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Rei.Kikuchi_ Re:Life

障害って?

2019.01.06 14:17

(前の記事に、「次の記事には手術内容の詳細を書くよ!」と言ったけど、ちょっと小話、挟ませてください♡)



2019/1/10 の手術によって、

わたしは、身体障害者デビューをします。



手術の直前、5日前に手術方法が最終決定しました。

それ以前の3ヶ月間は、

左足の大腿(ふともも)切断の可能性もある、という現実を、背負って暮らしました。

そして今後の人生において、切断する可能性も無くはないと知り、

「切断・義足」について、この3ヶ月間、出来る限りの勉強しました。



ありがたいことに、

今の時代、SNSでは、義足ユーザーの投稿をリアルタイムに拝見することができます。

わたしのInstagramのタイムラインでは、日常的に、義足ユーザーの投稿が流れてきます。



(以下は、炎上覚悟で、書きます。)

はっきり、素直に言って、

最初は、ゾッとしました。

義足ユーザーたちの、足が無い姿に。


さらに、

入院生活では、

下腿(ひざ下)切断をされた女性患者さんと知り合いました。(彼女とはチョー仲良し。)

ホントのホントの素直な気持ちを言ってしまうと、

彼女に会った当初も、

下腿の無い彼女の姿は、

ショックだった。

そして、「あぁ、わたしも、そうなるのかもなぁ 悲」と思い、

足が無いこと=悲しいこと

と感じていた。

障害のある人=かわいそう

と思ってしまっていた。



ですが。




はたして。

障害があると、かわいそうなんだろうか?

てゆか、そもそも、障害って、なんなんだろうか?


と、いまはとても思う。



以前、入院中ではあるけど、外出許可をもらって、松葉杖で外出しようとした際の出来事。



「電車で移動する体力と自信はあるけど、わたしは良くても、(松葉杖のわたしという存在が)周りの人の邪魔になるから、タクシーで移動する予定です。」

と、リハビリの先生に言いました。


そしたらリハビリの先生は、

「その考え方は、間違っています。松葉杖の人=邪魔ではないです。痩せてる人がいて、太っている人がいて、松葉杖の人がいて、松葉杖じゃない人がいて、ただそれだけのことです。電車に乗る権利は、身体が不自由な人にも平等にあります。」と言ってくれた。



「ふつう」ってなんでしょうか?

ビョーキになってから、ずっと問いてきましたが、

「ふつうは、無い」んだな、と、最近やっと、わたしは思いました。



ふつうは、こうだ。

ふつうは、こうする。

ふつうは、やらない。



大多数の意見から産まれる「ふつう」というレールがあることは自然的なことだと思うし、レールがないと社会的にうまくいかないこともあるとは思う。



でも。

ふつうじゃない人にふつうを押し付けることは、しないでほしい。

ふつうじゃないのを、ふつうじゃないという目で見るのを、しないでほしい。



それよりも、

「なにか手伝うことはあるかな?」

という気持ちで関わってほしい。

「かわいそう」じゃなくて、

「どんなあなたも素晴らしい」

という気持ちで関わってほしい。



こんなカッコつけたこと言ってるわたし。前述した通り、ついこないだまで、

「ふつうじゃない=かなしい、かわいそう」と思ってしまう、低レベルな人間です。



ただ、これについては、

島国で単一民族である日本人。DNA的に仕方がない部分もきっとあるんじゃないかとも思っている。(←DNAのせいにするわたしの性格の悪さ…)



君は君、わたしはわたし。

ただそれだけのこと。

身体が不自由だろうが不自由じゃなかろうが、

困っている人がいたら、手伝う。

ただそれだけのこと。

違いを忌み嫌うのではなく、

違いを楽しみ合えるように。



全員、なにかは、違う。

本当に、ただ、それだけのことだと、わたしは、思う。

(みなさんは、どう感じますか?)



photo by 俺  @8階のお庭