権力は必ず腐敗する。40年も永田町を見てくれば、この言葉がいかに真実であるか、身を持って知ることになる。(4)
<他力本願で選挙は戦えない>
・選挙の面倒の大半を党がみてくれる公明党や共産党の候補は別として、自分の選挙資金はまず自分で集めるというのが大原則です。お金持ちの友人・知人に丸抱えしてもらったり、候補者公募による公認候補だからといって政党にすべてを依存するようではいけません。
いわゆる後援会組織も、自助努力でつくり上げるべきです。それをしない、する気がないような他力本願の人は立候補しないほうがいいでしょう。
たとえ、初めのうちは苦しくても、選挙資金や選挙組織を自前でつくることができれば、その後の選挙運動がかなり楽になり、支援者からの信頼も得られやすくなります。
もとより当選後の政治活動こそが政治家本来の仕事です。何事にも自助努力が肝心です。
<身分保障と背水の陣>
・資生堂では、在職したまま立候補することを認めており、落選した場合もそのまま働き続けることができるシステムになっています。実際、資生堂の女性社員が東京の区議会議員選挙に立候補して当選しました。当選したため会社は辞めましたが、落選したら会社に残っていたはずです。パソナグループや楽天も、有給休暇扱いで選挙立候補できるだけでなく、落選した場合は会社に戻れる、という制度を設けているようです。
・これまでJC(日本青年会議所)、企業オーナー、政治家2世、エリート官僚といった人たちが立候補者に多かったのは、落選しても後の生活の心配をあまりしなくてもいいからです。その点、サラリーマンが会社を辞めて立候補し落選した場合は、もう元の会社には戻れません。だから、落選したときの生活の糧を考えて、立候補したくでもできなかった人は、少なくないはずです。
会社が身分保障をする制度があれば、立候補してみようかという会社員は増えるでしょうから、この点では評価できると思います。ちなみに、イギリスの公務員は立候補して落選しても、元の公務員に復職できるシステムがあります。
<スキャンダルの対処法>
・特に議員選挙以上に、知事選、市区町村長選の場合は徹底して身の回りを洗われると考えたほうがいいでしょう。スキャンダルは必ずバレると思ってください。心当たりがあるのであれば、スキャンダルが出ないように、あるいは出た場合の対応策を考えておかなくてはなりません。
・したがって、今どきの候補者は、誤解を生じるような行動をしないように自宅を出てから帰宅するまで気を抜いてはいけないのです。
(2022/2/14)
『文春の流儀』
木俣正剛 中央公論新社 2021/3/6
<不倫叩き>
・文春時代を振り返れば、失敗だらけの人生です。
名誉棄損の裁判にもたくさん負けました。売れない本もいっぱいつくりました。そして世の中の文春への風当たりは相当冷たいと、外に出て実感しました。
地方の大学で、女子大生を相手にしていると、出版社文藝春秋あるいは雑誌ジャーナリズム、いや出版界そのものが大きく誤解されている、と日々実感します。
授業でアンケートをとると、週刊誌について「絶対買いたくない」「人の不倫など知りたくない」「悪口でカネを儲けるな」という批判ばかり。若い学生だけではありません。他方の人々の文春や出版人へのイメージは攻撃的で偏執的で、自己宣伝の強い人の集団のようです。
<スクープにいたる道>
・入社2年目に配属された、『週刊文春』の壁に、こんなスローガンが大書されていました。
① 大方針をたてる編集長は 朝令暮改
② タイトルをつくるデスクは 羊頭狗肉
③ 記事を書く書き手は 針小棒大
申し訳程度に小さく「と、ならないように注意しましょう」と書き加えられています。
<トップ屋中心だった頃の『週刊文春』>
・編集会議は、ほとんどここ2日の新聞紙面について雑談するだけ。取材テーマが決まるやいなや、みなさん新宿に繰り出します。新人記者は、先輩やフリーの記者との長い飲み会につきあい、深夜になると、お説教が始まります。毎週同じ話の繰り返し。
