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轟英明さんのインドネシア・レビュー、第11回 アジア大会で金メダル独占!伝統的護身術プンチャック・シラットの奥義に迫る!!インタビュー後半

2019.01.07 01:17

 前回に続き、日本プンチャック・シラット協会会長にして、日本人として只一人の国際審判員ライセンス保持者である早田恭子さんへのインタビュー後半をお届けします。今回は動画を多数紹介しますので、読者の皆様には是非クリックしていただき、シラットの魅力の一端にふれていただければ幸いです。

 インタビューに入る前に、早田さんお勧めのシラットの動画をまずはご覧ください。これはジャカルタでのイベントで、飛び跳ねたりする派手さはありませんが、達人の熟練した動きが実に魅力的です。



私がお勧めしたいのは今年ベルギーでおこなわれたオープン・トーナメントでのインドネシアチームの演武です。

では、インタビュー本編後半をどうぞ!ジャーン!!!


<インドネシア国内におけるプンチャック・シラットの現状について>

- インドネシアでプンチャック・シラットの全国組織インドネシア・プンチャック・シラット協会(IPSI) が結成されたのが1948年、その後国際プンチャック・シラット連盟(PERSILAT)が設立されたのが1980年、伝統的護身術から近代スポーツへの脱皮に時間がかかっている印象を受けます。既にスポーツとして各国に普及している他の護身術、例えば空手やテコンドー、武術太極拳と比較した場合、シラットには際立つ特徴がありますか?


 伝統的護身術としてそれを実践・伝承してきた地域と、近代スポーツとしてのそれを開発・主導した地域の一致する範囲が狭いのがシラットだと思います。 ちなみに、1950年代のPONでシラットが競技として実施されているそうです。つまり、近代スポーツとして普及発展を目指す勢力あるいは思考は、インドネシアで意外と長い歴史を持っていることになります。そして50年代と形態が違うにしても、PERSILAT設立時には競技シラットとしての土台が多国間で共有されました。通信手段など現在とは異なる社会インフラを考えれば、30年ほどで伝統的護身術を母体とする近代スポーツとして認知されているのは、早い方ではないかと思います。

注1)PON = Pekan Olahraga Nasional , 州対抗のスポーツ競技大会。日本の国民体育大会に相当する。 


- なるほど、仰るとおり社会インフラの違いを考慮すれば、近代スポーツとして着実に発展してきているというのが実態に近いのですね。訂正いたします。  それでは、どの地域に伝統が色濃く残り、或いはどの地域が近代スポーツとして盛んなのでしょうか?地域だけでなく、階層によっても伝統の継承やスポーツ化の面で違いは見られるのでしょうか?


 前述の「地域」はインドネシアを全てとした場合の地域ではなく、マレー文化圏を想定しています。私自身で調査研究をしたわけではありませんから、あくまで印象論ですが、マレー語の通じる、あるいは語彙を共有するエリアは基本的に伝統護身術として実践伝承してきた「地域」だと思います。一方、近代スポーツとしてのそれを開発・主導した「地域」はかなり狭く、ジャワ島を中心とした表層部分と言えるのではないでしょうか。ただし近代スポーツとしての起こりは小さな点でも、SEAゲームズという東南アジア全体が競う舞台でいくばくなりとも強い足場を築いたがために、伝統護身術として実践伝承してきた地域外、つまりはベトナムやラオスといった国において、近代スポーツとしての発展に力が入れられているように感じます。

 少し狭い範囲、インドネシアに絞って話をすると、地域・階層で継承・スポーツ化に違いは見られません。同じ地域に継承する集団、スポーツに注力する集団が混在しますし、アクターが重複することもあります。階層によっての違いも顕著ではありません。高学歴富裕層がスポーツにのみ興味があるというわけでもないですし、社会的地位が低い経済困窮層がスポーツに参戦できないわけでもありません。


-例えば、アジア大会での金メダリストの多くが西ジャワ州の出身でした。これはやはり同地がシラットが盛んであることと関係があると捉えてよいのでしょうか?


