フレデリック・ショパン、お別れ演奏会の前、ひとり街に別れを告げに行く、別れの日には街中がフレデリックとコンスタンツァアの涙の洪水になるであろう…
ティトゥスは試演会に来なかった。お別れ演奏会にも来ないことはわかっていたフレデリックは自分の音楽の真の理解者がいない寂しさと闘っていた。
ティトゥスは田舎の実家ポトゥジン村に篭っていたが、フレデリックがワルシャワで最後の決意の時を迎えている頃、ティトゥスはポトゥジンより更に田舎のフルビッショフに引き篭もっていた。
ティトゥスがワルシャワから離れている理由は定かではないが、ポトゥジンから更に田舎に何の用があったのだろうか。フルビッショフ村は中世初期の墓地、古墳、があり15 世紀以来ユダヤ人が定住していた村だ。ティトゥスもユダヤ人かもしれず弔いに行っていたのか…。この村はスタニスラフ・スタジにより1800 年に購入され、スタジは 1816 年にこの村の自分の邸宅にフルビッショフ農業協会財団を設立した。(ヨーロッパ初の農業協同組合以前の組織で1945 年まで活動が続いた。)ティトゥスはいずれは農業に従事することになるのはこのスタジの命令だったのか。彼は1824年からポーランド王国国務大臣でポーランドの舞台芸術にも関わりがあった。やはりティトゥスへのフレデリックの書簡はティトゥスが裏切っていたのだろうか、フレデリックは望まない国外への旅へ、望まないコンスタンツァアとの別れ、フレデリックは疑わずにはいられないが疑いたくはない自分との葛藤に苦しんでいた。
しかし、ティトゥスのことを信じるならば、
もしかしたら、ティトゥスはフレデリックの頼みに根負けしてフレデリックに同行できるようにステジに嘆願しに行ってくれたのかもしれなかった。
期限と条件付きの同行だったのだろう、
しかし、コンスタンツァアのことはティトゥスでさえ救えなかった。
ティトゥスの方が先にコンスタンツァアの歌が好きだったのだ。
ティトゥスもフレデリックとの友情とコンスタンツァアへの想いの狭間で苦しんでいたかもしれなかった。
フレデリックが教会で交わしたコンスタンツァアの目にはフレデリックとの別れを望まない涙が、誰のせいで二人は別れなくてはならなかったのか…
「コペルニクスの像からスプリングスまで、ジギスムント王の柱からブランクまで、豆粒のように大きな涙が町中を流れるだろう。」
フレデリックとの別れを悲しむ人はコンスタンツァアを始め街中の人々です、と
ティトゥスに訴える。
この涙をティトゥス、あなたは見たくないのでしょう、と問い詰める。
あなたは自分の良心の呵責に苦しみたくないからだ。
罪から逃れたいのであろうと、フレデリックはティトゥスの心の底へペンでこれでもかと言葉を突きつける。
「コペルニクスの像から泉まで、そしてジギスムント王の柱からブランクまで、豆粒ほどの涙が町中に流れるだろうが、私は石のように冷たくて乾いた目をしているが、
哀れな姉妹たちに微笑むだけだろう。」
フレデリックはひとりで、コペルニクスの像からスプリングスまで、ジギスムント王の柱からブランクまで行き、そこで、誰にも見られないように涙を流して来たのだ。
「豆粒のように大きな涙が町中を流れるだろう。」実はそれはフレデリックの流した涙なのだ。街中がフレデリックの涙で溢れているのだという意味なのだ。
涙は誰にも見せないところで流して来た、別れの日にはもう涙は乾き切っているから流れません、私の心は石になります。誰も助けてはくれない、これがフレデリックの本心なのだ。
「あなたが遠く離れていなかったら、
あなたにここに来るように命じます。
しかし、たとえあなたが、彼らの涙を見るのが嫌だったとしても、
あなたが私ではなく他の人たちに慰めをもたらすために、おそらく他の大きな罪の償いとして あなたが悲しむ人を慰めることを好むことはわかっています。」
ティトゥスに罪を償うように
説得するフレデリック。
「私も何らかの形であなたに慰めをもたらすことができれば、そうしたいと思います。
しかし、信じてください、ウィーン以外にこれらすべてを解決する方法はありませんでした。
あなたは生きていて、他人が心に入り込む感情を持っているので、幸福と不幸の間で引き裂かれています。」
自分に出来ることは曲をティトゥスの慰めのために書くこと、ウィーンへ一緒に行きましょう、あなたが良かれと他人に話したことは不幸を招いた、他人の悪意な感情があなたの心に入り込み、それが、私たちの幸せを引き裂いているのです。とフレデリックは
このままでは誰も幸せになれないと、ティトゥスに気力を絞り出して書く。
「私はあなたのことを理解しています。
私はあなたの魂の底まで入り込むことができますが、言葉では言い表せないので、あなたを抱きしめさせてください。」
まるで牧師のようなフレデリックのティトゥスへの説教はティトゥスが罪を償って生きていくように誘っていた。