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不適切な言葉

2024.09.06 01:53

https://kyoiku.sho.jp/270171/ 【改めて確認しよう! 学校で使わないほうがいい「不適切な言葉」とは】より

連載

マスターヨーダの喫茶室~楽しい教職サポートルーム~

元山形県公立学校教頭 山田隆弘

学校では日常的に様々な話や言葉が飛び交います。特に職員室では、児童の家庭環境や学校をとりまく社会環境など、普段はあまり使われないような、様々な言葉や表現を使うこともあるでしょう。そして、そこには人権に配慮されていないような不適切な言葉が含まれている可能性があります。ぜひ、みなさんも一度立ち止まって、チェックしてみてください。

1 言葉の言い換えの必要性

ある時、学校の教育相談の会議で、新人のせんせいが、「あの家は片親だから、あの子も大変なんです」と話をし始めました。ちょっとドキッとしました。

わたしは、すかさず…。

その「片親」っていう言葉は、差別的な意味合いを含んでいるよ。昔、片方の親しかいないことを欠損家庭と捉える悪しき風潮があり、そこから生まれた言葉だからなんだ。

それに、両親が揃っていたって課題を抱えている家はたくさんあるし、ひとり親でも素晴らしい子育てをしている家族だってたくさんあるよ。

えっ、そうなんですか。親が一人だと我が子に関われる時間が少なくなるでしょうし、「父親として」「母親として」といった役割が果たせなくなるのではないですか?

確かに、そういう難しさはあるだろうね。でも、たくさんの保護者さんと話をし、その姿を見ていこう。両親のどちらかに重大な問題があり、家庭が壊れたりDVがあったりすれば、子供たちが心に傷を抱えていることが多い。そのような場合、ひとり親になることで家庭の問題が清算され、心が安定することも多いんだよ。決めつけは止めておいたほうがいいよ。

そんな会話をしましたが、新人のせんせいは、「ウーン、そうなんですかねえ…」

と納得がいかないようでした。

恐らくこのせんせいは、両親の揃った家庭で育ち、それが当たり前だったのでしょう。

逆にひとり親の家庭で育ってきた人にとっては、親は一人が当たり前です。

人は生育環境や過去の経験など、様々な要因によって、多かれ少なかれ認知にバイアスをもっています。そして、そのバイアスに気付かずに不用意な発言をすることによって誰かを傷つけたり、問題を巻き起こしたりすることがあります。

教員は、社会に暮らす、ありとあらゆる人たちと接する可能性のある職業です。使うべきでない言葉、言い換えたほうがいい言葉の感覚を研ぎ澄ましていきましょう。

そして、人権に配慮した言葉が学校で定着していくようになればと、願ってやみません。

2 人権に配慮した言葉とは

学校教育の中で、言い換えたほうが良い言葉と適切な言葉について、列挙してみました。重要そうな言葉を選んでみたつもりですが、わたしが認識できていない言葉もあるかもしれません。そのような言葉に気づかれた方は、ぜひコメントをお寄せください。

①保護者や家庭に関する用語

世間一般で当たり前のように使われている言葉もあるだけに、正しい認識を心がけましょう。

保護者が正式な婚姻届を出していない場合もありますので、よく家庭状況を把握し、「父」「母」ではなく「パートナー」などといった表現をすべきケースも多いです。あるいは、「保護者」という表現を言い換えて、「~さんのおうちの方」という表現も無難ですね。

使用頻度が高いです。言い換えていくべき表現です。

②性別に関する用語

「性役割」というものはありますが、決めつけるような言い方、表現は避けていく必要があります。男子は技術科、女子は家庭科などという教育課程上の差異は今やありません。

(オカマ、オナベ、オネエ、レズ、ホモなど)

③心身に関する用語、日常的に使う表現の中で

絶対に使ってはならない障がい者に対する言葉も含めて、日常生活で使いがちな表現を再考していく必要があります。共生社会の実現のためにも配慮していかなければならない言葉です。