 演武部門は西ジャワ州出身の選手が多かったのは事実です。また、西ジャワはシラットの故地の一つであるとも自負しているため、伝統を継承する集団が多いのも確かです。ただ個人的に、スポーツで好成績を修めるには広い裾野(多くの競技人口)と整った設備(効率的な練習)が大きな役割を果たすと思っています。盛んでなければ得るのが困難な要素ではありますが、西ジャワで盛んな“シラット”が“競技”と同義ではない以上、関係があると明言はできません。


-現在製薬会社のCMで人気のウェウェイ・ウィタさんはアジア大会50-55kg級の金メダリストですが、父親はシンガポール出身の中国系です。シラットとイスラーム信仰の結びつきは必ずしも必須ではないと考えて差し支えないのか、あるいは流派によるということなのでしょうか?


 ウェウェイ・ウィタさんはイスラーム教徒です。信仰という点からみれば、実はこの質問自体が成立しません。しかし、マレーシアで「スポーツにおけるシラットの技術は信仰・民族に関わらず教えるが、伝統武術としてのシラットはムスリムにしか伝えない」と言われたことがあります。シラットはイスラーム信仰と結びつけてイメージされることも多く、プサントレンでの鍛錬に採用されていたりします。それでも、結びつきが必須かどうかは流派(もしくは師範)によります。イスラーム信仰と不可分の流派から、ムスリムではなくても技を授ける流派、さらにはキリスト信仰と結びついている流派まで様々です。


(参考)人気トークショーに出演するウェウェイさんと両親


(参考)ウェウェイさん出演のテレビCM



- ウェウェイさんが非イスラーム教徒と思ったのは私の早とちりでした。失礼しました。 ところで、伝統的なプンチャック・シラットには護身術としての面だけでなく、舞踊としての面も色濃くあります。 

(参考) 結婚式におけるプンチャック・シラットの演武

- また、バンテン州におけるジャワラ(jawara)は武芸者、シラット使いを指すと同時に呪術も司っていると言われます。早田さんが所属されている流派はこうした潮流との交流はあるのでしょうか、それとも全くの没交渉なのでしょうか?

(参考) 昨年のジャカルタポスト記事 

http://www.thejakartapost.com/news/2017/12/02/debus-practice-test-invulnerability-claims-victims.html



 私が「結婚式でのシラット」として想起するのはSilat Pengantinと呼ばれるもので、シンガポールやマレーシアで見られるものです。

 ご紹介いただいている動画はHajatanのシラットかと思います。SilatPengantinは参列者が新婚夫婦に祝いを述べるもので、Hajatanのシラットは披露宴(宴会)の余興と言えるでしょう。


 イスラーム教徒であった私の師匠はムスリムでなくとも技を伝える人でしたが、核の部分を知ることはムスリムでなければできない、としていました。私自身はガイブ(幽玄)はあるものと認識していますが、呪術やバンテンのシラットに多くみられるDebusについては、ご縁がなく詳しくはわかりません。

注2) Debus = 鋭利な刃物や針等を身体に刺して強靭さを誇示するパフォーマンス


<国外におけるプンチャック・シラット普及の課題について>

- インドネシア人の中にはシラットと言うと、こうした護身術以外の側面を思い浮かべる人も少なからずいるようですね。こうした側面はスポーツ化や海外への普及を目指すうえで時として障害にもなりうると思うのですが、伝統の継承とスポーツ化による普及のバランスは現状どのようになっているのでしょうか?


 国や地域によって状況が異なります。大まかには、スポーツとしてのシラットがシンプルに独立して扱われている場合と、伝統の継承や文化の学習と不可分のものとして扱われている場合に分けられます。前者の場合は護身術としての側面以外が置き去りになり、後者の場合はスポーツとしての普及が足踏みする傾向があるように感じます。ちなみに日本の場合は後者です。


 - 日本の場合、シラットの普及が足踏みしている理由は色々あると思いますが、一番大きな理由は何だと思われますか?


