「神の御名をほめたたえる」
詩篇145篇 ダビデの賛歌。
1. 私の神 王よ 私はあなたをあがめます。あなたの御名を 世々限りなくほめたたえます。
2. 日ごとにあなたをほめたたえ あなたの御名を世々限りなく賛美します。
3. 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さは 測り知ることもできません。4. 代は代へと あなたのみわざをほめ歌い あなたの大能のわざを告げ知らせます。
5. 私は あなたの主権の栄光の輝き あなたの奇しいみわざを語り伝えます。
6. 人々はあなたの恐ろしいみわざの力を告げ 私はあなたの偉大さを語ります。
7. 人々はあなたの豊かないつくしみの思い出を あふれるばかりに語り あなたの義を高らかに歌います。
8. 主は情け深く あわれみ深く 怒るのに遅く 恵みに富んでおられます。
9. 主はすべてのものにいつくしみ深く そのあわれみは 造られたすべてのものの上にあります。
10. 主よ あなたが造られたすべてのものは あなたに感謝し あなたにある敬虔な者たちは あなたをほめたたえます。
11. 彼らはあなたの王国の栄光を告げ あなたの大能のわざを語ります。
12. こうして人の子らに 主の大能のわざと 主の王国の輝かしい栄光を知らせます。
13. あなたの王国は 永遠にわたる王国。あなたの統治は 代々限りなく続きます。
14. 主は倒れる者をみな支え かがんでいる者をみな起こされます。
15. すべての目はあなたを待ち望んでいます。あなたは 時にかなって 彼らに食物を与えられます。
16. あなたは御手を開き 生けるものすべての願いを満たされます。
17. 主はご自分のすべての道において正しく そのすべてのみわざにおいて恵み深い方。
18. 主を呼び求める者すべて まことをもって主を呼び求める者すべてに 主は近くあられます。
19. また 主を恐れる者の願いをかなえ 彼らの叫びを聞いて 救われます。
20. すべて主を愛する者は主が守られます。しかし 悪しき者はみな滅ぼされます。
21. 私の口が主の誉れを語り すべて肉なる者が聖なる御名を 世々限りなくほめたたえますように。
礼拝メッセージ
十戒シリーズ ④
2024年9月22日
詩篇145篇
「神の御名をほめたたえる」
日本語のことわざに「名は体を表す」というものがありますね。「人や物の名前は、その実体や性質を示す」といった意味で使われます。聖書の中でも「名前」は重要です。その人や場所やものと密接な関係があり、その本質を表すものでした。
神様のお名前・御名というときに、それは音や記号としての「名前」ではなく、神様ご自身を表し、神様のご性質・本質・特徴・権威や力を表しています。また「御名」は、そこに神様がおられる(臨在される )ことも表しています。
詩篇54:1
神よ あなたの御名によって 私をお救いください。あなたの力強いみわざによって 私を弁護してください。
使徒3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
いくつか挙げてみますと、創世記17章1節では、さて、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神(ヘブル語でエル・シャダイ)である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。 と神様は、ご自身を「全能の神」だと名乗られました。
出エジプト記3章14節では、 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」ご自身を表され、続けて15節で、 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。 とおっしゃいました。 わたしは、アブラハムの神なのだ。あなたと・私と一対一で向き合ってくださるお方。個人的関係を築いてくださる神様なのです。
イエス(主は救いという意味)と名付けられた神のひとり子は、「その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイ1:23)と、ともにいてくださる神であられることを示してくださいました。
そして聖霊なる神様のことを、イエス様は「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。」(ヨハネ 15:26)と紹介されました。
神様のお名前・御名は、神様ご自身のご性質・本質を表しています。ですから私たちは、神様の御名を恐れ、また愛し、その御名を賛美します。イエス様のお名前(存在・御救い・とりなし)を通して父なる神様に祈ります。
