宝塚版『ベルサイユのばら』の不思議
今年は宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』初演から50年。
上演時のトップスターの個性に合わせて「オスカル編」「オスカルとアンドレ編」「フェルゼン編」「フェルゼンとマリー・アントワネット編」と様々に、大劇場・東京宝塚劇場で17回、地方公演・全国ツアーで13回、海外公演2回。
地方公演・全国ツアーで外伝が、「アンドレ編」「ジェローデル編」「ベルナール編」。
「アンドレ編」は大劇場・東京宝塚劇場でも上演されました。
以前は人物と宮廷社会にスポットが当たっていましたが、平成から革命色が強くなり、ロベスピエール(1758.5.6~1794.7.28)やベルナール・シャトレの出番が増えています。
原作の『ベルサイユのばら』は、池田理代子先生のインタビューなどを拝読すると、オスカル(1755.12.25~1789.7.14)亡き後、10週で連載を終えることになり、アントワネット(1755.11.2~1793.1016)の処刑まで4年以上あるところを10回にまとめざるを得なかったようで、革命に立ち向かうアントワネットは先生の構想ほど描けなかったのでしょう。
それにしても宝塚の『ベルサイユのばら』の時系列と史実変更は物凄い。
実際は1か月あまりの全国三部会(1789年5月5日開会、6月17日に国民議会発足)は3~5年やっていそうで、バスティーユ襲撃(1789年7月14日)の翌月にスウェーデンを出発して”ペガサスのごとく”駆けたはずのフェルゼンが処刑直前(1793年10月16日)のアントワネットの元を訪れるまで4年2か月。
ヴァレンヌ逃亡時(1791年6月20日)に別方向へ逃亡して亡命に成功した王弟プロヴァンス伯爵(1755.11.17~1824.9.16)がルイ16世の処刑(1793年1月21日)に、「兄上、お供いたします」と刑場に同行します。
因みにアルトワ伯爵(1757.10.9~1836.11.6)は登場しません。
モデルはカミーユ・デムーラン(1760.3.2~1794.4.5)であるベルナール・シャトレはコンシェルジュリーの獄吏になっていて、なぜかアントワネット逃亡計画に加担するという不思議。
これではダントン(1759.10.26~1794.4.5)と一緒に処刑される前に、ロベスピエールやサン=ジュスト(1767.8.25~1794.7.28)に告発されてしまいます。
そして驚きなのは、架空の人物ロザリー(モデルはコンシェルジュリーの女中ロザリー・ラモリエール)が、オスカルを心配するベルナールに”あの方の数奇な運命”だからと言い、アントワネットを助けたいフェルゼンに”フランス女王の生き方”だと言う。
なぜロザリーが二人の気持ちを勝手に想像して運命決めているのでしょう。
時系列ではありませんが、アントワネットは王妃であって女王ではないのに、女王様と言ったり王妃様と言ったりするのも変です。
ルイ16世(1754.8.23~1793.1.21)はアンドレ(1754.8.26~1789.7.13)と同じ年齢なのに、アントワネットのお父さんのよう。
オーストリア大使メルシー=アルジャントー伯爵(1727.4.20~1794.8.25)は、コソ泥のようにフェルゼン邸にやってきてフェルゼンに帰国を促し、幾つかのフェルゼン編の1幕最後ではベルサイユ宮殿でフェルゼン帰国の報告会のような集いを開催します。
フェルゼンの妹ソフィア(1757.3.30~1816.2.2)が時々、姉設定になったり。
フェルゼンが”得意な歌”を歌ったり踊ったりするのはトップスターの見せ場としてまあいいとしても、スウェーデン国王グスタフ3世(1746.1.13~1792.3.29)の御前(しかも陛下の誕生祝いの席)で剣を抜いて衛兵とフェルゼンが戦うのは如何なものでしょうか。
まあ、変なところを挙げるときりがなく、いったいジェローデルは何処で今宵一夜とバスティーユ襲撃を盗み見ていたのかとか、フェルゼンが”ペガサスのごとく”駆けている時ジェローデルはどうしたのかとか、いつからフェルゼンは恋愛コンサルタントになったのかとか…
諸々謎多き宝塚版『ベルサイユのばら』
深く考えないで、キラキラ感を楽しめということでしょうか。