敏腕記者もいるのにはいましたが、たいていの記者は毎日、飲むのが日常。それも会社の経費なのが当たり前でした。当時の週刊誌は事件取材が中心です。新人の私は月の半分は地方の事件記事取材のための出張でフリーの人たちと一緒に動きます。
<取材で大事なのは服装>
・実は私は就職活動で新潮社と文藝春秋の双方に受かっていました。そのため当時一緒に新潮社を受けた『週刊新潮』記者たちと情報交換ができたのです。
彼らから聞いた話には、いろいろ驚くようなことがありました。
① 『週刊新潮』には日本全国の電話帳が買ってあり、地方出張のときは、それを使ってしらみ潰しに電話して、事件の関係者のエピソードを拾い出す。
② 事件の関係者を割り出すためには、戸籍や住民票が不可欠なのですが(当時も、戸籍の入手は違法。住民票についてはスレスレでした)、弁護士を常時使って手に入れている。
③ ニュースソースは文春のように新聞記者頼りではなく、古手の記者(新潮社の場合は、フリーの人から社員記者になる人が多かったのです)は警察や公安に直接取材ルートを持っている。
聞けば聞くほど、報道機関としてのレベルが違います。そして、一番重要とも思えたのは服装です。
・『週刊新潮』の記者はどうか、彼らは必ずスーツでした。
<“文春四天王”の活躍>
・当時の週刊誌業界には、厳しいチェック機能が存在しました。『噂の真相』という雑誌です。『噂の真相』は、出版業界の内情や噂・スキャンダルをかなり踏み込んで書く雑誌でした。情報は玉石混交でしたが、広く業界で読まれていました。
報道の信憑性はともかく、毎号、雑誌誌面や編集者の個人的所業まで書くのですから、やはり、自分に厳しくするしかありません。そんな『噂の真相』にまで褒められていたのが、“文春四天王”。大活躍の女性記者四人を、こう呼んだのです。
<政界スキャンダルに圧力はあるか>
・撮影後、政治家からの圧力はあるのかといえば、ドラマみたいに記者には政治家からの圧力がかかります。
たとえば、料亭に招かれて、何とか穏便にという政治家を前に、お茶を一杯も飲まずに帰ってきたケースもあれば、ホテルで仲介者と名乗る人物と話し合うだけと聞いていたのに部屋にコワイ顔のヤクザさんが顔を出したこともありました。総理官邸から「何とかならないのか」という電話がきたこともありました。
正直、そういう圧力は現場の記者を怒らせるだけですから無意味です。しかし、取材する側も悩むことがあります。政治家が公費を使って愛人を囲うのは、正しいこととはいえません。ましてや、それが不倫であれば問題です。ただし、愛人関係とは、実は証明が難しいことなのです。
<情報提供でいくらもらえるのか?>
・週刊誌といえば、読者のみなさんは、いろいろな「タレコミ」、いわゆる情報提供で成り立っていると思っておられるようです。私は女子大で教えていますが、「週刊誌にネタを売り込んだらいくらになるでしょう」と質問すると、たいてい10万から30万円といった答えが返ってきます。社会人相手の講演でも大体同じような金額を想像されているようです。
正直に言いますが、一銭もお支払いしていません。そう伝えると、みなさんが「エッ?」という顔をします。驚くだけでなく疑いの目が私に集中します。
<「スキャンダル記事潰し」は可能か>
・週刊誌が本気で「不倫」を把握したら、なかなか逃げきれません。チームで尾行し、機材を使い………正直あきらめたほうがいいと思います。
とはいえ、何度か「週刊誌に追いかけられている。なんとかできないか?」と相談を受けたことはあります。ただ、自社であれ他社であれ取材を進めている週刊誌の仲間に、「あれは私の友人だからやめてください」とお願いすることなどできません。あるとすれば、代わりに大きなスキャンダルを提供して、追いかけるのをやめてもらうこと。
<ビギナーズラック>
・週刊誌の世界に限りませんが、ビギナーズラックは存在します。
