深圳日本人児童殺害事件 日本人学校が敵視されてきた理由
なぜ日本人学校が襲撃の標的になるのか?
中国・深圳で起きた日本人児童殺害事件について、どうしても許せないのは、蘇州でも6月24日に同じように日本人学校のスクールバスが襲われる殺傷事件が発生し、それ以前から、中国のSNS上では日本人学校をめぐる中国人の不穏な煽動や虚偽の発信が氾濫していたにもかかわらず、日本のメディアはそうした虚偽を糾すための問題提起やその重大さに対する警告を何も発せず、世論を喚起する報道が皆無だったということだ。
中国人の間ではかねてから「日本人学校は中国人の立ち入りを禁止し反中国活動を行う完全な『租界』となっている」、「日本人学校はかつてスパイ養成機関という沿革を持ち、いまだにその残存勢力が暗躍している」などといった、事実に基づかない嘘八百の虚偽煽動(アジテーション)が行われ、そうした主張を宣伝する動画がSNS上では氾濫している実態が大きく伝えられるようになったのは、今回、深圳での痛ましい事件が発生したあとのことだ。恥ずかしながら、自分自身がそういう実態を知らなかっただけに、日本のメディアへの怒りも大きい。
今回の事件を未然に防止するために、日本のマスコミは自分たちがやるべきことをやってこなかったのは明らかだ。すべてのメディアに目を通しているわけではないので、新聞・テレビのどこか片隅で扱った社があるかもしれないが、少なくともそれによって日本の世論が動かされ、政治家や有識者がこの問題で何か発言し行動を起すことがなかったことは確かで、結局、マスコミは何もしなかったに等しいことになる。
自分たちの主張を通すために捏造・盗用も構わない
過去記事を検索するとDIAMONDオンラインが蘇州日本人学校のバス襲撃事件のあとの7月5日に、王青氏(日中福祉プランニング代表)によるコラム「『日本人学校はスパイ養成機関』中国スクールバス襲撃を引き起こした“反日デマ動画”が支持される背景」という記事を配信している。
それによると、去年からSNS上でアクセス数が急増したある動画では、上海にある日本人学校と思われる場所で2人の児童代表が宣誓に立ち、「上海はわれわれのもの、浙江省もわれわれのものだ、もうすぐ中国もわれわれのものだ」と叫んだとされる映像が中国語の字幕付きで流れ、さらに中国語のナレーションは「日本人の学生は我が領土で、われわれを死なせるがん細胞のようにわれわれの体に寄生している。消滅すべきだ」と主張する内容だったという。この動画のアクセス数は7月初めの時点で1億回に上ったというから、かなりの中国人が目にしていたことになる。
実はこの動画の元になったのは、東京在住のある中国人が2019年秋に自分の娘が通う小学校の運動会で、開会式で児童代表が宣誓する姿を撮影し、それを中国の「微信WeChat」にアップロードしたものだという。小学校の運動会の開会式で児童代表が元気よく宣誓を行うのは、普通に見られる式次第の一つだが、その映像が勝手に盗用されて中国のSNSに投稿され、悪意をもって捏造した宣誓の言葉に置き換えられているのである。さらにこの同じ映像を使って、「小学生がファシストの敬礼をしている」とか「軍国主義思想を植え付けている」といった「解説」を加える動画も存在するという。
中国の日本人学校はなぜ敵視されるのか?
