花巡る
https://note.com/muratatu/n/n4b982d0bacd8 【花巡る 黒田杏子の世界】より
3月13日は黒田杏子の命日である。
その一周忌の日付にて、藤原書店より『花巡る 黒田杏子の世界』が刊行され、寄稿者のひとりであるわたしの元に郵便で届いたばかりである。
次が同封されていた藤原良雄社長の送り状である。
この文面からも解るとおり、本書は黒田杏子と親交の深かった藤原良雄氏の衷心から哀悼の想いによって成った書である。
石牟礼道子論をワイフワークとしているわたしには、このお二人は大恩人である。
戦後の俳句界にこのような方が存在したことは、幸運以外のなにものでもないと言えよう。その恩恵に浴した人は枚挙のいとまがない。
目次の一部を以下に転載させていだたく。
昭和、平成、令和の俳句界を牽引した第一人者、黒田杏子の偉業を知る上でも、ぜひご購読いただき、座右の書とされることをお薦めする。
わたくしの寄稿の全文を下記に転載させていただく。
巡礼と邂逅の彼方に 武良竜彦
黒田杏子氏は、私のライフワークとする石牟礼道子論の完成を励まし続けてくださった方である。私が現代俳句評論賞を拝受した石牟礼道子俳句論を書く以前から、私のライフワークが石牟礼道子文学であることを知っていた方である。
社会批評的な視座を含む石牟礼文学論を書くことを想定して、全作品の研究をしていた私には、最初は俳句論を軸としてそれを纏めるという視座はなかった。その視点からの起稿を教唆されたのが黒田杏子氏だった。
私は石牟礼道子が俳句も遺していたことは知らなかった。
『石牟礼道子全句集 泣きなが原』の出版を藤原書店の藤原良雄社長に示唆されたのは黒田杏子氏であったという。
大学生時代に畏友の高野ムツオから、現代俳句の凄さ、可能性について教えられていたが、私は俳句の道には入らなかった。だが黒田杏子氏のおかげで石牟礼道子が俳句作品も遺していることを知り、必要に迫られて、高野ムツオが主宰する「小熊座」の門を叩いたのである。そして俳句の実作の経験を積み、同誌で俳句時評を担当させてもらい、俳句評論文を書く足腰を鍛えさせてもらった。
そんな私の評論文が齋藤慎爾氏の目に留まり、齋藤氏が総合誌で書いていた俳句時評で何度も名指しで褒めていただき、氏との交流が始まった。齋藤氏の最後の句集『陸沈』の解説文と、付録の栞で「齋藤慎爾全句集論」という総括的な評文を書かせていただいた。
それを目にされた黒田杏子氏から激賞のご連絡をいただいて以来、彼女をとの交流が始まったのである。
私の石牟礼道子論は未完であり、目下「小熊座」誌上にて連載中で、今年中には完結の予定である。論稿の完成を楽しみにしてくださっていた黒田杏子氏、相次いで齋藤愼爾氏の両氏の訃報が昨年、相継いだ。私はその深い喪失感の中にいる。
齋藤愼爾氏が『木の椅子』増補新装版で、「俳人協会」に身を置く黒田杏子氏が「現代俳句協会」の大賞を授与されたことに、これまでの狭いセクショナリズムの壁が崩壊してゆく気配を感じているという意味のことを述べられていた。その後、現代俳句協会は無所属の齋藤愼爾氏にその同じ大賞を授与している。俳句界再編統合の兆しはこのお二人の逝去によって遠退いてしまった。
※
最後に、黒田杏子氏の俳句作品について述べておきたい。
第一句集『木の椅子』には巡礼・魂の道行きのオリジンの輝きがある。
日本古来の、特に仏教思想の流れによって育まれた日本人の精神性の底流を貫き伝承されてきたものである。巡礼とは己を虚しくして魂の遍歴を行う精神的な行為である。
会派を超えて先達・後輩の創作的精神性に寄り沿い、敬愛と励ましの真心を捧げる黒田杏子氏の行為の根幹には、この巡礼の思想がある。
蟬しぐれ木椅子のどこか朽ちはじむ 『木の椅子』
