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感覚や感性が大事

2024.09.08 06:33

Facebook小森 圭太さん投稿記事【誰もが天才になれる脳の使い方】

天才と言うと誰が思い浮かびます?大谷翔平?藤井聡太?アインシュタイン?

いろいろ思いつく人はいると思います。これら天才に共通することってなんでしょう?

色々あるとは思いますが。一つ言えるのは「非常識」です。天才って常識外れだったりするでしょ?大谷選手の二刀流だってつい最近まで非常識でした。

「バカと天才は紙一重」なんて言葉もありますが、これも非常識の別の表現。つまり天才は概して非常識。でもこれってそもそも脳の使い方が非常識だからかもしれません。

普通の人は、脳を「思考の道具」として使っています。もちろん天才も「思考の道具」として使います。

ですが、それ以外の目的で使用していることも多い。どういう目的で使用しているかと言うと「受信する道具」として。

世界的に著名な物理学者であり哲学者でもあるアーヴィン・ラズロー博士はこんなことを言っています。

”脳とは、究極の保存媒体であるゼロ・ポイント・フィールドに対する、単なる検索・読み出し機構に過ぎない”なんのこっちゃ?? って感じですかね。

ゼロ・ポイント・フィールドとは何か?

簡単に言えば「宇宙に存在する全ての源であり、時間や空間を超えた全てがある」と考えられているエネルギーの場です。スピ的な言葉で言えば、アカシックレコード的なものでしょうか。つまりラズロー博士は、脳とは、ゼロ・ポイント・フィールドという「場」にアクセスして、情報を引き出す装置だ、と主張している。

実は同じような説を唱える学者さんは他にもいます。英国の名門ケンブリッジ大学教授の

シェルドレイク博士もそのお一人。彼はその「場」を「形態形成場」と呼んでいます。

我々人間含めた動植物すべては、種ごとにそのような「場」を持っている。

そしてその「場」に情報を上げながら、その「場」からも情報を引き出していると言います。

そして天才と言われる人たちは、この「場」にアクセスする能力にたけている。

クラシック音楽界の天才と言えばモーツァルト。

彼は35歳の生涯で700曲もの作曲をしたそう。ですがモーツァルト自身は、”私が書いたのではない。向こうから聞こえてくる曲を書き写しただけだ” と言っていたとか。

その証拠にモーツァルトの楽譜には書き直した跡がないそう。つまり「場」にアクセスして、曲を引き出していた。実はジョン・レノンも同じようなことを言っています。

”僕が横になっていると、いきなり曲が完全な形で詩も旋律もやってくる。「曲を書く」なんて言えるかい?座っていれば曲の方が押しかけて来るんだよ”

アインシュタイン博士と言えば20世紀を代表する天才。

アインシュタインの本当の凄さは、直感力とインスピレーションを得る力だと言われています。それらを元に様々な理論を作って行ったので当然と言えば当然ですが。

モーツァルトやレノンが書いた曲は、初めから彼らの頭の中にあったものではありません。

アインシュタインのインスピレーションにしてもそう。

つまりどこからか受信していた。どこからかというと、「ゼロ・ポイント・フィールド」

あるいは「形態形成場」と呼ばれる「場」ではないのか、ということなんです。

その「場」から得られる情報はインスピレーション、ひらめき、直感という形でやってきます。そして、インスピレーション、ひらめき、直感を司っている部位が脳幹の中にある「松果体」だと言われてます。

松果体細胞は、目の奥にある光受容器細胞に似ていることから、何らかの受信機能を持っていると考えられているからです。

なので天才性を発揮するためには脳幹を活性化させ、松果体をきっちり機能させることが大事。そうすれば、インスピレーション、直感、ひらめきを得やすくなる。で、そうなるために大事なのが常識よりも感覚を優先させるということなんです。

大谷選手だって、自分の「やりたい」という感覚を優先させた訳でしょ?

プロ野球の常識に従っていたら、ああはならなかった。

感覚を優先させるということは、本当の自分が求めていることに忠実になることでもあります。本当の自分は感覚であり感性だからです。

つまり感覚や感性に忠実に従っていれば松果体が活性化し、誰でも天才になれる!!

あなたは「どこか違う」と違和感を感じていながら、「こうやるべきだ」「こうしなければ」という思考による選択ばかりをしてませんか?

それだと当然松果体もきっちり機能せず、ゼロ・ポイント・フィールドにも繋がれない。

つまり天才性が発揮できません。

なので大事なのは感覚、感性を優先させるということ。

本当のあなたはそれを求めており、それがあなたの天才性の発揮につながる訳ですから。


Facebook田中 宏明さん投稿記事

「ねぇ、らぶ(猫)」「なんだい?」「お前の生きている 理由ってあるのかい」「ないよ」

「なくても平気なんだね」「平気だよ」「どうして?」「今、川の流れが 美しいから」

「なるほどね」「生きるってなんだと思う?」「人間に感して言えば 錯覚を生きているね」

「錯覚?」「僕からみると 人間は生きていない」「いや、生きてるよ」「違うね、いつも 頭の中を生きている」「だから言葉を捨てること」「言葉を?」「それが生きるって ことだにゃ」「言葉を捨てたら 会話が出来ないじゃない」「違うよ、その時はじめて 世界と会話出来るんだよ」「どういうこと?」「今川が何を話して いるかわかる?」「わからないよ」

