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「宇田川源流」【日本報道検証】 ドイツでは移民に反対して極右政党が躍進している

2024.09.11 22:00

「宇田川源流」【日本報道検証】 ドイツでは移民に反対して極右政党が躍進している


 そもそも国とは何であろうか。よくこのブログで行っているのは国家としての要素という者は「領土」「国民」「主権」「権益」というように、普通の話とは異なり、私の場合はここに「権益」ということを言っている。経済的な独立性や取引の安全性がなければ、現在の社会において戦争になる。それだけではなく酷寒の運営自体が経済の問題で崩壊するということを考えれば、国体維持ということを考えて、間違いなく「権益」も国家の様そうといえるであろう。まあ、政治に関して「経済政策」や「増税・減税」を語りながら、経済に関する内容を国家の様そうに入れないこと自体が、政治的にナンセンスであることは間違いがないということは、よくわかる人も少なくないのであろう。

さて、実際にその国家が「国家としての独自性」を維持できるのは、国民全体における移民や異文化の人々の割合が「2割以下」出なければならないというように言われている。実際に「2割」を超えてしまうと、その文化は徐々に破壊されてしまうというような研究がある。もちろん、2割以下でも犯罪や武力的な威圧などで強制的に変わってしまうような場合があり、それは植民地経営などでそのように言われているのである。

さて、ドイツはそのような状況の中で、「移民に寛容な国」というようになっていた。

そもそもドイツという国は、私が大学を受験する頃までは「西ドイツ」「東ドイツ」と二つに分かれていて、なおかつベルリンもまさに「ベルリンの壁」というものがあり、乗り越えようとした人々は殺されていたというような歴史があったのである。そのうえで、「極右」は「ナチス」と同義語とされてしまっており、日本のように軍隊がなかったりまたは情報機関がないようなことはないが、当時は西ドイツと東ドイツがそれぞれに軍隊と情報部を持っているというような状態で「同じドイツ国民同士が東西に分かれて敵対関係にあった」という事であった。このように書いてもあまりイメージしにくいので、「韓国と北朝鮮のような状態で、東西に分かれていた」というように考えていただければわかりやすいのではないか。旧ソ連のゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ政策により、東西冷戦がなくなり、そのことによってドイツは少なくとも東西が統一されたが、しかしその思想的な内容まで一緒になったものではなかった。

その後、片方ではNATOという旧東西冷戦時の西側諸国になる同盟関係を維持しながら、片方で旧ワルシャワ条約機構に所属した社会主義思想の教育を受けたエリートが、ドイツの政治の中心的なところに入るという「いびつ」な政治や社会文化になる。

このいびつな状況は、ドイツは、片方で日本のような「先般国」として、世界に貢献するような資産の放出をしたりまたは資金の援助をしたりということをし、同時に、移民を多く受け入れるということをするようになったが、片方で、ドイツは企業を発展させ続け、企業が資本主義を中心にしながら国民を豊かにし続けなければならないというようなことになったのである。

経済分野では資本主義、自由主義経済を推進しながら、政治は旧東欧の全体主義を行っていた。当初このような政策をとったコール首相(1990年統一ドイツの当初から1998年まで)の時代ん、急激な統一を行ったこのような「歪み」から、様々な矛盾がはっせいし、旧東独の若者を中心に「全体主義をやめるべき」「自分たちのドイツ人を中心にした政治を行うべき」というような主張が行われた。コール首相が当時は西ドイツ、つまり民主主義側の政治家と目されていたので、これらの「ドイツだけ」を強調する若者たちを「ネオ・ナチズム」というように当時呼称して、急激な右傾化に反対するということを主張する人々が多くいたのである。

ちなみに、「旧東独の若者が、ネオ・ナチズムを形成する」「それを極右と定義して反対する論調が増える」ということを、多くの人は「不自然」に感じることになる。しかし、実際はそのようなことはなく、実は、もともと民主主義・自由主義経済は、民主主義というように国家の中の民意を中心に行うということから、「保守」「右翼」というように感じ、国家主義であるように考えられ、一方、共産主義が「全世界共産主義革命」「コミンテルン」というように、グローバルを中心にした無国境主義を言うような感覚を持つ。しかし、時間がたつにつれて、経済関係でいえば、経済グローバリズムや、グローバルサプライチェーンを、経済効率化から行うので、民主主義・自由主義経済の方が「全体主義的」になり、一方で、政治的な主義主張を守るということから、経済の仕組みも変わるということになり、そのことから「全体主義国家」のほうが「国境による閉鎖主義」を標榜するようになる。ある意味で、そのような入れ替わりが起きる。この辺の難しいところは、またオンラインサロンの休日コラムなどで、解説することにしたい。

