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精神科医 諸藤(モロフジ)えみりの心のレッスン

絶対王政〜国家モロフジの場合〜

2024.09.08 14:11



こんにちは、

精神科医の諸藤えみりです。


今日のブログは仰々しいですね🤣



あなたには

「当たり前だから仕方がない」

と諦めていることはありますか?



わたしにはあります。

今日はその当たり前をやめた

わたしのお話です。





以前、

こちらのブログで

患者さんに怒鳴られた話をしました。



ガビーーーーン 🥶となりました。

その続きです。



怒鳴られたけれど

謝罪はあったし、

心機一転

また頑張ろうと思ったわけです。

(わたしはチョロいんで、、、)



先日

この患者さんが受診されました。

またイライラされています。



「ん?なんか怒ってる?」

と思いつつ

気を付けて診察をしていました。



が、

以前のわたしの対応に

不満があったらしく

暴言を吐かれました。



頭が真っ白になりました。


とりあえず相手の勘違いを訂正し

診察は終了しました。



このときのわたしは


「患者さんから

暴言を吐かれても

仕事だから仕方がない。

むしろ怒鳴られなかっただけ

マシだな。」


と、本気で思っていました。



カルテを書いていると

以前、怒鳴られたことを知っている

看護師さんから

「先生、今日は大丈夫でしたか?」

と聞かれました。



わたしは

「いやぁ~、

今日はこんなことを

言われちゃいました。」

と軽く返事をすると、

看護師さんは仰天して

「それは許しちゃダメです。

治療関係を

構築できていません。

先生、舐められています。」

と言ってくれました。



やっぱり?

やっぱりこれはダメですよね?





わたしはこれまで

医師は患者を選べないと

信じていました。



どんなにひどいことを言われても

我慢して

診察しなければといけないと

思っていました。



なぜなら

周りの医師たちも

態度の悪い患者さんたちを

診察しているからです。


これが当たり前だと思っていました。



保険診療で相手を選ぶのは

無理だから、

オンラインカウンセリングでは

お互いが

気持ちよく時間を過ごせる方のみに

しようと考えていました。



が、

今回の件で

「別に今から患者さんを

選んでもいいのでは?」

と考えるようになりました。


当たり前を

やめようと思ったのです。




これからも

ずっと我慢して

主治医を続けるのは難しい。


でも

・主治医を辞めたらこの方を

見捨てることになるのではないか。

・心の傷を

深くしてしまうのではないか。

・相手が失礼なことを言うのは

わたしに

隙があったからではないのか。

と、葛藤しました。



考えすぎて夜も眠れません。


どうにもならなくなって

院長先生に相談しました。



院長先生は

「自分の健康を損なってまで

診察しなくていい。


先生が

できることだけでいいよ。


もし僕が先生と同じことを言われたら

怒り心頭に発するよ。

コテンパンに叩きのめす。

それができるから

態度の悪い患者さんにも対応できる。


先生はそうじゃないでしょ?

だからいいんだよ。」


と言ってくれました。


この方には申し訳ないけれど

主治医を降りることにしました。





この件は

スタッフ間で意見が割れました。


「そこまで言われて

診察しなくていい!」

と言ってくれる人もいれば

「治療経過で怒りが出るのは

回復への過程だから、

今後もえみり先生に頑張ってほしい。

ほかの先生では

この患者さんを

受け止められないと思う。」

と言う人もいたり。



わたしの味方ではなく

患者さんサイドに立つ

スタッフさんがいて淋しかった。



色んな考え方があっていいし、

全員が全員

わたしの味方である

必要はないけれど、

「自己犠牲をしてでも

患者さんのために頑張れ。」

と言われているようで

悲しかった。



医療現場を見ると

自己犠牲をしてでも

患者さんのために尽くす方がいます。


素晴らしいと思う。

わたしには無理だった。



これからは

諸藤の諸藤による諸藤のための

外来にしようかな。

絶対王政の誕生じゃい怒怒怒!!







「この方を救わないといけない」

という気持ちがずっとあった。

掴んだ手を放すことに

躊躇していた。



千手観音菩薩には千本の手がある。


1000人の人を救うためだと

思っていたが、

1人の人間を救うのには

千本の手が必要という意味らしい。



わたしが手を放しても

残りの999本の手が

この方を支えてくれると

信じることにした。