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この道往けば act2

富山遠征第3弾 旧倶利伽羅峠 後編

2024.09.11 13:50

さぁそれでは先へ進みましょうか。

この辺りは実はまだ県境を越えていません。

ややこしいんですよね、この周辺。

ちょうど峠の尾根に倶利伽羅公園がありました。

そしてここ結構広いんですよね。

ちょっといろいろ見て回りましょう。

この辺りの山は砺波山(となみやま)と呼ばれています。

万葉集に載ってるというのはかなりの歴史です。

日本最古の和歌集の一つですからね。

なんか芸術的な石碑がありました。

これはちょっと読めないな。

漢文は苦手ではありませんが、レ点は欲しいですね。

なんせ尾根なんで広いとは言っても、平野部分は広くないです。

この辺りが唯一公園っぽいところ。

なかなか子どもはいないですが。

公園は平坦で道は上っているので、結構な高度差になっています。

この辺りは登山者も多いので階段が設置されています。

ちなみにですが・・・、

反対の尾根に登れる階段があります。

しかしこれえっぐいな。

もう少し麓に近ければ近くの運動部が練習に使いそうですね。

これから進もうとする道の先に小径がありました。

これはなかなか気になる小道です。

とり急ぎ横目に進みましょう。

やはりここは展望がいい

標高のわりにすごいですね。

合戦図などもあり、なかなか見応えがあります。

意外と広い倶利伽羅公園、尾根伝いに伸びています。

この辺りには火牛の計の人形などもありました。

実際にこの作戦が取られたのは富山県側と言われてますので、ここからのエリアですね。

石川県側は少々なだらかすぎます。

公園の最後は桜並木で締める。

花見したら気持ちよさそうですね、ここ。

大勢の人が集まりそうです。

車窓から見える小矢部の街並み。

街と山頂のこの間で火牛の計が行われたのでしょうか。

そう思うとなかなかロマンのある光景です。

もう使われてなさそうな林道がいくつか分岐していました。

この道は観光道路としてあるあるな名前付き道路です。

源平ライン(げんぺいライン)

この道にふさわしい名前ですね。

さて、本格的に下り始めましょう。

だいぶ長らくうろうろした石川富山県境もさすがにこれでおしまい。

一気に下っていきます。

古戦場らしく至る所に案内があります。

一つ一つ見ていくのも楽しそうですが、あいにく僕は道の探索に来ているので、道関係以外のものは華麗にスルー。

気になるのもありましたけどね。

というわけで道のアナウンスを。

源平ラインという名前はやはりわかりやすいですね。

結構道は入り組んでますが、この看板のおかげで迷うことはなさそうです。

なんか右上だけぼやけてますが、気にせず行きましょう。

心霊現象ではないはず笑

古戦場ですからそういう話もありそうですけど、ここはあまり聞きませんね。

平和でいいことです。

こっちの写真でもぼけてますからね。

汗かなんかがついたんでしょう。

そして道は意外なほどまっすぐです。

そろそろ刺激が欲しいなぁなんて思っていたら・・・、

良いヘアピンカーブじゃないか。

これこれ、こういうのを待ってたんですよ。

歴史探索ブログじゃないんでね。

道について語りたいわけですよ。

R自体が大きいわけではないですが、ここでのヘアピンがここしかないため結構印象に残っています。

やはり線形マニアとしては、ヘアピンは華なわけですよ。

きっとわかってくれる同志はいるはずだ。

本当にこの道は桜が多いな。

しかし、だからこそ麓の予感を感じました。

ゴールは近そうです。

よく見ると生垣のように刈り込まれている下草。

これは管理が行き届いてますね。

やはり知名度のある観光地は違います。

そして無料なのがまたいいね。

景色から察するにかなり麓まで下りてきたと感じられます。

小矢部市の町に降り立つのもそろそろでしょうか。

この後はさすがにこの倶利伽羅峠エリアから離れる予定となっています。

結構長い間、この辺りで探索してましたからね笑

勾配もほとんどなくなりました。

こうなるとあとはいつ抜けるか、それだけになります。

抜けた!

ここからはどこにぶつかるか。

そこに興味が移ってきますね。

富山県道274号砂子谷埴生線

(すなごたにはにゅうせん)

ここにぶつかって、源平ラインは終了となります。

ちなみに源平ラインは県道などには指定されていません。

分類としては市道になるのかな。


実はまだ探索しきれていないところもあるのですが、今回はここまで。

いずれ必ず、さらなる倶利伽羅峠の深みをお見せしましょう。


以上、旧倶利伽羅峠編