 まずは日本の生活が忙しいことです。忙しさを前提に出来上がってる生活リズムに、変わったマイナーなスポーツあるいは武術が定期的な割り当てを受けるには、相当な好事家を呼び込むしかありません。次に、習える場と教える人が限定されていること。スポーツより伝統武術としてのシラットに需要があるとしても、潜在的にやってみたい人はそれなりにいるはずです。単発でも体験してもらう機会が増えることで、次のステップに行けるのだと思いますが、なかなかそういった機会を作ることができていません。 


- アジア太平洋戦争中には多くの日本人が軍人民間人問わずインドネシアへ渡り、敗戦後に帰国しているので、当時のインドネシアで伝統的シラットに触れた日本人は少なからずいたと思いますが、それが日本へ紹介されることはなかったのでしょうか?日本軍政の関係者が対連合軍との戦いに向けてシラットの使い手を利用する動きはあったとしても不思議ではないと思うのですが、寡聞にして聞いたことがありません。


 どうも剣舞・舞踊として認識されていたようです。武術家が武術としての紹介はしていないのではないでしょうか。また、使い手を利用する動きはあったかもしれませんが、それはシラットを戦いの手段として使わせるのではなく、使い手たちがすでに集団として存在しているので、それを運用するというものだったのではないかと思います。 


- 日本人とシラットの初めての出会いというのは興味深いテーマなので、機会があれば調べてみたいですね。意外と江戸時代初期、鎖国前の朱印船交易の時期に日本で失業した侍たちがシラットと出会っていたかもしれません。 ところで、欧州におけるシラット競技人口は日本よりも多いように見えますが、これはスポーツとして扱われている面が強いからでしょうか?欧州でのシラット普及の端緒はオランダ人から始まったのではないかと想像しますが、現状はインドネシア人主導なのか、それとも既にヨーロッパ人の師範はかなりいるのでしょうか? 


 スポーツとして扱われている面が強いのが一因ではありますし、格闘技というものに対する姿勢の違いもあると思います。日本は一人一武芸、あるいは一道場一武芸という傾向があるように感じますが、欧米では一人の師範が格闘技というくくりでマルチに教えている印象です。基盤となるなんらかの武術はあれど、一つの道場でテコンドーと空手とシラットとグラップリングを教えていても奇異な感じはしません。また、シラットがその地に存在する歴史の長さも関係していると思います。


 欧州におけるシラットの普及の端緒はオランダからです。これはインドネシア生まれで戦後に強制帰国させられた植民地政府支配者層関係者だったり、インドネシアからの移民であったりです。つまり、遺伝的な意味でのヨーロッパ人師範は、新しい存在ではありません。インドネシアにルーツを持つシラットが、伝統武術としてオランダ経由で欧米に持ち込まれて半世紀が経っています。その土台があるところにスポーツが紹介されています。伝統武術のプラスアルファとしてスポーツを、あるいは、単純にスポーツとして、どちらの方向からもシラットに人が参加してきているようです。間口が広ければ、競技人口も多くなります。 


 また、欧州におけるシラットの主導がインドネシア人なのか、ヨーロッパ人なのか、という話に関しては、どちらかに偏るものではない、と言えるでしょう。また、インドネシア人だけではなく、マレーシアやシンガポールにルーツを持つシラット関係者も、欧州におけるシラット発展に寄与、努力しています。  


- 欧州におけるシラットの普及の歴史は日本のそれとはだいぶ違うわけですね。一方で、近年普及しつつある中央アジアや南アジアでは他の格闘技からの転向組が目立つ印象があります。私の偏見かもしれませんが、試合部門ではシラットらしくない動きや反則が見られたり、また演武ではややキレを欠いている印象です。彼の地での普及における一番の課題は何でしょうか?


