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偉人『エクトル・ベルリオーズ』

2024.10.11 00:00

フランス生まれのロマン派の作曲家エクトル・ベルリオーズを取り上げる。近代管弦楽法の父と呼ばれるベルリオーズは一般的には知られていない音楽家である。もしかするとディズニの『おしゃれキャット』に登場する猫のキャラクターベルリオーズを想像している方もいるかも知れぬが、そのキャラクターのベルリオーズは音楽家のベルリオーズに由来していることをどれだけのディズニーファンが知っているであろうか。こう考えると現代に通じるキャラクターも偉大なる芸術家と結びついた関係にあると幼い頃から知ることは、新たなる教養を獲得するチャンスであるかも知れぬ。

さて今回ベルリオーズを取り上げたのにはどのような理由があるのだろうか気になるところであろう。今週月曜(2024年10月6日)提案『子の自己評価は親の言葉掛けで出来上がる』に関連して、ベルリオーズの父ルイが息子にかけた言葉について考えてみよう。

1803年12月11日フランス南部のラ・コート・サンタンドレで高名な開業医である父ルイと弁護士一族の娘である母マリー・アントワネット・ジョゼフィーヌ・マルミオンの間に長男として誕生する。幼い頃から開業医となることを期待され父自らベルリオーズに教育を施していたこともあり、彼には大きな期待がかけられていた。12歳の頃父が趣味で嗜んでいた笛のフラジオレット見つけ、父はベルリオーズに吹き方や楽譜の読み方書き方をしえた後にフルートを買い与えたのである。父は勉強の合間の息抜きとして考えていたはずの音楽が、息子を医学の道から遠ざけてしまうものになろうとは予想だにしていなかったであろう。

父ルイは息子に対して「医術というものは人々の命を預かる以上力の及ぶ限り技量の向上に努める必要があると信じて、貧民やぬ民の庇護者として最大限公正無私に職務を遂行し研鑽を積むべきだ」と誇りを持って話していたという。おそらく医者になる息子に将来の医師像を語りかけていたのであろう。結局は音楽家になってしまったので一見関係のないように聞こえるかも知れないが、ベルリオーズが音楽家としての道を邁進し続けることができたのはこの父のかけた言葉が深く関係していることは明らかだ。

世にいうところの名を成した音楽家の多くが遅くとも5歳前後で音楽の道に進んだのに対して、彼は15歳という年齢で音楽家の手解きを受けたかなり遅れての出発だった。よって彼を語る時にはかなりピアノ演奏が下手だったという評価が付いて回っているのだが、ワーグナーなどに多大な影響を与えることができたのは、常に技術を磨く努力をすべきだというスタンスを父の言葉から学んでいからだ。

ベルリオーズは楽器が得意ではなかったがメロディラインを中心とした作曲が得意で、その後15歳で音楽家ドランのレッスンによりギターに夢中になり演奏技術を身につけて行った。その後17歳でバカロレアに合格すると医学の道に進むためにパリに移り住む。しかし医学について学びながらも彼はオペラ鑑賞に足繁く通い、医学の道ではなく音楽の道に進むことを決意したのだ。彼は当時のことをこのように語っている。「たとえ父や母、叔父や叔母、祖父母に友人たちが反対しようとも自分は音楽家になるのだ」と言葉を残し、18歳でパリ音楽学院のオペラ作曲家ル・シュールに師事し、そこから作曲の道へと歩むことになったのである。

詰まるところ父の望みとは違う道を歩むこととなり一切の援助を受けることなく音楽の道を邁進したベルリオーズであったが、パリ国立音楽院に進学した年に音楽家の登竜門であるローマ大賞に応募した。やはり反対を押し切って進学した以上結果を残すんだという意気込みがあったのだと考える。父が学校に変わり自ら教育した結果が彼の努力を惜しまず情熱と勤勉さをもって仕事を成すという考えに継承された。子供に何を伝えるかという点においてはいろいろな考え方があろうが、子供がどのような道を選択しようとも糧になる言葉を掛け続けることが必要であるとベルリオーズの生き方から学ぶことができる。