1月5,6日 東村[山と水の生活博物館]→辺戸岬→国頭村(87km)①
今日は、なんとかYの体調も戻ったということで、東村のメインストリート、県道70号から山の方に2kmほど登ったところにある「山と水の生活博物館」へと出発する。
福地公園という親水公園の中にある立派な建物。
久高さんという方が、土地を無償で提供されたらしい。
東村は、沖縄本島の北部を表す「山原(やんばる)地方」の東海岸沿いにある。
山原地方は、琉球王国が統一される前の三山(北山・中山・南山)、「北山」の領土にほぼ等しい。
沖縄本島の南部は山が少なく、河川もほとんど無いが、この山原地方は沖縄本島の最高峰・与那覇岳(503m)をはじめとして山が多く、自然が豊富に残されている地域である。
この博物館は、ここ東村の自然と歴史について学ぶための施設であり、東村を含む山原地方についての理解も深めることができる。
山原地方は貴重な動植物の宝庫であり、「ヤンバル」と名がつく生物としては、有名なヤンバルクイナをはじめとして、ヤンバルホオヒゲコウモリ、ヤンバルテナガコガネ、ヤンバルクロギリス、ヤンバルトサカヤスデがある。植物としては、ヤンバルナスビをはじめ10種を数える。
「東洋のガラパゴス」の異名を持つ山原地方において、固有種とされる「ノグチゲラ」は、特に絶滅危惧種(CR)とされている。この博物館のすぐ近くでも生息が観察されており、博物館ではその貴重な映像を見ることができる。
常設展示室を入った正面には、沖縄最大級のジュゴンの骨格標本がある。
右手には山原地方の自然を再現したジオラマコーナーがあり、多様な生物相のほんの一部でしかないが、鳥類・両生類・爬虫類・昆虫類の生態が生き生きと再現されている。
川の生き物を展示する水槽のほか、ハブやアカマタといった沖縄を代表する蛇の飼育槽もある。
アカマタはハブと違い無毒なので、かえって気性が荒いとのこと。山歩きが好きなのだが、沖縄ではちょっと無理かな、などと思ってしまう。
「タムンザー(薪・建築材などの集積所)」というコーナーでは、昔の山仕事の様子を再現している。山原地方は琉球王国の時代から林業が盛んであり、本島南部に材木を供給していた。
山から切り出した薪や建築材は、当時の地元の人たちにとっては極めて貴重な現金収入源であった。道路が整備されていなかった山原地方では、「山原(やんばる)船」と呼ばれた木造船を使って木材の輸送を行なっていた。
沖縄戦や戦後の過伐により、森林は一時期荒廃したが、その後地元の努力によって復興され、2016年には環境省により、国頭・東・大宜味3村の一部が「やんばる国立公園」に指定されている。
自然環境を守るために、南の島ならではの、こんな苦労も。
これまで、イノシシやシカの話は聞いてきたけど、マングースは初めて。
そういえば、先日訪れた琉球村の出し物に「ハブとマングースの対決」なんてものもあったっけ。
今は無くなってしまったみたいだけど。
さて、博物館で「やんばる」の歴史や自然、人々の暮らしを学んだKY夫婦。
このまま東海岸側の道を北上し、沖縄本島の最北端である辺戸岬を目指すことに。
途中、東村から国頭村にかけての広大な森林地帯は、米軍海兵隊の北部訓練場となっている。
訓練場の入り口では、高江ヘリパッドの建設に反対する住民が、「やんばるの森にオスプレイはいらない!」のスローガンを掲げ、抗議活動を行なっていた。
辺野古だけに注目が集まってしまっているが、このエリアでの長きに渡る闘いは、今も続いている。
そこから岬までは、県道70号が森の中をくねくねと走っているため、随分と長く感じた。
いくつかの集落を通り過ぎたが、どこも小さな商店がポツポツと二、三軒ある程度。
昼過ぎになっても食堂らしきところがなく、いよいよ空腹感が頂点に達したとき、ついに「奥」という集落で「奥やんばる食堂」の看板を発見‼︎
吸い込まれるように、食堂へとなだれ込む。
多彩な食材で、種類も豊富な、御膳仕立てでボリュームたっぷりの定食を食べ、KY共に大満足。
ご主人に声をかけられ軽く雑談。日本一周していると告げると、「今朝とったばかりだよ」と、オヤジさんがタンカン(オレンジのようなもの)をどっさりと下さる。
儲けを度外視したような料理、人情味あふれるオーナー家族。
「また、いらしてくださいね〜」って言われたら、絶対立ち寄りたくなる。
近くに行ったら、必ず寄らせていただきます‼︎