 この問題を解決するにはクダクダやパサン(シラットにおける基本的な立ち方や構え)を身につけ、ルールを知ることです。しかし、競技人口の拡大を優先しすぎて、知るべき必要最低限のハードルが下がっているのかもしれません。ここは身につけて欲しい/知って欲しい、という内容があまりにも多いと競技人口は増えません。しかし、要は殴って蹴ればいいのでしょう?と必要最低限を引き下げ過ぎれば、競技人口を多くカウントはできますが、シラットらしさが見えづらくなります。このバランスが難しいです。


<プンチャック・シラットと民族主義の関係について>

- 伝統的護身術とナショナリズムは親和性があり相性が良いのは中国や日本の例を見ても明らかですが、プンチャック・シラットの場合はどうでしょうか?インドネシアで民族主義が勃興し始めたオランダ植民地時代にプンチャック・シラットが盛んになったりしたのでしょうか? 


 インドネシアで民族主義と相性がいいのは否めません。さらにイスラーム信仰と結びついている集団も多いため、少なからぬ知り合いが2・12に参加している写真をフェイスブックに挙げていました。民族主義、独立運動が勃興した時期にプンチャック・シラットが盛んになったかどうかは、残念ながら知りません。しかし、その時期に明文組織化された集団は多いように思います。

注3) 2・12 = 2016年12月2日に発生した、ジャカルタ州知事(当時)アホックへの大規模な抗議行動。スハルト政権崩壊後では最大規模の群集がジャカルタ中心部に金曜日の合同祈祷という名目で集結した。 


- 現職のジョコウィ大統領と来年再び大統領選挙を戦うことになった野党のプラボゥオ・ゲリンドラ党代表は現在のプンチャック・シラット協会会長でもあります。彼が会長職に就いて15年経ちますが、選手や団体が政治的に動員される機会はかなりあるのでしょうか?


 政治的に動員されているかどうか、現地在住ではないのでわかりません。ただ、友人たちの写真を見る限りでは動員されているというよりは、会長に対する親近感から自然と支持を表明しているように感じます。そのため、大会に沢山の人が集まれば、結果として政治的に動員したのとあまり変わりのない光景が繰り広げられるのではないでしょうか。


(参考)プラボゥオ会長の名前を冠した大会開催の横断幕とポスター

- 先日のアジア大会において、男子試合部門55-60kgで金メダルを獲得したハニファン選手が、ジョコウィとプラボゥオを同時に抱擁した写真はTVニュースやSNS で広く拡散されました。大統領選が正式に始まる直前だったので、両陣営が政治的に加熱しそうだった雰囲気を和らげ、また彼の行為は国民統合を両者に促すようでもあり、多くの国民の賞賛を受けました。当日あの会場にいた早田さん、そして周囲のシラット関係者の反応は如何でしたか?


 あの時、審判控室に居ましたが、インドネシア人審判やスタッフはひと際、盛り上がっていました。金メダルラッシュの2日目、負けの可能性もあった試合を制し、会場のインドネシア人は総じて相当なアドレナリンが出ていたはずです。そこで起きたあの出来事で、盛り上がらないわけがありません。とはいえ、それはインドネシア側の話。大会でのインドネシア無双ぶりに他国からの参加者が、賞賛を通り越して蚊帳の外に近い気分になっていたのは否めません。そのため、今大会の象徴的なシーンの一つとなり、シラットの存在を改めてインドネシア全土に知らしめたこの抱擁は、インドネシア人以外の関係者にとっては格別な熱狂とともに記憶に残るようなものではないでしょう。  


(参考)ジョコウィとプラボゥオを同時に抱擁するハニファン選手


- プンチャック・シラットの過去と現在をどう読み解き、未来をどう構想するか、早田さんをはじめとする関係者各位の努力と奮闘に敬意を表します。長時間のインタビューにお付き合いいただき有難うございました!次回また機会があれば、プンチャック・シラットと映画の関係についてもお聞きしたいと思います。


 <参照サイト>

 早田恭子さんのアジア大会についてのブログ http://cizma.noor.jp/j/2018AG.html#1

一般社団法人 日本プンチャック・シラット協会のホームページ  https://japsainfo.wordpress.com/