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新しいお月見

2024.09.19 06:35

https://note.com/sayusha/n/n4c8efc194aba【#新しいお月見 月にまつわる短歌8選】より

こんにちは。左右社編集部の筒井菜央と申します。

短歌、俳句、川柳など、短詩型文学にまつわる本を主に担当しています。

このたび、中秋の名月にあわせて「新しいお月見プロジェクト」さんから、月にまつわる記事を書いてみませんか?とお声がけいただきました。このプロジェクトは、古くからの年中行事である「お月見」を、現代の暮らしに溶け込ませてみよう、という試みとのこと。

世に「花鳥風月」という言葉があるように、月と文学は昔から切っても切れない関係にありますよね……ということで、今回はこれまで担当編集として関わった歌集から、「月」が登場する短歌をご紹介したいと思います。

三人が車内に揺れてそれぞれのスマホに反射する月の色 /近江瞬『飛び散れ、水たち』

同じ電車に乗り合わせた人たちがそれぞれのスマホを触っているという、現代的な光景です。動画を見ていたり、ゲームをしていたり、LINEで誰かにメッセージを送っていたり、それぞれのことをしている三人。開いているものが違えば、反射する月の色も少しずつ違うのでしょうか。

ひとつの空間にいながら関わり合うこともなく、またすぐに離れていく人たちが、なにか運命的な瞬間を共有しているように感じられる、うつくしい短歌です。

スマホと月の組み合わせは案外多く、こんな歌もあります。

雲の中の月の写真をライブフォトでぴこんとやって公園をとおる /永井祐『広い世界と2や8や7』

こちらはスマホで月の写真を撮ろうとしています。

「雲の中の月」という、またすぐに隠れてしまうであろう月を撮るために、「ライブフォトでぴこん」とやるリアルさがおもしろい。

「公園に行く」や「公園に入る」ではなく、「公園をとおる」であるところもまた、写真のためにわざわざ……ではない「ついで感」があって、月の日常性をよくとらえたユニークな短歌です。

ちなみに、永井祐さんには、別の歌集にも有名な月の歌があります。

月を見つけて月いいよねと君が言う  ぼくはこっちだからじゃあまたね /永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(短歌研究社)

「月いいよね」と言われて、ふたりの視線は一瞬ひとつの月に向かうものの、それがきっかけでなにかあるわけでもなく、いつも通り「またね」と別れていく。

上の句と下の句のあいだ2字分の空白に繊細な心の動きがあるようで、逆説的ですが、「何も起こらなかったこと」のロマンティックさを感じる短歌です。

どこにいても月は等しく欠けていると盗まれながら薔薇は思った/工藤玲音『水中で口笛』

これは「薔薇泥棒」という連作のなかの一首。岩手県の薔薇園から500輪もの薔薇が盗まれた、実在の事件がモチーフになっています。

月を見ている泥棒の気持ちならまだしも、盗まれている側の「薔薇」の気持ちを描いたところにまず驚きます。

そして、これまで一度も動いたことのなかった薔薇園の薔薇が、泥棒によって運ばれながら「どこにいても月は等しく欠けている」ということを知るーー短歌だからこそ描けるファンタジックな光景に胸打たれます。

爆発した同期のお陰でぐにゃぐにゃのブラインド越しに見える満月/三田三郎『鬼と踊る』

月=ロマンティック!という思い込みを覆される、不穏な気配ただよう短歌です。職場の窓からそれはそれは見事な満月が見えている……ところまではいいとして、それは同期が爆発したときにブラインドが歪んですきまができたからなんだ、と。

いや、それは「お陰で」と言ってる場合なのか? 同期はその後どうなってしまったのか? などなど、突っ込みどころはありますが(むしろ突っ込みどころしかありませんが)、たとえ誰かが爆発してしまうような職場にいようと、人は満月に心癒されるのかと思うと、月の偉大さを感じずにはいられません。

ずっと月みてるとまるで月になる ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ/谷川由里子『サワーマッシュ』