父の世の木椅子一脚百千鳥 〃
木の椅子は常に自分に居場所を与えてくれるものであり「巡礼」に出かけてはまた還り来る場所でもあり、そういう魂の活動と循環の末に朽ちゆくものでもある。自分の居場所には「蟬しぐれ」を降り頻らせ、父の居場所には「百千鳥」の鳴き声を降らせている。
伝統的な俳句表現では無常観の表現として詠まれて詠嘆的になる傾向があるが、黒田杏子俳句では、それを決して「嘆き節」にはしない矜持がある。
牛蛙野にゆるされてひとり旅 『木の椅子』
必ず死で終わる命の旅を終末観などでは詠まない。人間中心主義ではなく、生かされて「在る」という天の摂理への感謝と釣り合う自己肯定感と拮抗するような詠み方である。
ホメロスの兵士佇む月の稲架 『木の椅子』
古代ギリシャ(紀元前八世紀末)のアオイドス(吟遊詩人)であった「ホメロス」は盲目であったという説もある。本邦の平家物語を「かたる」琵琶法師、過去の不幸の物語を三味線で「かたる」瞽女という盲目の「かたり手」。古代ギリシャでも、盲人が社会で就けた数少ない職業が「うた」の語り手だった。この句では月夜の苅田に佇んでいるのは「ホメロス」が「うたった」叙事詩の中の戦場にいる「兵士」だ。ここに孤高の俳人精神である「巡礼者」としての、黒田杏子氏の吟遊詩人のような身上の投影があるように感じる。
稲光一遍上人徒跣 『一木一草』
涅槃図をあふるる月のひかりかな 『花下草上』
黒田杏子氏の魂の巡礼は此岸彼岸の境も超えてゆく。
黒田杏子先生、彼岸にてまた。
黒田杏子命日に
杖欲す泉下の杏子に借りる春 竜彦
https://note.com/mishimahiroshi/n/nef885735fbff 【俳句と“からだ” 197 『語りたい兜太 伝えたい兜太』】より
董振華が聞き手と編集を担った『語りたい兜太 伝えたい兜太』(コールサック社)が上梓された。黒田杏子監修のもと、中国出身で日本在住の董が金子兜太に深く関わった13名へ行ったインタビューをまとめている。同社から再刊され話題を呼んだ『証言・昭和の俳句』(聞き手・編者黒田杏子)の形式を踏襲し、各人各様の兜太観が対談によって燻り出され興味深い。ぜひ一読を勧めたい。
特に共感した部分を紹介しよう。
関悦史は「岡本太郎とか丹下健三とかみたいに昭和史と絡み合うように大成して、そのことで俳句の世界から外の世界への窓口になってしまい、それを引き受けていた」という見解を示している。たしかに金子は時代を引き受ける役割を担っていた。国会デモなどで使用された「アベ政治を許さない」という言葉。澤地久枝の発案で揮毫を依頼されたのが金子であることは俳句界では知られており、大胆な「一発書き」だと本人が述べている。
人体冷えて東北白い花盛り
宮坂静生は「あなたによって俳句史は生きた人間の心の表現史に書き換えられた」として、「秩父の『山国の田舎っぺ』の兜太さんが土に培われた『美の型のようなもの』に俳句表現の源があると気づかれた」と述べている。この着眼点もこれからの俳句にとって欠かせないものとなるだろう。
強し青年干潟に玉葱腐る日も
筑紫磐井の話は戦後俳句史の講義のようだ。「金子さんの場合は(中略)同時代と競い合って生き残り、それから下の(稲畑)世代と競い合ってほぼ同じ時期まで生きて二世代分の活動をしたけれども、まさに活動をしながら亡くなった」と位置づけ、「誰も兜太の後を継げるような人はいないのではないか」としている。
朝はじまる海へ突込む鴎の死
最年少の神野紗希は「人間であり続けるということを選んだ人だったと思います。俳人である以前に、人間である。いや、俳人とは人間である。その当たり前の真実を、愚直に強く広く実践された作家でした」と64歳年長の金子を偲ぶ。