私の記憶に残る文春新人のスクープといえば、AKB48の前田敦子さんを佐藤健さんがお姫様抱っこした現場の写真です。2012年のことです。もちろん、私の退社後も新人たちはいっぱいスクープしているかもしれませんが、これは衝撃的でした。
・このスクープは、いわば「出来立てほやほや」の新人クンのスクープでした。
<取材の光と影>
・黎明期の『週刊文春』は、今のようなスキャンダル・スクープ路線ではなく、事件取材が主でした。新聞社会部やテレビのワイドショーと現場で競う仕事です。事件取材には、名刺が全く通用しません。
現場取材では、『朝日新聞』と『アサヒ芸能』の区別がつかない人たちが世の中には大勢いることを知りました。
<ジャーナリスト江川紹子の気迫>
・江川紹子さんと初めて仕事をしたのは、彼女が神奈川新聞を辞めてフリーになった直後でのことでした。華奢で笑顔を絶やさない彼女が、のちに、オウム真理教というテロ組織に一歩も退かず一人で闘うとは当時は想像もできませんでした。
・それから2週間くらいたった頃でしょうか。江川さんが説明に来ました。
「坂本弁護士一家が拉致されました。オウムの仕業としか考えられません。一家が自分で失踪する理由なんて見当たらないのですから。でも神奈川県警は、積極的に動いていません。そしてフリーの記者は記者会見に出られないので、『週刊文春』の名刺作製をお願いしました。警察が熱心でないのは、坂本弁護士が所属する横浜法律事務所は、刑事事件では県警と対立することが多い人権派弁護士事務所だということもあるかもしれません」
当時の花田紀凱編集長に、すぐ報告・相談をしました。結論は、徹底的に江川さんをサポートし、この事件の解明とオウム真理教の問題点を洗い出そうということになりました。
・しかし、江川さんの責任感にはアタマが下がりました。坂本弁護士一家失踪に対する責任を感じ、生存につながる情報や目撃情報が『週刊文春』編集部にある度に、その取材に真っ先に出向いていました。
フリーの記者が、結論が見えない仕事を抱えると、食べていけません。原稿が書けないのですから。それでも彼女は他の仕事を入れず、坂本弁護士一家の足跡を追い続けていました。
・私自身、江川さんのサポートで、元信者の告白や家族を教団に奪われた人々の取材をしていると、当然、教団にとって目障りな存在となってきます。取材申し込みに私の名前を書くわけですから、先方に名前もわかります。自宅もなぜか把握されていたようで、アパートの私の郵便箱にだけ、オウム真理教のビラが投げ込まれていたこともありました。
・朝5時ころ、江川さんから電話がありました。
寝ぼけ眼で受話器をとると、江川さんが、焦った声でこう言います。「明け方、自宅の郵便受けに何かを投げ入れられました。なんだか変な臭いがしたけれど、たいしたことはないですよ」
江川さんは気丈に言い張るのですが、念のため知り合いの医師を紹介し、精密検査をしてもらったところ「喉が糜爛(びらん)している」と全治2週間。
それから1年。地下鉄サリン事件が起こり、幹部が逮捕された以降の公判で恐るべきことが判明しました。あれは猛毒「ホスゲンガス」だったのです。第1次世界大戦でドイツが大量に使用した毒ガスで、肺水腫を起こした揚げ句、体液が流出して心不全に至る猛毒です。たまたまホスゲンガスの出来が悪く、しかも容器の作り方が杜撰だったため、彼女は大事に至らずに済みました。
同じころ、オウム真理教被害者の会会長の永岡弘行さんは、VXガスをかけられ瀕死の重症を負っています。彼は69日間も入院して生還しましたが、別の会社員はVXガスによって死亡しています。
<あわや大誤報! 坂本弁護士拉致「真犯人」との1ヵ月>
・坂本弁護士が失踪してから5年、似た顔の家族が人里離れた家にいる、とか、奥様に似た女性が教団と生活しているのを見たといった情報がある度に江川紹子さんと編集部は取材をしていました。