「ざぁーって言ってる」「それは川の音だろ?」「そうだよ、音が 全てなんだ」「それが会話なの?」「そう、それが一番 確かな会話」「今、タナカくんの 音は濁ってるね」「まぁ、いつもだけど(笑)」「タナカくんも 音を発してるの?」「もちろん」

「この世界のあらゆる ものが音を発している」「岩も?」「発しているよ」「でも何も音はしないけど」「音というのは 聞こえてくるもの だけが全てじゃない」「いわゆる波だよ」

「その存在の 波の動きなんだよ」「言葉を使わなければそれがすぐにわかるんだよ」

「じゃあその岩は 何て言ってる?」「人間の言葉で 一番近いのは」「穏やかな呼吸みたいな ものだよ」「呼吸?」「つまりこの岩は 穏やかさについて話している とも言えるね」

「言葉ではないんだ」「もちろん、言葉なんかを 使って穏やかではいられ ないよ」

「どうして?」「宇宙から分離して しまうからね」「なるほどね」「川は川を楽しんでいるし 岩は岩を楽しんでいる」「それが本当に 生きているという ことなんだよ」

「じゃあらぶは本当に生きている のかい?」「もちろんだよ でもたまにストレスが たまるけどね」「どうして?」「タナカくんとの 会話のせいさ」「ええ?」「人間の近くにいる

 動物はみんなそうなるんだよ」「そうなの?」「でもそれが僕たちの 役割でもあるんだ」

「というと?」「人間の愚かさを 中和することが 人間の側にいる動物の 役割でもあるんだ」「それは大変そうだ」「本当に人間は バカだからね」「まぁね」「それに人間はいつも自分と しか話していない」「そうかもね」「だからいつも ひとりぼっちだと 錯覚している」「タナカくんも たまにそう感じるよ」「そんな時は 自然の中にいるといい」

「うん、自然はいいよな」「どんな鈍感な人でも 自然の中にいると 心が軽くなるよ」

「それはどうして?」「誰も言葉を 使っていないからね」「なるほど(笑)」

「あぁ、でも疲れた 言葉は本当に不便だ」「そうかもしれないね」「じゃあそろそろ 猫に戻るよ」「ありがとう 色々教えてくれて」「らぶ、また 話せるかい?」「ニャー」

「そうか、なるほど 今度は今度」「今は今か」「ニャーー」ワハハ🌈らぶ💓


https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/15087/report 【金子兜太・俳人「総会記念講演 生きもの感覚 ~俳句の魔性~」】より

会見メモ

俳人の金子兜太さんが日本記者クラブ総会記念講演で「生きもの感覚―俳句の魔性」と題して話した。

金子兜太さんのホームページ

http://kanekotohta.jp/

金子兜太さんは、「人間そのものをとくとみなければ」と俳句の先輩である小林一茶、種田山頭火、尾崎放哉の名をあげ「放浪者、漂­泊者のありてい、いきざまをみて、いのちとはこういうものだなと思った」と話した。特に、一茶についてくわしく語り、一茶が日録­に書き残した「荒凡夫(あらぼんぷ)」ということばについて「平凡で自由な人間、と読みたい」と説明。一茶の句を引きながら、一­茶と「生きもの感覚」を考えた。話は山頭火や、産土(うぶすな)、英語のハイクにも広がった。

司会:斎藤史郎・日本記者クラブ理事長(日本経済新聞)

https://www.youtube.com/watch?v=aSSSuVYU4vA

 生きもの感覚~俳句の魔性~

「生きもの感覚」俳句の魔性

吉野 光久 (元日本経済新聞文化部長)

昭和37年、現代俳句協会の分裂の翌年創刊した「海程」を砦に、前衛派の旗手として現代俳句界を終始リードしてこられた氏の舌鋒の鋭さと熱気には、90歳という年齢を全く感じさせないところがあった。

何よりも人間を描く氏は一茶、山頭火ら放浪漂泊の俳人の再評価を通じ、いのちの本質を見定める。

「人間は世間欲にとらわれる一方でナイーブな感性、本能も備えている。森から野に出て歩行を始めた人間のおおもとのふるさとは森。全てのいのちが平等であるこの原郷を志向する本能が『生きもの感覚』です」

2万句を超す一茶の句を読むと、二つの本能の間で葛藤する人間の姿が見えてくる。「そして60歳の正月に一茶は『荒凡夫として生かして欲しい』と書く。欲を重ね愚の上に愚を重ねてきて、もうこのまま思うように生きたいと願う」。荒凡夫、即ち自由で平凡な人間でいたい、と。

「『花芥子のふはつくやうな前歯かな』という句があります。江戸後期のいい歳をした農民の息子が、ゆるんだ前歯の浮いた感じを花芥子のような、と。この洗練された柔らかい感覚には驚く。『やれ打つな蝿が手をすり足をする』も、蝿は手足の先でモノを識別するという最近の学説を知り、なるほどと分かった、あれは手足を磨いて感度を良くしているだけ。一茶はただそれをじっと見ている。決して教訓的な句ではない」

「今日200万人を超える欧米のハイク熱の火付け役、英国人R・H・ブライスは『蚤どもが夜長だろふぞさびしかろ』の句を引いて、一茶を最も日本人的、最も人間的と評した」

生まれ育った秩父の原郷で生きもの感覚を養い、秩父の産土(うぶすな)を踏みしめる氏の近年の傑作。〈酒止めようかどの本能と遊ぼうか〉遊の一字の意味が、熱演を聞いて分かったような気がした。