要するに、「旧東欧」のほうが、閉鎖的で、国家主義というか閉鎖主義てきな考え方をするようになってしまっており、そのことから「他の国の面倒などを見ないで、ドイツのことだけを行うべき」というような主張に偏ってきたのである。それが、1990年代の東ドイツを中心にした「ネオ・ナチズム」であった。

 この「急激な東ドイツの吸収による矛盾の解消」は、メルケル首相の時に行われる。それが「ドイツ一国主義からEU全体主義へ」ということで、まさに「世界全体ではなくEUを中心にした全体主義」を言うようなことを言い始めたのである。

要するに世界全チアではなくEUという自分たちが加盟している組織全体ということを言いはじめ、そもそもEUは一つの政府であるべきであり同時に経済圏も同じとなっている(通貨を統一している)というような論理を掲げるのである。

このことによって90年代の「ネオ・ナチズム」は、ヨーロッパ全体が一つの国家と同様になるのであれば、仕方がないというようになってくることになる。まあ、うまくごまかされた形であるが、同時にEUというような拡大版図に他の国を従えた形のトップにドイツがいる(実質はトップではなく中心メンバーというだけであるが)というようになった。そのようなプライドがありまた、ドイツの人々は、EU加盟国をすべてわかっているわけではなかったので、「極端な愛国主義」も「EU全体への愛国主義」というようになる。この感覚は「連合(連邦)国家」と「国家連合」をうまく混同させてごまかすというような手法を使っているのが、特徴である。EUは、現在のところ、主権のある国家の連合体である。つまり「国家連合」であって一つの国家ではない。しかし、「将来的にはEUにすべての権限を集中させる連邦国家になる」というようなごまかしを行い、その時は、中国が使っているのと同じような一国二制度的な、もう少し連結がつよっければアメリカ合衆国のような、連合体になるかのような幻想を抱かせたということになる。

しかし、この感覚は、2014年からのシリア内戦や北アフリカの混乱で、イスラム教徒とという「イスラム教徒」でありなおかつ「生活習慣の違う人々」がEU全体に流入することによって崩壊する。2016年の国連総会では、難民の引き受けについて国連で話をするということになって、当時の安倍晋三首相がそのような引き受けを決めることよりも、平和を窮乏することと、難民を出さない工夫をすべきという演説を行って国際的な支持を得ることになるのであるが、そもそも国連が難民の出る状態を放置しているということ自体がおかしいということになるのではないか。そのような状態は「EU全体主義」と言えども「EU全体も移民によっておかしくなる」ということで、より一層「移民排斥」の機運が強くなるということになるのである。

その内容は、シリア内戦が落ち着いても続き、北アフリカからも来るようになり、また、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエル=ハマス戦争によってより一層大きく報じられるようになったのである。

このような背景から、「EU全体主義」という事であろうとなかろうと「異教徒またはEUと関係ない移民の流入によってドイツの経済がドイツ以外の流入者によって害されてよいのか」ということになる。そのことが今回の選挙で出たということになるのである。

日本の岸田首相は「移民は日本の宝だ」ということを発言したが、実際に労働力としては有効かもしれないが、しかし、それは「日本の文化や日本人の生活、または日本人の作った制度やインフラ、そしていざとなった時の資金を奪われ、生活保護などを受けて犯罪の温床となりながら暮らしている移民」は「日本を破壊する」ということになる。「日本の宝」などと言いながら「日本そのものが壊れてしまっては意味がない」ということが全くわかっていない。

当然に「移民を増やす」のであれば「不法移民やオーバーステイ」等に関して今まで以上に厳しくし、国内において外国人排斥の考え方がないようにしなければならないのであり、その様にしなければ、移民が不法移民と区別がつかなくなり、外国人と日本人の間に争いが起きることになってしまうのである。そのようなことが全くわかっていないのが岸田政権ではなかったか。

そのことと同じ反応がドイツで起きたということになる。ある意味で日本の政策というのはヨーロッパの「周回遅れ」の政策をしている。ドイツ東部のテューリンゲン州とザクセン州で移民や難民の排斥を掲げる右派「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進するのは、ある意味で、「ドイツという国家を壊されたくない」「自分たちの作ったインフラや自分たちの税金は自分たちの為に使うべきであり、『不法移民という犯罪者』に使うべきではない」というような考え方が広まる。それだけ不法移民の勝手気ままで税金を虫食いのように喰いつくす態度は、国民の反感を買っているということになる。

現在、立憲民主党も代表選を行いまた、自民党も総裁選を行う。このような意見を出しても全く理解を示さない岸田内閣ではなく、新たな代表者たちは、どの様にこの問題を考え、ドイツの内容を「人の振り見て我が振り直せ」というようにするのであろうか。