しかし、正直、まったくと言っていいほど、消息は掴めません。そんなとき、耳寄りな情報が、なぜか文藝春秋の女性誌『CREA』編集部からもたらされました。『CREA』の温泉特集で熊本の温泉取材チームから、私のところに電話がありました。部屋で皆がしゃべりながら食事をしていたら、隣室の人が「どうも文春の人らしいので、お話がある、と。自分は坂本弁護士を拉致し、殺害したので文春の人にしゃべりたい」と言っているというのです。
その男は初老。愛人とおぼしき若い女性を連れているといいます。とにかく、江川さんと『週刊文春』のチームを派遣して、その男と女性に東京まで来てもらいました。
・本には自分が「犯人」だと主張していても、まだ「犯人」だと確定していない場合、編集部の法的立場も微妙です。顧問弁護士に相談すると、「テロ以外は犯人を警察に通報する義務はありません。ただ、犯人とわかって金品を渡すと逃亡幇助、犯人隠避で逮捕される可能性はあります」とのこと。
・何週間も取材するうちに、だんだん「この男の話は偽物だ。ただ、誰かヤクザ仲間に聞いた話を我々にしているだけではないか」という意見が主流となってきました。
・本人は腰痛を理由に、何時間もの長い取り調べには耐えられないという医師の診断書を要求し、実際に神奈川県警に出頭しました。が、逮捕という展開にはならず、毎日、取り調べから帰ってきます。
・結局、我々も真相を摑めず、彼と別れました。一体、彼はなんだったのか――。
随分たって、男はいろんなマスコミに「真犯人」と称して売り込んでいたことがわかりました。その過程で、メディアしか把握していない事実を知って嘘を補強していたのでしょう。
それにしても、彼の動機がわかりません。が、ある知人のヤクザはこう話してくれました。「あんたらインテリはヤクザをわかっていない。食い詰めた老人ヤクザは、その日暮らし。毎日マスコミが宿とメシをくれるだけで十分なんだよ」
見事に騙されたわけです。
<不倫記事を断った記者>
・「不倫」とか芸能人熱愛記事というと、なんだか、編集部は面白がってやっているんだろうと想像されがちです。
もちろん、「不倫」はよくないのですが、メディアが暴かなければ、つまりは“文春砲”がなければ、知られないままに終わったかもしれないし、あるいは夫婦の間でうすうす知っていても、どうせ束の間で、すぐ元の鞘に収まると思っていたカップルが、それではすまなくなってしまうこともあります。もちろん記者も悩みます。書くべき不倫か書かざるべきものなのか。
いや、元々、不倫記事そのものをやりたくない記者だって当然います。
<世田谷一家惨殺事件の闇>
・世田谷一家惨殺事件は、いろんな意味で不幸な事件でした。
言うまでもなく、一家が惨殺され、今も未解決事件であることが最大の不幸ですが、発生が2000年12月30日。
・もともと、遺留品が多く、これなら逮捕は簡単だといわれていたのに、長引いた理由はいくつかあります。犯行の残虐さと遺留品の多さから、相当心を病んだ人間の無秩序な犯行という考え方と、残虐性がこれまでの日本人の犯行とはパターンが違うので、外国人による犯罪ではないかという考え方に、捜査班が分かれていたからです。そして、捜査が長引き、トップが入れ代わるたびに方針がどちらかの方向に揺れ動きました。
・しかし、現在の時点で、相当なことがわかってきていることは確かです。
まずは犯人のDNA。森下記者が朝日新聞社員でありながら『文藝春秋』に寄稿してくれた「世田谷一家惨殺 11年目の衝撃 浮上した日仏混血男性」によると、日本ではDNAを警察庁で管理している犯罪者データベースに照会して、犯人のものと型が一致しているかどうかを絞りこむのが一般的スタイル。しかし、その方法で犯人を割り出すことは不可能だったため、欧米で行われているDNAプロファイリングという手法を用いることに決定、帝京大学の法医学教室に鑑定を依頼していたそうです。
・そして結果は――。ミトコンドリアDNAから予想外の結果が出たのです。アンダーソンH型。アンダーソンとは発見者の名前ですが、日本人を含むほとんどはN型、A型、Y型に属していて、H型は白色人種が多く、日本人の母親である可能性はゼロに近いのです。