こんどは、自分が月になってしまいそうな短歌。

月の美しさだけでなく、ずっと見ていると同化してしまうような妖しさ、引き込まれてしまいそうな危うさをさりげなく描いているところがポイントです。

下の句の「ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ」は、楽しいリズムで思わず口ずさみたくなりますが、じつは「ドゥッカ」には仏教用語で「苦」という意味があるそうです。描かれているものごとの重さと、楽しげな表現の落差に凄みを感じる短歌です。

この歌以外にも、谷川由里子さんの短歌には「月」が重要なモチーフとしてたくさん出てきますので、お月見のお供におすすめです。

月ゆきのバス停で待っている(バスが来たのだろう眩しすぎて見えない) /鈴木晴香『心がめあて』

ついには月に行ってしまう短歌です。

「月ゆきのバス停」は童話的なモチーフですが、下の句の具体性によって見事にリアリティが生まれています。

眩しさに何も見えなくなることで、これまでの価値観がリセットされるような、異界へ足を踏み入れる瞬間の取り返しのつかなさが印象的。

「月ゆきのバス」にはどんな運転手がいて、どんなお客が乗り合わせるのか、そもそもこの短歌の主体はなんのために月へゆくのか……などなど、銀河鉄道的な雰囲気もあり、想像がふくらみます。

ただの道 ただのあなたが振り返る 月明かりいまかたむいていく/阿波野巧也『ビギナーズラック』

最後は、また地上の歌に戻りましょう。

「ただの道」「ただのあなた」とわざわざ書くことによって、自分の心だけがただごとではなくなってしまっていること。また、間に挟まれた一字空きがスローモーション的な効果を生み、あなたも月も動いているのに、自分だけ時間感覚がずれているように感じられます。

内容としては、月明かりの下であなたが振り返った、ただそれだけのことなのに、「人が恋に落ちる瞬間」が完璧に描かれていて、読むたびに胸が詰まる一首です。

いかがでしたでしょうか?

ご紹介した作品以外にも、「月」の短歌はたくさんありますので、お月見をきっかけに、ぜひいろいろな短歌に触れてみてくださいね。

もちろん、ご自身で短歌を詠んでみるのもおすすめです!


https://hidakashimpo.co.jp/?p=94594 【月を詠んだ名句・名歌】より

 17日夜の月は「中秋の名月」。春に「花(桜)」を詠んだ名句・名歌を紹介したことがあったが、今回は「月」の名句・名歌を見てみたい

◆百人一首で月を詠んだものは11首。桜は6首だから2倍近い。やはり、より「あはれ」を誘う題材なのだろうか。阿倍仲麻呂が大陸から望郷を込めて詠んだ「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」は、国語の授業で習った時、とうとう日本へは帰れなかったときいて子供心にとても可哀想に思ったので印象に残っている。「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」は紫式部の歌。切ない恋の歌のようだが、実は同性の幼なじみとの慌ただしい再会を残念に思った歌だという

◆「春の海ひねもすのたりのたりかな」で知られる江戸時代の俳人与謝蕪村。「御手討の夫婦なりしを衣更」「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分哉」などドラマ性の高い句が多く、「愁ひつつ岡にのぼれば花いばら」など近代俳句のようなロマンチックな作品もある。彼が詠んだ中秋の名月の句の一つで面白いのは、「盗人の首領歌よむけふの月」。「けふの月」は旧暦八月十五夜の月を表す季語。盗人の首領といわれるといかつく無骨な風貌の男を思い浮かべるが、そんな人物も思わず詩心を誘われるほど、中秋の名月は美しい

◆明治生まれで昭和まで活躍した俳人、加藤楸邨。「寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃」は筆者の好きな俳句の一つ。日中戦争の最中の昭和14年(1939年)の作に、「蟇(ひきがえる)誰かものいへ声限り」がある。彼が名月を詠んだ俳句がとても心に残ったので最後に紹介したい。満月にそれぞれの願いをかける人たちへ思いを馳せているような句である。「月の前しばしば望よみがへる」。(里)