安易な個別指導が成長を阻害する理由
一口に個別指導と言っても、そこには色々な形態の違いがあります。
授業をする位置だけ見ても、パーテーションで区切られていたり、長机の横に座る形だったり、個室だったりと様々です。
今回の記事で、そのどれが良い、どれが悪いというつもりはありません。
述べたいのは、「いかに個別指導でも使い方を誤ると成長を阻害してしまいますよ」というお話です。業界にいる人であれば「何を当たり前のことを」という内容ですが、ご了承くださいませ。
安易な個別指導が成長を阻害する理由
個別指導では、良くも悪くも指導者が生徒個々人に合わせて指導することができます。
そして、目の前で生徒が困っていたら、助けたくなるのが先生というもの。
ここで注目したいのは、その助け方です。
例えば、「先生、ここがわかりません」と目の前の生徒に言われたらどうするか。色々な方法論があるでしょう。ただ一つ言えることは、先生側がここで安易に正解を渡してはいけないということです。
確かに、正解を渡せば、生徒は喜ぶし、その場限りの短期的な成長にはつながるでしょう。家に帰って喜んでいる生徒の話を聞いて、保護者の満足度も上がるかもしれません。
ただ、そこで本来大切なのは、生徒が思い悩む時間です。その苦しみが、その迷いや悩みが、人生で本当に必要な真の成長につながるのです。
その真の成長が芽吹くのは、「思い悩んだ」瞬間のもうちょっと先のこと。だから、すぐに満足感や成長は生まれません。
特に、今まで勉強が苦手だった子は、この「思い悩む」ことに慣れていませんから、尚更です。
そんな子はまず「思い悩むこと」に慣れるために、そんな「思い悩む」経験を数多くこなさなければなりません。
何度も何度も何度も何度もヒントをもらいながら、何度も何度も何度も何度もヘマしながら、何度も何度も何度も何度も繰り返しながら、勉強を進めていく必要があります。こちらにも本人にも根気と継続が必要です。これは決して楽しいことではありません。むしろ辛いです。時間もかかります。
こんな風に、「思い悩む経験」を与える授業は、ともすれば「面倒くさい授業」になるのですから、当初は満足度が上がりにくいわけです。その子次第ですが、基本成果もすぐには出にくいです。
我慢できない生徒も、保護者の方も、早く「正解」を渡されることを望む場合もあるでしょう。
ただ、正解を渡され続けた生徒は、自分で正解を探すことを「面倒くさい」と考えてしまう傾向が強まります。こうなってしまっては、自分で考える癖がなくなり、長期的な成長は見込めません。
よしんば、塾があるうちは「答えを渡される」ことで成果が出せますが、それ以降は難しくなるでしょう。高校、大学、社会人となっていく過程で、「自分で考えられない」ということは大きなハンデになります。
だから、「先生、ここがわかりません」と言われたら、正解を渡すのではなくて、ヒントを与えて、考えさせること。僕らの仕事は、正解を与えるのではなく、導いていくことです。ゴールまでの道を歩くのは、いつだって本人の役目ですからね。
これは、勉強の内容だけでなく、勉強の仕方だってそうです。
もちろんある程度の基本的な指導は必要でしょう。ノートの使い方とか計画の立て方とかね。
ただ、いつまでも「これをやって」「ああいう風にして」「これは駄目」ではいけません。はたして自分がやっている方法が自分の目標達成に最適なものなのか、自分で考えさせねば。
それに勉強の仕方というのは、勉強の内容よりも正解が見つけにくいものです。暗記方法一つとっても何がベストかは人によって異なります。一問一答の答えのように、正解がぽんっと出てくるわけではありません。目標達成までの道筋は、一つではないのです。
だから、我々も慎重にならなければなりません。自分や他の人に合うものが、その子に合うとは限らないですからね。
僕らだって常に試行錯誤。常に学び。自分の中の引き出しを増やしていって、その子に合う贈り物を練りに練って渡さなければならないのです。そこにはもちろん、大きな苦しみだってあります。
でも、そんな苦しみが、人を成長させるんでしたよね。
大人も子どもも、同じ。
自分自身への戒めも込めて、安易な個別指導には注意が必要というお話でした。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
時に「正解」を渡すことが適切な場合だってあるから、難しいし面白い。
そういえば、こんな歌もありました。RADWIMPS『正解』。アルバム発売中。