な人は偶然以上に的中する確率が高く、否定的で懐疑的な人が実験に加わると偶然以上に確率が低くなるのです。
意識は物質世界の一部ではなく物質世界をはるかに超えているということなのです。
最後にバーニー博士は胎内記憶の心理学が意識と物質、心と脳がどのような関係にあるのか明らかにするポスト物質科学の大きな可能性を秘めていることを話してくれました。
トマス・バーニー博士&池川明博士講演会は12月15日23:59まで視聴できるようです。
胎内記憶に興味のある方は是非どうぞ。