特にネット界隈では、「シンショー(身障)」など新たな差別用語が作られています。児童たちは影響を受けやすいので、注意していきましょう。

日常生活の中で、上記のような言葉を使うことがありますが、使うべきではなく、ぜひ言い換えていきたいです。

障がいのある方に使いがちな用語ですが、人権的に問題があります。使う必要がある場合は、診断名で代替したいです。

④人種や民族に関する用語

人種や民族、身分に関わる差別的用語は使ってはならないです。

両方の文化を受け継ぐ「ダブル」「国際児」という表現のほうがグッド。

絵本『ちびくろサンボ』を11社が絶版にしたことは有名

以前は、「支那蕎麦」と表記している店もありましたが「中華そば」に変更

「部落」は、「部落差別」を想起させる可能性があるので、使わないようにしましょう。

「都市」の反対語として「村落」、家々の小規模な集合体を示す行政用語として「集落」という言葉がありますので、これらの方を使っていきましょう。

⑤職業に関する用語

性別の入っている職業名をはじめ、いまだによく耳にする言葉が多いです。

3 言葉そのものではなく…

「徹底追及 『言葉狩り』と差別」(1994年 文藝春秋)に、故井上ひさし氏が寄せた「差別語のための私家版憲法十一箇条」という論考の中に、特に教育者として肝に銘じておくべき言葉があります。

第七条 ことばを抹殺したからと云って、また、たとえそれをどう言い換えたからと云って、その言葉が示していた差別がなくなったわけではない。

第八条 差別語には差別語の歴史があり、わたしたちはその歴史と勇気を出して向き合わなければならない、そうする人間の数がふえることによってのみ、歴史の暗部や秘部を乗り越えることができるだろう。つまりその差別語をつくり出している歴史的状況を大勢で意識的に変えなければならない。

井上氏が示すように、単なる言い換えだけでは、本質的な解決になりません。しかし、言葉に敏感になることによって、その言葉が象徴している現実問題に気付くことができます。言葉によって苦しんでいる人々の思いや願いをくみ取ろうとする姿勢が個々の人権意識の高揚につながっていきます。

本稿に示したもののほか、民族、被差別部落、ジェンダーに関しての差別語は数多くあり、残念ながら令和のこの時代にも残っています。じっくり見定め、差別語や不快語は使わない人権に配慮した学校教育でありたいです。


https://haikudai.com/post-877/ 【第七回 『表現のブラックホール! 俳句に嫌われる表現とは?』】より

第七回 『表現のブラックホール! 俳句に嫌われる表現とは?』

みなさんこんにちは。

『俳句大学 表現学部』の第七回講義です。

ここからは二階教室となります。

一階教室が入門編だったのに対し、二階教室は句作を経験した初級者向けの位置づけに変わります。

俳句の基本的な表現方法をまだ読んでいない場合は、一階教室で紹介していますので、ぜひ一読してから先へ進むことをお勧めします。

ブラックホールは足元に……

『表現学部 一階教室』では、計六回にわたり「わたしの気持ち」を俳句に表現する基本的な工程を説明しました。

季語の特性を知り、『たのしいな俳句』を繰りかえし練習すれば、自然と心のこもった一句を詠めるようになるでしょう。

ただ、心をこめることと、それを読み手にうまく伝えることとは、またべつの問題です。

日記のように自分で楽しむならともかく、コンテストへ投句したり、句会で披露したり、家族のために残したり……ほかの誰かに見てもらう場合には、心情を共感できる文章にする必要があります。

そこで『表現学部 二階教室』では、俳句にどんな修辞技法が適しているか、達人のワザをもとに解説していきます。

いわば「俳句によく使う表現」の特集です。

過去の成功事例を参考にすることで、詩作に不慣れな人、表現に悩んでいる人も、作句の方向性を絞りこみやすくなるでしょう。

……しかし、その前にひとつ考えるべきことがあります。

「俳句によく使う表現」がある以上、逆に「俳句に適さない表現」も存在するのではないか? ということです。

 

ちょっと想像してみてください。

俳句の長い歴史のなかで、どんな表現がよく使われてきたかは、過去の例句を読めば一目瞭然に判明します。

誰でも調べられる成功の方程式――それが「俳句によく使う表現」です。

一方、「俳句に適さない表現」はどうでしょうか?

