Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

KANGE's log

映画「アリー/スター誕生」

2019.01.08 14:32

2019年の劇場映画初めは「アリー/スター誕生」でした。 

何度もリメイクされてきた作品ということですが、過去作は未見です。堀ちえみのドラマは関係ないですよね。  

才能ある女性が、すでに成功しているベテラン男性に見出され、才能を発揮する場を与えられ、その男性を越えてしまうというのは、よくある話といえばよくある話(そもそも、本作がもとになっているのかもしれませんが)。 

想像していたものと大きく違っていた点が1つあります。

タイトルが「アリー/スター誕生」で、レディー・ガガが演じるのなら「そりゃあ、スターも誕生するでしょ」と思っていましたが、本作の主人公は男性側、ジャクソン・メインでした。

よく考えると、演じるブラッドリー・クーパーが監督・脚本・制作をしているのですから、ジャックに重心が置かれるのは、当然といえば当然。しかも、作詞・作曲までやって、なおかつ自分でギターを弾いて、歌までうたっている! 世界的なアーティストであるレディー・ガガを相手に迎えて、一歩も譲らない。もちろん、ステージ上のパフォーマンスだけではなく、アルコール、ドラッグに溺れているところも「本当に大丈夫?」と思ってしまう。後から知ったことですが、クーパー本人は本当に大丈夫じゃない時期があったらしく、そりゃあ、リアリティあるはずです。 

全身全霊、才能と熱意をぶち込んだクリエイティブですね。

そして、ジャックは、アリーがスターダムを駆け上がって、歌手として嫉妬にかられて崩壊していったわけではないというのも、ありがちなドラマとはちょっと違うところです。冒頭のライブシーンで、いきなり何かの錠剤を飲んでステージに立っているのですから、2人が出会った時点で、すでに彼は崩壊していた。 つまり、ジャックにとって、アリーとの出会いは、精神のどん底から抜け出す「救い」だったはず。 

最初は、たぶん彼女の歌を聴いても「上手いんじゃない?」程度で、女性としての興味のほうが勝っていたのではないでしょうか。だからこそ、ステージ用のメイクを落とさせたのでしょう。でも、それだけでは、彼にとっては救いにならない。彼女が自分で作っている歌を、駐車場で聴いてしまったところからスイッチが入ったような気がします。 

単にアリーを「女性として愛している」だけならば、彼女の成功は喜ばしいこと。そして、自分が愛した彼女の歌によって、彼女が歌手として成功していったならば、きっと彼も救われていたはずです。でも、最初のチャンスは与えたものの、そこからアリーが歌手として売れるために、自分ができることはない。自分が愛した彼女の歌をうたってほしいが、それは歌手アリーにとってプラスにはならないことを、まざまざと見せつけられる。自分もステージに立つ身だから理解はできる。理解はできても受け容れられない。

どうすりゃいいの?ってことですね。 

アリーも、ただ世に出たいだけの人であれば、さっさとジャックを切ることもできたが、自分のコンプレックスも含めて愛してくれた人を捨てるなんてことはありえません。そして、自分が歌手を続けることが、結果的に彼を破滅に向かわせていることは分かっている。でも、自分にとって大切な歌を捨てることもできない。

もう手の打ちようがありません。 

 お互いがお互いを思いやることで、事態は悪い方向に進んでいく。ラブストーリーとしても王道展開で、あぁ、切ない。歌で救われるはずが、歌のために救いを失っていきます。  

ラストの展開は、ある意味、「彼が望んだ2人の幸せ」でしたね。  

一方で、「歌が残ればそれでよい」というのが、アーティストとしての本懐なのかもしれない、とも思わせてくれます。 

気になったのは、ジャックが背負っているものが、亡き父への愛憎、兄との確執、生まれつきの耳の障害、そしてアルコールにドラッグ…と、てんこ盛りなのに対して、アリーの背景が(語られているのではあるのだけれど)物足りないというところ。 

特に前半、レストランでウェイトレスをしながら、ときおりクラブで歌っているということは分かるのですが、彼女がどういう思いで生活を送っているのか、いまいち分かりません。それがないと、アリーにとってのジャックがどういう存在だったのか、彼女にとってスターダムを駆け上がるということがどういう意味を持つのか、そういうことがぼやけてしまっているように思います。後半、アリーがどんどんレディー・ガガ化していくので、前半でもっと素の演技を見たかったです。