番付
〆切に追われるは質問の原稿ならぬ、選句。手渡されし作品抄に、廃校の空を彩る大花火、と見かけた。
日本一の大花火や長岡の三尺玉、と聞かされてきたはずが。日本一、いや、世界一の大花火は隣村の四尺だそうで。
花火といえば大曲、人口七万人の市に押し寄せるは四十万人。そちらは花火師たちの祭典、というか、選手権なれど、こちらは神社祭礼に合わせた奉納を趣旨とし。当地にとって花火こそ命。何せ「番付」がある位だから。
やれ、孫の祝いだ、結婚だ、なんてのは序の口、会社創立何周年に、結婚十年おめでとう云々と「周年」にまで及び、何でも祝いにかこつけて。ゆえに近隣では、片貝に嫁は貰うな嫁出すな、と。されど、んな評判どこ吹く風。村に寂れた様子は微塵もなく、上がれ、上がれの大合唱。
イチオシや還暦迎える同級生一同による尺玉付きの大スターマイン。木遣り十分、いよいよ打ち上げ。盛り上げに一役買うは「こぶし」の効いた実況。四尺玉に勝るとも劣らぬ熱狂ぶり。が、オヤジたちの秘かな関心や。番付にひときわ大きく目を惹くはあの女優。能登の被災地に祈りを込めて、何せ当の本人が「来る」と色めき立ち。舞台に立たば地元オヤジたちの目は釘付で。
んな田舎に宿などあるはずもなく、終了後はローカル線の終電に。いやいや、長岡までは「たった」十五キロ。もちろんランで。深夜の到着も窓の外は明るく。見えるは新幹線のホーム。作業員のたちが安全点検に追われ。
閑話休題。球場は離れた郊外、急げど間に合わぬ試合開始。大半が仕事帰りの会社員、とあらばせめて三十分だけでも、どこぞの球団ファンの話。本市とて例外に非ず。都心からの移動を鑑みれば開演は19時、興行に2時間をみるに閉館21時はちと。興行主とてハナから目一杯など意図はせぬ。が、客の声援に応じてのアンコールを遮る訳にもいかず、閉幕後に客の尻を叩いて追い出すなんてのも。とすると時に後片付けがはみだしたりもして。
市が保有する類似の施設では21時「半」、同じ市民館でも隣市などは22時が閉館にて生まれるゆとり。いや、ちゃんとそれに見合いし対価はあって結構、閉館時間の延長を、とせがまれて対応を指示するに。以降、その市民館のみ現場が融通を効かせて下さったらしくも。あれから数年、市内どこぞの市民館には全く通じず、貸館の客が客として扱われておらぬ、と。
議案の審査が佳境。一部の市民館が指定管理者制度に移行するのだそうで。彼らが反対に挙げる理由の一つに、民とあらば雇用が保証されぬ。委託の料金はそのままに非常勤やアルバイトへの転換を図り、浮いた差額に経営者のみが私腹を肥やす、非正規とあらばサービスレベルとて。ゆえに直営の堅持こそ、と。
そう、開催は本市に限らず、施設側の対応の差異を肌で知るは興行主。確かに民間のほうが概ね良好。されど、中には直営以上にダメな施設とて、と聞かされるに。厳に戒められるべきは、民間は直営に勝る、の根拠なき楽観論に安易に流されることであって。外交の相手も同い年ゆえ心配いらぬ、との発言を笑っておられず。
(令和6年9月20日/2878回)