捜査本部は国立遺伝学研究所に依頼して英国や米国のデータベースともクロスチェックした上で、間違いないという判断になったのですが、これを公開すると捜査員に潜入観が出て、外国人ばかりを探すことになりかねないという理由から、一時封印してしまいました。ようやく封印が解かれたのは2005年のことだったといいます。
・結果は、父系は日本人を含むアジア民族に多くみられるO3e*(オーストリーイースター)とわかりました。つまり犯人の母は地中海に住む欧州人、父系は日本を含むアジア人の可能性が高いということなのです。
たしかに犯人はフランスのギ・ラロッシュ社の香水を、着ていたラグランシャツやハンカチに振りかけていて、日本人離れした服装であることも鑑定結果と一致します。DNAはウソをつきません。しかし、動機という前提で考えると、ハーフ系の若者が宮沢家に出入りして、一家を惨殺する可能性とは、いったい何だったのでしょうか。
捜査本部は世田谷など事件現場に近い区役所にハーフがいないかという捜査をかけました。しかし戸籍からヨーロッパ系ハーフを割り出す作業は簡単ではありません。大体の場合、父系しか記載されていないので、なかなかそれらしき人物は浮上せず、偶然の聞き込みからフランス人のハーフ男性が浮上しました。
しかし、フランスと日本に犯罪人引き渡し条約はありません。やむなく捜査班は密かに渡仏。捜査令状なしで「容疑者」の母親を尾行して、ごみ箱から母親のミトコンドリアDNAを入手しましたが、完全には一致しませんでした。その後この容疑者は、日本に帰国していないので、捜査は進展していません。
・しかし、可能性がまったくなくなったわけではありません。犯人のバッグの内側に赤系統の染料が付着し、これも原料がドイツにあるメーカーだとわかっています。何かの機会に欧州でこのDNAを持つ犯人が逮捕され、一家惨殺の謎が解きあかされるかもしれません。
一方、世田谷一家惨殺事件では、きわめて危険な誤報も発生しました。韓国人犯人説とか中国人犯人説とか、当時増加していた国内で働くアジア系の犯人グループがいるという報道が盛り上がったのです。草思社が出版した『世田谷一家殺人事件』は韓国人などアジア系の住民による犯罪という説を断定的に書いて、ベストセラーになりました。
・それ以前にも、文春以外の週刊誌が同じようなことを書き、文春の読者やテレビの情報番組も注目。公安関係者とか、警察庁関係者といった匿名の情報源を根拠にして書かれている本なので我々も検証のしようがありません。なぜ、文春はアジア系外国人犯人説を書かないのかと周囲からは何度も聞かれる状態でしたが、森下記者からは、絶対そのような捜査結果は上がっていないという報告がありました。
そして、とうとう警視庁捜査一課長がこの本を名指しで全否定し、ようやくこの説は下火になりました。人は本当の事実より、信じたい事実を読みたがる。フェイクニュースの恐ろしさを思い知りました。
・世田谷一家にはまだまだ別の説もあります。次ページで詳しく触れる作家・麻生幾氏が月刊『文藝春秋』に書いた説ですが、北朝鮮の特殊部隊の兵士は、時折日本に上陸して、日本人を殺害して、また北朝鮮に帰るという訓練をしている。脱北者の一人が、「ある北朝鮮の兵士が世田谷一家殺人事件そっくりの事件について、自身が関与したことを自慢をしているのを聞いた」というのです。真相がどこにあるか――。
<北朝鮮の核爆弾と拉致問題>
・現在は当然のように北朝鮮の核爆弾、核ミサイルのことが報道されています。しかし、30年前は北朝鮮や朝鮮総連に対する厳しい報道は、大きなリスクがありました。「差別的報道」として、朝鮮総連の抗議を受けたり、記者自身が糾弾されることも多かったからです。
北朝鮮が核開発に着手したことをいち早く詳細に報道したのは、『週刊文春』でした。1990年11月29日号の「アメリカが警告 北朝鮮原爆工場の恐怖」というタイトルでした。