適切でない表現を用いた結果、仮に失敗作ができたとします。

ほかの人が読んでも共感できない俳句です。

それは、句集に残されるでしょうか?

……まず残されることはありません。

つまり、失敗にいたる方程式は、例句をいくら調べたところで確認のしようがないわけです。

初心者にとっての落とし穴がここにあります。

喩えるなら、目に見えないブラックホールのようなものです。

調べる術がないということは、知らず知らずに地雷を踏んでもなんら不思議はありません。

そしてブラックホールは実在します。

 

初めて俳句の世界に来た人にとって、危険きわまりない存在ですよね。

そこで技術的な解説に入る前に、「俳句に適さない表現」が何なのか、ハッキリさせるところから始めましょう。

一見、優先順位がさかさまに見えるかもしれませんが、薬品の添付文書が禁忌から順に記されているように、まず適用外を先に知るほうが安全なのも事実です。

不適切な言い回しを消去法によってあらかじめ避けておけば、無駄な失敗をせずに済むでしょう。

これが今回の目論見となります。

詩情がないと俳句にならない!

では、実際にどういう表現を避けるべきか、大枠をざっくりとまとめましょう。

韻文・散文という言葉が登場しますので、『文法学部 二階教室 第七回講義』の説明を参考にしてください。

有季定型俳句は韻文――すなわち定型詩の一種です。

言葉が短くても詩には違いありませんので、詩情がなければ文芸作品としての価値が生まれません。

そのため、詩になりにくい表現は避けたほうが無難だと言えます。

もう少し詳しく掘り下げると――

たとえばビジネスレターを綴るとき、メルヘン調で書きあらわす人はいませんよね。

文章の目的に照らして明らかに不適切です。

理路整然とした語り口には、無味乾燥な散文のほうが適しています。

 

ひるがえって俳句を詠むときは、理屈をならべた書きあらわし方をすると、逆に詩情を損なってしまいます。

もしビジネスレターを五・七・五にしたら、きっとキャッチコピーのような文章になるでしょう。

それは詩とは呼べません。

くわえて俳句はとても短いため、そもそも詩情以外の成分を言葉にするスペースがありません。

したがって、詩にならない表現は選択肢に入れないほうが良い、という結論になります。

俳句は因果関係を嫌う 

結論はまとまったものの、「詩情のない表現を避ける」という概念だけでは、あまりにも漠然としていますよね。

もっとピンポイントで絞らないと、巨大なブラックホールを避けるのは至難の業です。

具体的にどんな書きあらわし方を避けるべきなのでしょうか?

その代表格としてここで取り上げるのが、因果関係と呼ばれるものです。

もう少しかみ砕いて言うと、

「ものごとの原因と結果を書くこと」

を意味します。

 