子馬が街を走っていたよ夜明けのこと
高山れおなの帯文は「我々の俳句は、これからも、なんどでも、この人から出発するだろう。(中略)李杜の国からやってきた朋が、これらの胸騒がせる言葉をひきだした」と核心を突いている。
他の証言も興味深いが字数の関係で紹介できない。改めて思う。畢竟、兜太とは語り尽くせない存在者なのだろうと。
(句は全て金子兜太作品)
株式会社オフィス三島 三島鍼灸指圧治療室 鍼灸指圧師 愛知県鍼灸マッサージ師会会員 八事整形会・八事整形医療連携会会員 俳人協会・現代俳句協会会員 藍生俳句会・いぶき俳句会会員 名古屋市高年大学鯱城学園講師 元愛知大学オープンカレッジ講師
https://www.coal-sack.com/syosekis/view/2906/ 【董振華 聞き手・編著/黒田杏子 監修『語りたい兜太 伝えたい兜太 ― 13人の証言』】より
我々の俳句は、これからも、なんどでもこの人から出発するだろう。「十三人の詩客」がそれぞれに見た永遠の、可能性としての、兜太――。李杜の国からやってきた朋が、これらの胸騒がせる言葉をひきだした。(帯文:高山れおな)
目次
まえがき
第1章 井口時男
金子兜太と知り合う/『金子兜太 俳句を生きた表現者』執筆のきっかけ/『金子兜太 俳句を生きた表現者』の意義/金子兜太の思想の根幹と秩父困民党/金子兜太のアンビバレントな父親像/戦後の社会性俳句と背景/社会性と芸術性を両立させる兜太俳句のメタファー/俳句と短歌におけるイロニー/松尾芭蕉の俳句のイロニー/高柳重信の俳句のイロニー/西東三鬼の俳句のイロニー/塚本邦雄の短歌のイロニー/金子兜太の俳句の述志/金子兜太の男性性とフェミニズム/金子兜太の中の母親像/金子兜太と一茶と山頭火/破調と無季と季重なり
井口時男の兜太10句選/井口時男略年譜
第2章 いとうせいこう
俳句は幼い時からお馴染みだった/「お~いお茶新俳句大賞」選考会の金子兜太と森澄雄/『他流試合 兜太・せいこうの新俳句鑑賞』の回顧/俳句と自分の文筆活動/自分の小説の中に俳句を取り入れる書き方があるか/俳句とヒップホップ/僕の俳句は金子兜太派だ/我が子の成長を詠む俳句を変わった形の句集に/『東京新聞』に終戦記念日の「金子兜太・いとうせいこうの対談」の回顧/二〇一五年の元日に「平和の俳句」がスタート/「平和の俳句」選句中の二人の空気感とバランス/「平和の俳句」と並行して、「アベ政治を許さない」ムーブメントの展開/金子兜太は大きな山のような存在だった
いとうせいこうの兜太10句選/いとうせいこう略年譜
第3章 関悦史
朝日文庫「現代俳句の世界」シリーズの『金子兜太 高柳重信集』を通じて兜太俳句を知った/兜太と最初に会ったのは正岡子規国際俳句フェスティバルだった/兜太の俳句韻律と私の二度の宗左近俳句大賞候補者経験/兜太に呼ばれて秩父道場へ講演に行ってきた/風通しをよくしてくれた兜太/兜太俳句の文体はこれから続けられるか
関悦史の兜太10句選/関悦史略年譜
第4章 橋本榮治
挨拶は「おう」でした/伊昔紅と兜太の校歌/秩父音頭を愛した伊昔紅と兜太/伊昔紅句集『秩父ばやし』と兜太さんの跋/兜太俳句の調べ/兜太と伊昔紅の俳句の違い/門前の句碑と二度の来訪(玉宗と兜太)/兜太という人間への評価
橋本榮治の兜太10句選/橋本榮治略年譜
第5章 宇多喜代子
伝聞の金子兜太のイメージ/本物の金子兜太に出会う/現代俳句協会会長就任と三大仕事/秩父俳句道場で「稲の元を訪ねる昆明の旅」を語る/稲作発祥の地―河姆渡遺跡/私の俳句の原点は米、そして水と土/現地青年の結婚式参加及び句集名『象』の由来/古来の文明を守る俳句の力/日本の歳時記の元の元は『荊楚歳時記』/金子兜太の俳句/金子兜太の人間性