私自身、記者生活で、これほどの気密性をもった情報にナマに接したのは最初にして最後です。一緒に取材したのは、当時の『週刊文春』特派記者で、のちに作家となり、『宣戦布告』や『外事警察』など公安警察や自衛隊をテーマにベストセラーを出した麻生幾氏でした。
・では、週刊誌に、なぜそんな詳細な情報が提供されたのでしょうか。
結局は、情報源との信頼関係に尽きると思います。まだ北朝鮮のことがマスコミのタブーとされていた1980年代。「土井たか子社会党カネまみれ醜聞」(通称パチンコ疑惑)というキャンペーン記事を『週刊文春』記者として書きました。
記事自体は大反響でした。パチンコ業界の資金が北朝鮮に送金されて、独裁政権を支える構造になっていること。そして、野党第一党として女性議員を多数擁立、マドンナ旋風を起こして、政権に最接近していた日本社会党の政治家たちと北朝鮮および朝鮮総連との関係がきわめて深いことを報じています。朝鮮総連から政治資金を受け取っていた社会党の政治家がいたことなど、他のメディアが書かないことを連続して書いたのですから、大変な騒ぎになりました。
編集部には、朝鮮総連の関係者が毎日100人以上、10人ずつグループに分かれて何度も差別的記事だと抗議してきます。
・国会には朝鮮総連から政治資金をもらっていたとされる社会党議員の喚問が要請され、記事を書いた『週刊文春』の記者も喚問しようかということまで議論されました。10週連続のこのキャンペーンは読者の支持を得ただけでなく、メディアとしての『週刊文春』の手ごわさを認識してもらったと思います。
だからこそ、北朝鮮の核爆弾という機密情報も、大手メディアではなく、『週刊文春』に、という判断が出てきたのではないでしょうか。
かつて朝鮮総連にはそれほどのマスコミを封じる力があったこと、そして朝鮮総連を恐れて拉致問題など少しも書かなかったことなど、今のマスメディアは口をつぐんでいます。2020年の6月5日に亡くなった故横田滋さんの親族が開いた記者会見では「北朝鮮が拉致なんかするはずがない」と長年にわたり否定してきたメディアを批判していました。
週刊誌の記事が、性的スキャンダル以外で雑誌名を上げてテレビや新聞などの他のメディアに取り上げられたのも、これが初めてでした。
・前述の麻生幾さんは『週刊文春』の記者でした。私と一緒に冒頭の北朝鮮問題や拉致問題などを取材するうちに、いつしか私など足元にも及ばない記者になりました。拉致被害者の一人有本恵子さんの件を記事にしたのも麻生さんでした。
神戸の“アリモトさん”が、政府に、自分の子供が失踪して北朝鮮にいる。その子供の手紙が北朝鮮から着いたから救出してほしいと陳情しているという情報を持ってきました。
私と二人で神戸に行き、男性か女性かもわからないまま、アリモトさんを捜し当てました。家族は記事にすると、娘が北朝鮮で殺されると怖がっています。しかし、神戸の娘・有本恵子、熊本生まれの松木薫さん、北海道生まれの石岡亨さんの三人の名前で「平壌にいる」というハガキは見せてくれました。
・二ヵ月間の取材結果は全部ビデオに撮影して北海道、神戸、熊本の三家族に見せました。三家族は、その結果、記者会見を決断したのです。
・脱北者の取材をいち早くしていたのも、『週刊文春』と麻生さんです。『週刊文春』に脱北者の取材を仲介してくれたのは韓国の外務省。条件はただ一つ。取材した速記を日本の警察幹部に渡すこと、でした。脱北者の証言や拉致事件の証明に懐疑的だった日本の警察に、信憑性のある情報を提供したいというのが、韓国側の意図でした。
その後、急速に日韓の情報共有が成立し、拉致問題は一部の人たちが帰国できるまで進展しました。かつてはこんなスケールの大きい仕事をしていたのです。
<売れるのは家族>
・雑誌編集長として、鉄板の売れるテーマは日本人全員が知っている家族についての記事だと常々考えています。