このあと解説しますが、因果関係には大きく分けてふたつのパターンがあります。

 ・顛末:ある状況や言葉にいたる原因を究明した文章

 ・説明:ある状況や言葉をべつの要素で構成した文章

これらを語りだすと、それぞれ原因と結果を記述する羽目になり、著しく詩情を損ないます。

ですので、まずは因果関係にならないよう心掛けるのが大切と言えます。

……とは言っても、通常これらの用例を確かめる手段は存在しません。

実際の失敗作を目で見ないことには、因果関係を避ける理由も方法も不明なままです。

そこで、ここでは過去に筆者が失敗した実例をひっぱり出して、具体的な部分を説明したいと思います。

避けるべき表現① 顛末

すこし雑談をはさみましょう。

世のなかの俳人は、たいてい自分の駄句をひどく敬遠します。

極端な例だと、詠み終えたそばからゴミ箱へ放り投げる人もいるくらいです。

もちろん作句のスタイルは人それぞれですが、筆者的には駄句を捨てずに保存しておくようオススメします。

自分の欠点や成長を振りかえる材料になるからです。

そんなわけで、次の例句を見てください。

 ・ 凍て月を窓にさえぎる鍋の湯気  豊島月舟斎

まだ俳句のハの字も知らなかったころ、満員の通勤快速でもみくちゃになりながらスマホ片手に作った失敗作です。

このパターンがまさに「顛末」の悪例と言えます。

季重なりの問題もありますが、何よりも俳句のたたずまいとして方向性を間違えている点に注目してください。

本句で述べていることは、要するに結露という自然現象の顛末です。

窓から月が見えない原因を究明したにすぎません。

それゆえ「あったかいと言いたいんだろうけど、詩になっているかというと微妙」な文章になってしまっています。

このように「顛末」を俳句にすると、読み手に詩情を共感してもらうことができません。

ゆえに、俳句の語り口としてふさわしくないのです。

避けるべき表現② 説明

もうひとつのパターンが「説明」です。

こちらも失敗作を例示しましょう。

 ・ 清明に制服新た子の雄姿  豊島月舟斎

……見ただけで散文くさい文章ですね。

何が問題だか分かるでしょうか?

清明のころ新しい制服を着ている子どもと言えば、「入学児」や「新入生」に決まっています。

つまり、本句で述べていることは、「入学児」あるいは「新入生」といった季語の言い換えに当たります。

そこが問題点となって、全体に説明的な印象をぬぐえないわけです。

これが「説明」の実例です。

俳句の世界では、例句で述べた要素はすべて、季語の本意に含まれていると考えます。

言い換えれば、たった五音の季語をわざわざ十七音に引きのばしたにすぎません。

このように、ものごとを要素に分解してならべた文章は、散文的になりがちです。

「顛末」と同様、俳句において避けるべきブラックホールのひとつと言えるでしょう。

散文的な俳句の見破り方

因果関係の解説はここまでです。

本項を読んだみなさんは、ぜひ筆者が経験した失敗の轍を踏まないようにしてください。

そのうえで、なお自分の詠んだ俳句に不安をおぼえる場合、ちょっとした検証手段があります。

文中の助詞に注目してください。

詩情のうすい俳句には、「に」や「にて」が使われやすい傾向があります。

これらは、場所や時間、対象物を指定する役割をもち、文章を散文的にしやすいと言われています。(失敗例にも使われていますよね!)

 

いったん自分なりに作句して、あとから見直したときに、もし上記の助詞が入っていたら要注意です。

一概にダメ! というわけではありませんが、詩情のない顛末書や説明書になっている可能性を否定できません。

ひとつの見分け方として、頭の片隅に置いておくことをオススメします。

俳句に嫌われる表現まとめ

今回のまとめです。

俳句は大前提として韻文であり、定型詩に分類されるため、詩情がなければ詩としての価値が生まれません。

その結果、俳句に適した表現がある一方で、俳句に適さない表現というものも実在します。

その代表格が因果関係です。

因果関係は散文的な語り口ですが、とりわけ俳句の初心者や、ビジネス的な思考法が染みついた人は、韻文に持ち込んでしまいがちな傾向があります。

したがって構想の段階から注意を要します。

実例としては、おもに

 ・顛末

 ・説明

のふたつのパターンで表出します。

しかし、失敗例を既存の俳句から学びとることは非常に困難です。

ゆえに、判断に迷ったときは「に」や「にて」といった散文的になりやすい助詞に注意して作句すると良いでしょう。

以上となります。