居るとか在るとはどういうことだろうか? 9月21日(土)は【秋のお彼岸 間の会】 9月22日(日)は【月々の間の会】です。
皆さま
こんばんは。
お彼岸に入りましたが、こんなに暑いお彼岸も珍しいですね。
皆さん、お疲れは出ておりませんでしょうか?
わたしは、先週末の大阪での公演は何とか果たしてきましたが、
やはり体調はあまりよくないように思います。
今週水曜日から母が再度入院することになって、
色々疲れが出てきたのかなとも思います。
さて、今週末は、二日続けての間の会です。
◆【秋のお彼岸 間の会】
日時:2024年9月21日(土)16:30頃〜19:30頃
場所:津市市役所北、お城西公園の東屋
◆【月々の間の会】
日時:2024年9月22日(日)13:30〜16:30
場所が取れない場合を除き、基本、第四日曜日になります。
場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター
【月々の間の会】はいつも月末にやっている感じなのですが、
今月は日曜が五週あるもので、もうやってきます。
先月の【月々の間の会】では、死ぬこと、生きること、それぞれの視界から、人の本質に迫りました。
お彼岸の間の会は、屋根のある外で行います。日没前後です。
この場所から西の空を見ているのが好きです。
それにしても、朝とか昼とか夜とは、一体なんなのでしょうね。
日が昇るとか、日が沈んでいくとか言いますが、地球が動いているだけなのですよね。
と言っても、それも、単なる知識に過ぎないわけです。
夜って何ですかね。太陽が見えない位置にある、と、それだけのことでしょうか?
太陽の日を浴びていられる時と、太陽の日は浴びられず、場合によっては、月や星の明かりしかない時は、それぞれ、どんな時なのでしょうか。
地球は本当に繋がっているのでしょうか。
地球とか、太陽とか、宇宙とかはあって、この世とあの世はないのでしょうか?
わたしは、どんな時で、何を見ていても、こちらとあちらはあるように思うのですが。
さて、こちらとあちらとは何だろうかとも思うわけです。
そういうわけで、毎年、春、秋のお彼岸に、どう居たいのか、その時間を過ごしています。
先日の、大阪西成での『路地裏の舞台にようこそ』で本宮氷さんの書かれた絵に囲まれて、まをふを行ったのは、とてもよい時間でした。それを、同時に本宮さんが墨絵に書いていき、また、終わった後も、観てくださった方々が、今起こっていたことについて言葉にされます。それぞれによって場が変容していきます。
一つ一つは単なる行為で、何も意味はないのに、人の気配が場を変えていきます。
形式上、パフォーマンスを行うとは言いますが、わたしは、何かを表現したり、伝えたいわけではありません。むしろ、表現から徹底的に退いていくパフォーマンス(関係行為)でありたいのです。
いわんや、わたしが舞台に立つからと言って、わたしが主役なわけでは全くありません。
むしろ、そこにある本宮さんが書かれた絵や、観に来てくださった人たちや、その場そのものや、本宮さんの存在が、共に、一番大事ですから、それらを利用して自分の表現をやるなど、とんでもありません。
この世に居るとはどういうことか、それはあの世に居るのとどう違うのか。
居る時、わたしやあなたやそれは、どうして、わたしやあなたやそれなのでしょうか。
居ると居るは、あるいは、在ると在るは、皆、居る、在るのですが、それは、対峙しないと、そうだと言えない時があります。
今年もお彼岸とどう居られるのか、身が引き締まります。
さて、明日も明後日も、ぜひ、いらしてください。
お待ちしております。
明日からは、小森はるか監督の『ラジオ下神白 あのとき あのまちの音楽から いまここへ』が、名古屋のキネマ・ノイで公開ですね。そちらも、ご都合のつく方はぜひ、観に行かれることをお勧めします。来週からは、京都、出町座でも公開です。
では、皆さま、どうぞご自愛ください。
以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、
● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会西脇秀典です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2024年9月20日 間の会 西脇秀典
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