その神様のお名前・御名を「みだりに」=いいかげんに、偽って、自分の利益だけを追及するために、自分の主張を正当化するためにといった、ふさわしくない目的で、となえてはならいと、神様は私たちに語られます。それは、自分の名前を勝手に使われて、詐欺行為を働かれた人の怒りにも似ています。また、あまりにも不名誉で馬鹿にしたようなふざけた「あだ名」を付けられ、そのあだ名でいつも呼ばれる人の悲しみ、心の傷のようです。わたしは、そういう名(存在)ではない、またわたしの名を使って、自分の欲をかなえたり、罪を犯したりするなという、神様の願い・怒りや悲しみが現れているのではないでしょうか。
先ほど交読したマタイの福音書7章のイエス様のみことば。厳しく聞こえますが、「主よ、主よ」と呼びながら、偽りの「神のことば」を語る偽預言者へのイエス様の警告です。不純な動機で「主」という御名を使う人への厳しい警告です。
今朝は十戒の三番目の大切な戒め、「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。」を深く考えていきたいと思います。
主の名は、主ご自身を表します。その名を知っている。その名をいつも覚えている。その名をいつも口ずさみ、「主よ」と信頼して呼びかけ、祈り、告白することを主なる神様は待っておられます。
その名前を忘れないでいること。うろ覚えでいないこと。適当に呼ばないことが大切です。私はすぐに「あれ、どこいったっけ? あれって、名前何だっけ」と普段、使わないものの名前を簡単に忘れてしまいます。数年ぶりに再会した知り合いの名前が出て来ないことがあります。
神様の御名をいつも心から喜び、感謝し、ほめたたえ続けて行く。毎日覚えていく。主のみ名によって祈る。それは、私たちがいつも神様を忘れないでいるために、いつもそばにいてくださる神様を覚えて続けていくために。いつも神様のことを考え、このお方の御教え、願い、みこころを思い巡らすために必要なことなのです。
今朝は、「あなたの御名を 世々限りなくほめたたえます。」と始まる詩篇145篇を通して、神様の御名、神様がどのようなお方なのかを再確認し、神様をより一層、ほめたたえる者になれたらと願って、みことばを見ていきます。12個のもの神様のご性質がこの詩篇には歌われていると思います。
① 「私の神」(1節)
:先ほど触れましたように、私と・あなたと個人的関係を結んでくださる神様です。勝手に迷い出た一匹の羊のようなあなたを必死に探し出してくださる私の神様です。
② 「王なる神」(1, 5, 10―13, 21節)
:すべてのものをお造りになられ、いのちを与え、生かし、ご支配されている王なるお方です。王国:神の国は、重い税金を課され、奴隷のようにこき使われるこの世の国とは正反対の王国です。愛なる神様が、私たちを愛し、生かしてくださる王国です(15節)。そのご支配は永遠です。詩篇145篇を歌ったダビデは、自分自身一国の王、偉大な英雄でしたが、本当の王様は、永遠の王は、主なる神だけであり、この王なるお方によって、自分は生かされ、今立てられていることを自覚していました。
③ 「とこしえにほめたたえられるお方」(1, 2, 4, 21節)
:あなたの御名を世々限りなくほめたたえます。
ほんの一瞬だけ脚光をあびるようなアイドルではありません。すぐに飽きられるような存在ではありません。主なる神様は、永遠に、はるか昔から今も、未来もずっと、この世界が終わった先も、天の御国で永遠にほめたたえられるまことの神様です。
④ 「毎日ほめたたえられるお方」(2節)日ごとにあなたをほめたたえ
⑤ 「偉大なお方、測り知れないお方です」(3節)「大能なるお方」(4節)、「奇しいみわざ(5節)、恐ろしいみわざ(6節)をなさるお方
⑥ その偉大な神が「いつくしみ深く」(6節)、「情け深く あわれみ深く 怒るのに遅く 恵みに富んでおられます。」(8節)。そして「そのあわれみは造られたすべてのものの上にあります」(9節) 倒れている者を支え、起こしてくださる助け主、慰め主、癒してくださるお方です(14節)
⑦ 「義なる神」(7節)いつも正しいお方です。
⑧ 「私たちの感謝・賛美・祈り」を待っておられ、それを喜んでくださる主なる神様です。(10節)
⑨ 栄光に満ちておられるお方です(5節、11節、12節)
⑩ いつもそばにいてくださり、私たちの祈りを聞き、私たちの小さな祈りに応えてくださる神様です、
16節、19節
⑪ 私たちを・あなたを守っていてくださる神様です 20節
⑫ 悪しきものを正しくさばかれる義なる神様です 20節
こんなにもすばらしいお方が私たちの神様なのです。
みだりにではなく、心から喜んで、愛と恐れをもって、神様を日々体験し、神様を日々ほめたたえるものとならせていただきましょう。
御名を、神様ご自身を、そのすばらしさをもっと分からせてください、示してください、教えてください、と「御名があがめられますように」と祈り求めていきましょう。
祈ります。