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大蛇の舞

2024.09.18 04:01

https://gunma-yawata-kagura.jimdofree.com/%E6%BC%94%E7%9B%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7/%E5%A4%A7%E8%9B%87%E3%81%AE%E8%88%9E/ 【大蛇の舞】より

大蛇の舞 四座

 この神楽は、「古事記」「日本書紀」に記された八岐大蛇(やまたのおろち)退治の神話を基にしています。 

 始めに、お姫様(稲田姫命:いなだひめ)が、登場し、大蛇の生贄(いけにえ)にされるため、舞台の脇に控えます。

 次に、お爺さん(稲田姫命の父である手摩乳神:てなつちのかみ)が登場し、稲田姫命に大蛇を退治する剣を渡します。このとき謡が入ります。

「そもそも吾は出雲の国簸(ひ)の川上に住居をなす、手摩乳とは我が事なり。吾一人の乙女を持ち、其の名を稲田姫と申し、志細あって大蛇のため人身御供に供う。あまり不憫に存じ、天津神、国津神に此の由を申し上げ、如剣の一振を申し下ろしてやる。この剣を持って彼の大蛇を退治せよ。必ずうたがうことなかれ。」

 お爺さんが姫を振り返り振り返り、泣く泣く退場すると、いよいよ大蛇が登場します。

 大蛇は姫を一気に呑み込もうとするのですが、舞台中央に置いてある酒樽に気づき、まずは酒をひと口飲んでからと、酒樽に向かいますが、酒好きのためガブガブと飲んでしまし、酔いつぶれてしまいます。そこに須佐之男命(すさのおのみこと)が登場し、目覚めて姫を呑み込もうとする大蛇と立ち回りを演じ、見事大蛇を退治して姫を救います。

 ここで謡が入ります。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を(やくもたつ いずもやえがき つまこみに やえがきつくる そのやえがきを)」

 稲田姫が無事に退場した後、須佐之男命が豪快に六法を踏み、退場します。

「古事記」では、大蛇を退治した須佐之男命は稲田姫(古事記では櫛名田姫:くしなだひめ)を妻に迎え、出雲国の須賀に宮を構えて住むこととし、そのときに上記の歌を詠んだとされ、この歌が日本最初の和歌といわれています。

出囃子 稲田姫、手摩乳神 下り破

    大蛇 うすどろ、早笛

舞囃子 大蛇 かまくら

立回り 早笛

入囃子 稲田姫 下り破

    須佐之男命 出羽


https://blog.goo.ne.jp/kyodaihaiku/e/521d6d7760fd64b1c39f58f8d93cf538 【俳句、この不思議なるもの 講演 鎌田東二】より

俳句、この不思議なるもの 講演 鎌田東二(京大こころの未来研究センター教授)「言霊あるいは言語遊戯としての俳諧」

鎌田東二さんの講演を聞きに、広島から高速バスで堀治喜さんはやって来たという。根強いファンを鎌田さんは持っているらしい。講演のレジメを紹介したい。

言霊あるいは言語遊戯としての俳諧(レジメ)

1、はじめに―わが俳句=俳諧論

 1、「俳句」は、「俳諧」である。

 2、「俳諧」は、「俳=人に非ず+諧=皆言う」ワザである。

 3、「俳諧」は、「写界主義」である。それは「界面」を「写す」ワザである。

 4、対して「短歌」は、「写心主義」である。それは「心(情)」を「写す」ワザで ある。 

 5、「俳諧」は「徘徊=吟行」によって支えられる「地面の文学」である。あるいは、地霊」を呼び出すワザである。

  6、その場ないしアニミズム文学としての「俳諧」は、「脱人間(中心)主義」、「脱主体(個人)主義」を基とする、「汎主体(俳諧=人に非ず・皆言う)主義」である。

・別紙参考資料:鎌田東二「自我の他在-あるいは非-私の文学としての俳諧」『アサヒグラフ』臨時増刊1988年7月20日号、朝日新聞社 :同「癈苦國逃亡記」『俳句空間』No.10、1989年9月、弘栄堂書店(鎌田東二『意識と場所 異界のフォノロジー・純粋国学理性批判序説』所収、河出書房新社、1990年)

2、日本の詩と言霊と言語遊戯

 1、「草木言語(ことと)う」『古事記』『日本書紀』『延喜式祝詞』←「言(事)向け和す」=和歌で?

 2、『万葉集』における「言霊」思想―言霊の幸はふ國、言霊の助くる国、言霊の八十の衛 

 3、和歌則陀羅尼説(西行など)参考文献:鎌田東二『記号と言霊』青弓社、2000年

 4、「物我―智之場所へ至」(松尾芭蕉、元禄7年1月29日付け高橋怒誰宛て書簡)「松の事は松に習へ」

 5、芭蕉の辞世の句は、「旅に病で夢は枯野を駈け廻る」ではなく、「清滝や波に散り込む青松葉」(←清滝や波に塵なき夏の月) 参考文献:魚住孝至『芭蕉 最後の一句-生命の流れに還る』筑摩選書、2011年

3、「京大俳句」(昭和8年-15年)と、復活「京大俳句会」(2008年-)について思うこと

参考文献:田島和生著『新興俳人の群像―「京大俳句」の光と影』思文閣出版、2005 年

京大俳句:昭和8年(1933)、平畑静塔。井上白文地、中村三山、波止影夫、鈴鹿野風呂、日野草城、水原秋桜子、山口誓子、五十嵐播水ら錚々たる俳人を顧問に発刊。その後、西東三鬼、三谷昭、高屋窓秋、石橋辰之助、渡辺白泉らも次々と参加し、新興俳句の新しい動きを生み出す。そして、日中戦争、特高の取り調べ、獄中俳句、スパイ俳人の暗躍など、新興俳句運動の盛衰が繰り広げられ、「太平洋戦争へと突入した戦争時代、全国の多感な俳人たちの心をとらえた俳句同人誌の「京大俳句」は時代の荒波に揉まれ、抵抗しつつも、新興俳句運動全般が弾圧により衰退し滅んでゆく。昭和8(1933)1月に創刊された「京大俳句」の最終号は、昭和15年(1940)2月号。

「宣言」:新たに俳壇へ贈るこの京大俳句は、幾多先人の濺ぎ遺せし血潮を承けて、純真無垢なる我等が青春の脈血の、迸り出でてなせる一渓流なのである。/かるが故に、苟も俳諧国を遊行する者は、この清浄なる渓流に、全く無関心ではあり得ないであろう。或者は之を避け、或者は之を探り、また或者は之が一滴を以って俳諧修業の甘露となすであらう。/我等はそのいずれの人に対しても揚言せむ。ただ希くば之を以って、永遠に俳諧国の潅漑をなさんのみと。

・山口誓子「新しい『現実』を、新しい『視覚』によって、新しい『俳句の世界』を構成」(句集『凍港』昭和7)

・山口誓子「『俳句を詩に』ではなく『俳句に詩を』の立場である。」(「セルパン」昭和1 1・11)

・新興俳句歴史派=有季定型、無季容認派=無季定型、超季感派(山口誓子「新興俳壇縦横記」昭和11・5)

・新興俳句の中身は、①無季俳句②リアリズム③知的美の三点に集約される。(西東三鬼)

 しんしんと肺碧きまで海のたび 篠原鳳作 水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼

 蝶墜ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男 この海に死ねと海流とどまらず 波止影夫(昭和15年2月11日逮捕。京都帝大医学部付属病院で卒業後精神科医。1年間の拘置所生活後、懲役2年・執行猶予3年の有罪判決)