「宇田川源流」【日本報道検証】 飛鳥藤原を世界遺産候補にした歴史的意味合い
「宇田川源流」【日本報道検証】 飛鳥藤原を世界遺産候補にした歴史的意味合い
毎週火曜日と木曜日は「ニュース解説」という意味で「日本報道検証」を書くことにしている。基本的には一般のニュース解説で、少し深堀をしたものであるという感じではないか。もっと深掘りをするものはメールマガジンやオンラインサロンでしっかりと行ているので、こちらは「ニュース解説コラム」くらいなのかもしれない。
本日の話題は、日本の飛鳥藤原が世界遺産の候補になったということである。
<参考記事>
世界遺産候補に「飛鳥・藤原」 中国の脅威に備えた国造りと国難乗り越えるしたたかな外交
9/9(月)産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2552ebf6777b10d9b953cf8f40f027f1d7979dc
<以上参考記事>
この話題を正確に把握するには「飛鳥藤原」ということと「世界遺産」という制度をしっかりと理解しておかなければならない。順番はz年後するが、まずは世界遺産について見てみよう。
「世界遺産」を遺書で引いてみよう。
<以下抜粋>
国際連合教育科学文化機関 UNESCOの世界遺産リストに登録されたさまざまな地域または物件。遺産は,世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)に従い「顕著で普遍的な価値」を有するものとして選定される。条約は 1972年の UNESCO総会で採択され,世界の文化財や自然環境を保存・保護する国際協力体制を規定している。世界遺産は文化遺産,自然遺産,複合遺産の 3種類に分類される。文化遺産には多数の歴史的建造物や都市,重要な考古遺跡,そして記念碑的な彫刻,絵画といった芸術作品が含まれる。また自然遺産は以下の自然環境を対象とする。(1) 地球の生命の記録,またはその地質学的過程の顕著な例を備える,(2) 現在も進行する生態学上,生物学上の進化の過程を見せる優れた例を示している,(3) 稀有で独特であり無比であるか,傑出した美しさを特徴とする自然現象を含む,(4) 希少または絶滅に瀕している動植物の生息地,あるいは他に例のない生物の多様性を示す場所を備える。複合遺産は文化遺産と自然遺産双方の要素を備える。世界遺産リストに登録されている文化遺産と自然遺産の割合はおよそ 3対1で,毎年新たな地域および物件がリストに加わる。世界遺産として登録されると,地域の観光事業が促進され,しばしば地域経済が活性化する。UNESCOは発展途上国における遺産保護・修復のための数多くの取り組みに資金を提供している。なお,公害,自然災害あるいはその他の問題により深刻な状態にある遺産については,状態が改善されるまで「危機にさらされている世界遺産リスト」(危機遺産リスト)に登録される。
<以上ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典:https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3-172889#w-1553973>
このように、世界遺産とは自然遺産と文化遺産で世界でその内容を保護するということを決めたものである。当然に、今回の内容は自然遺産ではなく「文化遺産」として言われているのである。その対象が「飛鳥・藤原」であるという。
飛鳥とは、現在の奈良県高市郡明日香村のあたりのことを言う。推古天皇が崇峻5年(592年)の豊浦宮での即位から持統天皇8年(694年)の藤原京への移転までこの地域に応急があった。その後藤原宮、そして飛鳥浄御原宮というように遷都する。その間に難波宮等等に移っている。この時代を飛鳥時代という。天皇でいえば、推古天皇・舒明天皇・皇極天皇、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇の時代ということになる。
初めのうちは仏教の伝来から「帰化人」が多く来て日本の政治を様々に変えていった。しかし、皇極天皇4年、クーデターが起きる。当時の権力者である蘇我蝦夷と蘇我入鹿に対して中大兄皇子と中臣鎌足がクーデターを起こし、二人を殺した。歴史の教科書では「大化の改新」といわれる政治的な大きな改革になる。その後日本の国内を改革し、そして、天智天皇の代になると、朝鮮半島に対して戦争を仕掛けた。これは、新羅と戦う百済を支援して戦ったとされている。しかし、その新羅を唐が支援したことによって白村江の戦いで日本は惨敗する。そして天智天皇は、様々なところで「水城」を作り、防御を固めたのである。
そして西暦701年、大宝元年には「大宝律令」ができ、日本の政治の基礎が出来上がるのである。
当然にこの時代の文化遺産がさまざまなところに残っている。
聖徳太子の残した法隆寺もその中の一つである死、石舞台古墳や高松塚古墳などもその中の一つである。また水木の最先端として大宰府を作っていることから、現在の大宰府もこの時代の意向ということになる。
ある意味で、この飛鳥時代というのは「唐・新羅連合軍との戦いとそれに対する備え」をしたということになる。日本初の「国防」を行った時代ということになる。当然に「国防」を行うためには、それなりの国の制度を整えなければならず、また、国力を着けなければならない。当然に「西暦500年代から700年までの中国や朝鮮半島の国家と対抗するための、装備と制度を整えた」時代のことが、そのまま世界遺産になるという。
本来であれば、その対峙国である唐または朝鮮にもそれらが残っていてよいのであるが、残念な事にそれらの国は全く何も残っていない。つまり「日本が対抗し防衛した歴史」だけが残っており、それが世界遺産となるのである。これが歴史として残ることを、国際社会が望んでいるのである。同時に、それが今の世界情勢と投影されるということになるのである。
ある意味で様々な思惑がここにあるのではないかという気がしてしまうのである。