日本人は人間関係の民族です。ABO式血液型による性格判断のように科学的根拠がないとハッキリしているものでも、いまだに誰もが気にするデータになっているのは、人間関係に悩み、自分はどういうタイプでどんな行動をとれば嫌われないか、日夜気にしている民族だからではないでしょうか。
その意味で、有名家族のスキャンダルは、その家族の誰が自分に近い性格で、誰が自分の苦手なタイプに近いのか、などと想像させる側面があります。それが有名家族にゴシップ記事が読まれる理由なのです。
<社を去るとき>
・小さな会社の出来事を、いまさら蒸し返すのは、と考えましたが、文春はなぜ、日本にとって必要なのか。それが本書のテーマの一つである以上、やはり、書いておくべきことはあると考えました。
私は文春が文春であるためには、公平・平等を前提とする社内民主主義が絶対必要だと思っています。社会から指弾されるような会社運営をすることも、あってはならないと思っています。
・日本の大手メディアは、本当のことを書けないメディアになりつつあります。民放は放送法という枠があって、政府や与党からの介入を受けやすく、NHKの場合は、公共放送ですから、政府にある意味支配されています。大新聞も、テレビ朝日と朝日新聞といった形でほとんどがテレビとタッグを組んでいて、物言えば唇寒しになりやすく、さらには本社ビルの土地を国から譲ってもらった会社が多々あります。そして、記者クラブ制度の弊害は、読者のみなさんもご存じでしょう。
そんな中、雑誌ジャーナリズムは、時には過ちもおかすものの、大手メディアが自主的に報道できないことを、掘り起こし、世に訴える役割を果たしてきました。
・しかし、取材に金銭がかかり、雑誌の売り上げが停滞している中、ほとんどの週刊誌はジャーナリズムを放棄してエンターテイメントに走りました。雑誌ジャーナリズムをメインにしている雑誌は『週刊文春』『週刊新潮』そして『文藝春秋』くらいのものなのです。
・たとえば、『文春砲』です。今でも、一部からは嫌われています。それは好みですから、いいでしょう。しかし、世間全体がデジタル化し、紙の『週刊文春』の記事ではなく、デジタルで記事を読み、テレビに映像や音声までが文春から売られる時代になっている現在、その破壊力は、かつてと比較にならないくらい大きくなっていることは、常に感じてほしいと思います。
・そして、書かれた人の周辺の人たち、たとえば子どもなどが自殺といった行動をとると、一気に雑誌は悪者になります。
かつて200万部という大部数を誇った新潮社の『FOCUS』などの写真誌は、今は廃刊したり、低迷しています。光文社の『FLASH』は、伊丹十三監督の不倫を取材し、本人は自殺を遂げました。それ以降、写真誌全体が低調になってしまいました。同じことが起こらないか。私は、いつも心配になります。
だからこそ、筆はいつも弱者より強者に向けねばならず、記者の正義感は極力抑えて、読者の共感を得るものでなければならないと思うのです。
<私の文春論>
・時の首相を葬り去った「田中角栄研究」の掲載号で、編集長田中健五は、巻末の「編集だより」にこう書いています。「「特集・田中角栄研究」は、正義感からではなく好奇心から発した企画である。新聞その他のマスコミが教えてくれないから本誌が企画するのである」と。
このスタンスが、まさに文藝春秋ジャーナリズムの根幹だと思います。肩をいからせず、ユーモアを忘れず、他社がやらないことをやる。
<文春流取材の基本は手紙だ>
・編集者の仕事は派手に見えます。しかし、地道な作業の積み重ねからしか、人々の心を動かす作品は出てこない、私はそう思っています。
事件取材も同じです。記者は必ず、カバンの中に便箋と封筒を入れています。もちろん自宅や携帯電話がわかっていれば、かけることもあります。しかし、なるべくその前に手紙を書いてご自宅のポストに入れておくのが原則です。
・烈しいタイトルや、煽情的な文章のせいなのか。あるいは、匿名証言が多いせいなのか。世間の人々は週刊誌や雑誌は取材手段まで乱暴ではないかと思っているようです。