深圳での事件のあとにSNSに投稿された「中国の日本人学校はなぜ敵視されているのか」(中国的日本人学校为何被仇视?)と題した動画をみると、
まず、中国各地にある「日本人学校」の数が多すぎることを指摘する。別の複数の動画では中国にある日本人学校の数は35と言っているが、在中国日本大使館によれば、北京、上海、大連、天津、広州、蘇州、青島、杭州、深圳にあわせて11校。また補習授業校として南京、無錫、寧波、上海、瀋陽、深圳、珠海、成都、雲南にあわせて9の教室があり、これらを合計しても20か所にすぎない。しかし中国のネットユーザーは世界各地にある日本人学校が100校足らずなのに対し、そのうち35校が中国に存在するのは多すぎると主張する。
また、すべての日本人学校が日本人のみで管理され、周囲は24時間監視され、中国人が近づいたり立ち止まったり写真を撮影することも禁止されている、つまり日本の治外法権が適用された特殊な「租界」と見られていること。さらに校内での児童生徒の紀律正しい、秩序だった振る舞いを見ると、紀律の乱れた中国の学校と比べて何か異様な恐怖を感じるらしい。例えば、全校生徒が剣道着をつけて体育館に整列し、一斉に竹刀を打ち下ろす稽古の様子など、どこから見つけてきたのか、何時の時代のものなのか分からない映像を見せて、日本人の団体行動の恐ろしさを強調し、あたかも軍国主義教育が今も行われていることを匂わせている。さらには、戦前の「東亜同文書院」を引き合いに出し、日本が中国に開設した学校は中国の内陸・奥地を探査する目的のスパイ養成学校だったとする歴史を思い起こさせる。しかし、戦時中の戦略的要請に基づく人材育成と、現在の義務教育としての一般公民教育が、同列に論じられないことは明らかであり、事実をねじ曲げた意図的な誘導、煽動であるのは明らかだ。
他人をだまし、あざむくことに何らの躊躇もない、何もかも「謀略」、「騙し合い」で成り立っている中国では、こんな嘘をばらまくことは日常茶飯事のことなのだろうが、日本人小学校をめぐってこれだけ悪意に満ちた虚偽の宣伝がまかり通っていれば、何も深く考えない中国人なら、厳重警戒の日本人学校のゲートやフェンスを見て、日本に対する反感や敵愾心を燃やし、日本人学校に通う日本の子どもや親子を見れば、ちょっと恐い目に遭わせてやろうと考えて不埒な行為に出る者が現われても不思議ではない。そうした中から突出して出てきたのが、今回の蘇州や深圳のナイフ男ということになるのだろうか。中国人の間のSNSのコメントでは、深圳の44歳の容疑者の男は「精神病」ということになっているらしいが、そんなことで、この問題を片付けられたのではたまらない。
日本人学校に対する虚偽の宣伝に中国政府は何の対応もせず
中国外務省は9月19日の記者会見で、日本経済新聞の記者が「蘇州での事件は『偶発的な事件』(这是一起偶发事件)だと言っていたが、今回、深圳の事件も同様に偶発的なものだったのか」と質問したのに対し、林剣報道官は「事件は『個別の事案』で、似たような案件はどこの国でも起こりえる」(这是一起个案、类似案件在任何国家都有可能发生)と傲慢に言い放った。その上で林剣は「中国は法治国家であり、いかなる暴力行為も容認せず、法に従い犯罪分子を処罰する。中国は引き続き有効な措置を採り中国におけるすべての外国人の安全を保障する」とした。日経記者がさらに「短い期間に日本の児童が刃物で襲撃される事件が2回も発生し、日本国内では驚愕して大きな反響を引き起こしている。この事件が日中関係に及ぼす影響をどう見るか」と問い詰めたのに対し、林剣は「個別の案件が中日両国の往来と協力に影響を与えることはないと信じる」と言い切った。
<環球時報ネット版9/19「外交部:深圳日本人学校一学生被刺是一起个案,将依法调查案件、惩处犯罪分子」>
中国政府が真実を隠蔽し、自分たちに都合の良いことしか言わない政府であることは、中国の国民はもとより、世界の多くの人々が知っている。今後も、犯行の動機など事件の真相が中国側から語られることはないだろう。
前駐中国大使の垂秀夫氏は、「日本人学校に対する事件は数年前から、いつ起きてもおかしくない状況だった」として、次のように語っている。
「日本人学校は邦人社会の最も弱い『関節』であり、大使館では大使直轄で対応してきた。警備チームを全ての日本人学校に派遣して安全点検を見直し、ささいな事象でも毎回、中国の外務省、公安省に厳粛に申し入れ、動画の削除も求めてきた。だが、中国当局は動画の削除に全く対応せず、無視してきた」
<読売新聞9/20「悪意に満ちた動画氾濫」「中国の男児刺殺 数年前から、いつ起きてもおかしくない状況」>
中国政府がこうした動画を排除しないのは、たとえ日本人学校に対する虚偽の主張によって日本人の児童生徒に危害が及ぼうとも、彼らにはとってはどうでもよく、それよりも、かりに動画を排除した場合、いままでの日本を敵視してきた反日教育の方針と矛盾が生じ、政府の立場に傷がつき、面子が潰れることをもっとも恐れているのだ。
事件の背景や動機が分からないかぎり、再発防止のための手段や対策を採るにも限界がある。つまり、同じような事件は、今後も起こり続けると言うことだ。いずれにしても中国政府が日本の要望に添って有効な対策を打ち出さない限り、日本は、中国における日本人学校の規模を縮小し、駐在員家族はなるべく早く帰国させるしかない。
深圳での事件が起きたのが「9・18事変」、つまり満州事変のきっかけとなった柳条湖事件が起きた日であることと事件との関係や、事件の背景となった中国における反日教育の問題点については、稿を改めて論じることにしたい。