9月8日主日礼拝
9月8日主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録 7章1-16節
捕らえられたステファノ
裁きの席でイスラエルの歴史を語り出す。
聞いている者の歴史
自らのアイデンティティを聞くことになる。
彼らはその歴史を神に従っていた者の歴史と聞いていたはず。
私たちが新約聖書を読むときにイエスの側、パウロの側として聞くように。
その歴史の終わり、そのアイデンティティを揺るがす。
あなた達はここに登場する「神に逆らう者」こそがアイデンティティだと。
新約を呼んでいる者にファリサイ派、律法学者があなただ、と言っているようなもの。
聞いていたものは怒り出す。
ステファノから見て、彼らの歴史は神に逆らう者の歴史。
神に逆らう者
この者たちの特徴は何か。
ステファノに怒る。
それがひとつの特徴。
何故、怒るのか。
ステファノが間違っていると思うから。
何故、そう考えるのか。
自分が正しいと思っているから。
その正しさはどこから来るのか。
伝統が自分。
言い伝えが自分。
みんなと同じ
自分を疑わない。
自分を吟味しない。
ステファノに怒る。
ステファノの言葉が自分の大切なものを奪おうとしている。
その大切なものは自分を形成している。
自分がすがっているもの。
自分が依存しているもの。
自分が正しいと思うもの。
怒るもの。
自分以外のものに依存している。
自分以外のものが自分に貼り付いている。
ならば自分以外のものにすがらない者とはどういうものか。
たとえばステファノが語るイスラエルの歴史に出てくるヨセフ。
この者は家族に疎まれエジプトに売られ、そこでも策略にあいながら、最後は王に次ぐ大臣にまで昇り詰める。
この浮き沈みを生み出していたものは全部、同じ原因。
ヨセフの夢解き。
これが原因で家族に疎まれエジプトに売られる。
これが原因で大臣になる。
原因は同じ。
疎まれても、賞賛されてもヨセフは変わらない。
自分のできることをしている。
人の評価、言葉、態度に支配されない。
自分が神様から与えられたその力をいつでも用いる。
自分が正しい、正しくない
ヨセフにそのようなものは眼中にない。
ただ自分の使命を果たす。
語っているステファノも同じ。
周囲、他者、自分以外のも
自分と自分以外の者の切り分けがある。
故に堂々とイスラエルの歴史を用いて、自らの民を批判する。
自分だからできること
それが歴史を作っている。