宇多喜代子の兜太10句選/宇多喜代子略年譜
第6章 宮坂静生
金子兜太に作品を依頼したのち、その作品を注目するようになる/第一句集『青胡桃』で兜太からの感想文をきっかけに交流開始/『今日の俳句』―兜太から学んだこと/「鷹」を経て、「岳」を創刊する/「俳句の現在」―「岳」創刊二十周年大会における金子兜太の講演/兜太と一茶の「荒凡夫」/金子兜太と大峯あきら対談―兜太の宇宙・あきらの宇宙/現代俳句協会創立七十周年記念と私的戦後俳句総括/混沌たる明晰―金子兜太への弔辞
宮坂静生の兜太10句選/宮坂静生略年譜
第7章 横澤放川
金子兜太と交流を持った経緯/「兜太 TOTA」創刊の経緯/兜太と草田男―共感と反発と/兜太と草田男とのもう一つの争点は季題論/兜太と千空と/「兜太は未完ですね」―成田千空の言葉
横澤放川の兜太10句選/横澤放川略年譜
第8章 筑紫磐井
ライバル心を持ち合う登四郎と兜太/「俳壇」の座談会で兜太と初対面/テレビ講義の芭蕉の『野ざらし紀行』から「馬醉木」や「沖」に入会/季題・季語・季感・季重なり/花鳥諷詠と俳諧自由は思想の対立ではなく流儀の違い/金子兜太「第三回正岡子規俳句大賞」を受賞/『伝統の探求』に兜太反発/『戦後俳句の探求』は兜太推薦/青年の敵―秩父俳句道場回想/雑誌「兜太 TOTA」創刊/兜太の代表句にかかわるエピソード/俳壇において兜太の逝去により一つの時代が終わった
筑紫磐井の兜太10句選/筑紫磐井略年譜
第9章 中村和弘
金子兜太先生とはいろいろな意味でご縁がありました/「陸」創刊三十五周年記念講演―『詩經國風』について/兜太の遺志を受け継いで現代俳句協会国際部をより活発に活かす/金子先生のいわゆる「マーケティング」の意味と応用/師とは何か、弟子とは何か―加藤楸邨と金子兜太/兜太現代俳句協会新人賞設立にあたって
中村和弘の兜太10句選/中村和弘略年譜
第10章 高野ムツオ
「駒草」を経て「海程」へ/兜太の暖かい人間性と「海程」仲間の激励/秩父俳句道場と「みちのく勉強会」/「小熊座」への参加と「海程」からの自然消滅/第一句集『陽炎の家』/「小熊座」への金子兜太の講演/秩父道場で二回講演/兜太から学んだこと
高野ムツオの兜太10句選/高野ムツオ略年譜
第11章 神野紗希
兜太を「俳句甲子園」で知り、「十七音の青春」で会い、「俳句王国」で親しくなる/兜太俳句の中の無季俳句について/豪快と繊細を兼ねた優しい兜太/『新興俳句アンソロジー』刊行、新興俳句の影響を受けた兜太/昭和から平成にかけての兜太俳句/夢と現の二重世界をゆききする兜太/兜太が後世に遺したものは何か
神野紗希の兜太10句選/神野紗希略年譜
第12章 酒井弘司
「寒雷」の句会、新人句会、句集の序文を通じて兜太さんと知り合う/「海程」創刊に向けて俳句専念の決意/俳句誌創刊への強い働きかけ/「海程」創刊の時代背景、誌名、方針/創刊同人について/創刊のことば―俳句への愛―/「海程」の編集委員時代、自負できること/兜太俳句並びにその人間性―昭和後半から平成を代表する俳人/俳句を「最短定型」という形式規定一本に絞り、自らの主体性を貫く/地上的な詩形を持った俳人/兜太さんは常に時代に責任を持つ俳人だった/「造型俳句」論―独自の俳句理論を確立した/兜太さんはもっともっと語り継がれていくべきである
酒井弘司の兜太10句選/酒井弘司略年譜
第13章 安西篤
「胴」「風」を経て、金子兜太に師事し、「海程」へ/「金子兜太」論を執筆した背景/金子兜太のあゆみは永遠に/いのちの韻律―金子皆子夫人の俳句/一茶に関心を持ち、そして学んだ兜太/兜太は時を超えた存在
安西篤の兜太10句選/安西篤略年譜
アドバイザー監修者として 黒田杏子
おわりに