9月22日 主日礼拝
9月22日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録 7章30-43節
裁判にかけられているステファノの言葉が続く。
ステファノはヨセフに続いてモーセについて語る。
イスラエルの民をエジプトから導き出せと命じられたモーセ。
神から託された使命。
だが、その使命を誰も理解をしない。
モーセは非難をされ拒絶をされる。
それでもモーセはその使命を全うしていく。
夢を解くヨセフ。
ヨセフは自分の能力をただただ実行していく。
家族に否定をされても
人に理解をされず、忘れ去られても
ヨセフは夢を解く。
ヨセフもモーセもなぜ続けられたのか。
1つのヒントはモーセが神と出会ったときに言われた言葉にある。
神は言った。
「私はアブラハム、イサク、ヤコブの神」
モーセはこれをどう聞いたのか?
今、自分たちはエジプトにいる。
それはヤコブの神として
ヤコブの息子、ヨセフを通して、その家族に命じたこと。
そして今度は同じ神がエジプトからイスラエルを導き出そうとしている。
エジプトに導き入れたのも神ならば
エジプトから導き出そうとしているのも同じ神。
初めにも終わりにも神はいる。
いつでも神はいる。
モーセはその神に気がついたときに
いつでもいる神に気がついたときに、
自分の使命を果たそうと考えた。
それが1番楽だから、
自分で努力をして自分以外のものになっていく。
努力をして自分を変えていく。
それも1つの生き方
だが、聖書の物語が示している生き方は
神が私に与えた使命、賜物、それを用いろ。
1番楽な道を行け。
ヨセフの夢解き
ヨセフの賜物
ヨセフはそれをするのが1番楽だった。
1番得意だった。
だからそれを変わらずなしていた。
モーセも神から与えられた使命
それをただただ果たしていく。
神が与えたものならば、それは必ずうまくゆく。
それが1番楽な道
ヨセフも、モーセも、力んではいない。
力んでいるのは、偶像をしつらえたイスラエルの民たち。
エジプトを出た。
だが不安だ。
モーセの姿が見えなくなった。
心配だ。
新しい神を作ろう。
偶像を作ろう。
不安、心配、恐怖
この怖さを解消するため、に見込まれないために何かにしがみつこう。
偶像
人が力を込めて握り締めるもの
執着固執をするもの
力むもの
裁判にかけられているステファノ
彼は自分の運命をわかっていた。
これから起こることをわかっていた。
多分自分は命を落とす
だが、ステファノは決して力まない。
自分の使命を淡々と果たしていく。
これが私
私ができること、
私だからできること
私にできる事は、これくらい。
律法学者、祭司たち、イスラエルの民達、
力が入っている。
世界を恐れ、
その恐怖を逃れようと、必死に何かにすがりつく。
力で生きようとしている。
ヨセフ、モーセ、ステファノ
力んでいない
自分のできること
神から与えられているもの
賜物
ただそれを表していく。
いつも神がいる。
どこにでも神がいる。
ならば何を恐れる必要があるのか、
人がしなければならない事は神不在の備えではない。
力で神に代わるものにすがることではない。
するべきこと
力を入れずにできること。
楽にできること。
楽しいこと。
力を入れない。
自分に張り付いたものが剥がれていく。
自分で貼り付けていたものが落ちていく。
本当の自分が現れてくる。
本当の自分を生きる。
力のいらない自分を生きる。
ただそれだけを
聖書の物語の人々は実行した。
翻って我ら
我らは真の自分を生きているか