<気持ちを伝えることが肝心>
・若いころ、まだ携帯電話もなく、もちろんSNSもないころは、周囲の先輩の取材方法を横で見聞きすることができました。
ある先輩は、手紙を出したあと、その家に電話して、こう粘っていました。「お願いです。とにかく、私の顔を見てください。顔を見て信用できない男だと思ったら、追い返してもらって結構です」
私も、何度もこのセリフは真似しました。真剣な訴えには耳を傾けてくれる人もいます。ただ、他人には絶対見られたくない姿だし、聞かれたくないセルフです。
<文春と新潮、雑誌は似ていても社風は大違い!>
・『週刊新潮』は間違いなく『週刊文春』のライバルです。私が入社した1970年代後半は、新潮が圧倒的に部数も多く、取材内容も充実していました。「新潮に追いつけ、追い越せ」が私たちの世代の目標だったのです。
似たような誌面だから、似たような編集部だろうと思われがちですが、両社の社風はまったく違います。
文春は社員持ち株制度で社員が社長を決めますが、新潮社はオーナー会社です。人事異動が激しい文春に対して、新潮はずっと『週刊新潮』にいるという人もいます(今は新潮もだいぶ人事異動があるようですが)。
文春は、学園祭のように、みんな遅くまでワイワイ議論しながら作っていますが、新潮の記者はプロ。自分の仕事が終わったら、さっさと帰宅するので編集部はとても静かなのだそうです。
・一言でいえば、『週刊新潮』は「見識」を示すメディアであり、『週刊文春』、いや文春ジャーナリズムは「常識」を語るメディアです。プロの新潮に対して、文春はアマチュア。素人目線で、なぜ? と迫るのが編集方針といっていいでしょう。
そんな「素人」だからやってしまう笑い話がたくさんあります。
<『週刊文春』三大事件>
・文春時代の私をよく知る人は、木俣は、カッコいいところばかり書いていると思われるでしょう。もちろん、私も大きなミスを犯したことが何度もあります。いや、通常の文春社員より、数多いと思います。
とりわけ、次の三つの事件は、私の責任を免れない記事であり、きちんと書いておかないといけない歴史です。
① 美智子皇后バッシング事件。
・結果、美智子皇后は失声症を発症され、『週刊文春』は謝罪に追い込まれました。宮内庁に対して、「バッシングの事実」はないといった趣旨のお詫びを掲載し、『週刊文春』は、社会から厳しい指弾を受けました。
②続いて起こったのがJR東日本の駅構内キオスクの『週刊文春』販売拒否事件です。
これは、花田編集長がマルコポーロ編集部に異動し、設楽(したら)敦夫編集長になってからの事件です。「JR東日本に巣くう妖怪」と題したタイトルはJR東日本の経営者と労働組合と過激派革マルの関係を論じたものでした。
・編集長交替で、部数が落ちることを恐れた新編集長はなるべく早く、この記事を掲載したがります。民間会社として上場直前のJR東日本は、厳戒態勢の時期でしたから、正面衝突に発展しました。普通なら記事に対する会社の対抗手段は名誉棄損の裁判ですが、全面謝罪を求めたJR東は販売拒否という「いわば兵糧攻め」をしてきたのです。当時の週刊誌の売り上げの4割がキオスクという時代です。1年にわたって、社は、いい記事を出しても売れない、売る場所がないという苦境に陥ります。
③そんな中、社では、花田氏を『マルコポーロ』に異動し、設楽氏を週刊誌の編集長にした人事が間違いではないかという議論が起こっていました。
・一方、テレビに出たり、取材費を使いすぎだと社内の批判(嫉妬?)で、『マルコポーロ』に異動した花田氏の雑誌も、そんなに売れません。元々大判カラーの雑誌は広告頼みの収支決算。部数が増えない限り雑誌広告は入らないのですが、週刊誌ほど人材がいるわけではありません。1年たっても、『マルコポーロ』は赤字。週刊まで赤字寸前という事態になって、会社が動き出しました。30代前半の私くんだりにまで社長から相談があったほど、社は悩んでいたのでしょう。