昇華するということ
22日未明、義母が他界しました。
6月に末期の膵臓癌と判ってから色々な感情が渦巻いて今に至っております。
夫と義母は折り合いが悪く、私もずいぶんたくさんのことに傷ついてきたこともあり、実はここ10年くらいは送金以外ほぼ縁を切っているような状態でした。
病気がわかってから暫くは、連絡を受けてもコンタクトすらとらない冷え切った関係でしたが、色々な事があって、少しずつ堅いものが溶けて、一時退院した母の元へ連絡したり通うことも増えました。
今月に入って間もなく、一時退院していた母の容態が悪化し、介護タクシーを利用して病院に同行、入院手続きしたのは私でした。沢山衝突した分、こちらも遠慮がないので、この入院が最期であることをお互い認識しての会話は思いのほか息の合うものでした。
・お世話になった人にはお礼を済ませている
・家の荷物は全て処分してもらっていいように整えてある
・友人のお見舞いは無用。親友も来てくれるという言うけれど、暑いし遠い所からはやめて欲しい
・葬儀は不要。火葬場に直行でかまわないから全部終わってから親戚友人、お寺に連絡すること
・痛みの緩和はお願いしたいが、延命は不要
などなど、死生観の相違がなかったにせよ、それにしてもきっぱりと見事な人生のたたみ方に対する姿勢に尊敬の念を覚えました。
お腹は空くけど食べられない、でも好物の食べたいものはある。何かひとつでも食べたいものの希望がかなえさせてあげられれば!という気持ちから、仕事の合間にほぼ毎日病院へ通う日々。幸い自転車で20分くらいで行けるところなので、体力自慢の私としては頑張りきれる予定でしたが、酷暑が続くし、アップダウンの激しい道で、数日であっけなくヘロヘロ。日々容体が悪化して命が閉じていく様を家族全員で見守っている時間は、落ち着かないし、心身共にいっぱいいっぱいだけど、何とも言えない味わい深さもまたあり。
あれだけ深かった母と夫の確執も、気がつけばどこ吹く風。私も、心の底から突き動かされていた短いけれども貴重な看取りの期間。誰がなんと言おうと、「やりきった」感満載で、義母には感謝しかありません。
きっと、家族だから仲良くしようよ!という「世間体」や「良い子ちゃん思考」ではなく、一度自分のドロッとした濁の部分を認めて「事実上の縁を切る」というフェーズがあるからこそ、なんだかひとつ昇華しちゃったかも?な境地に至ったような気がします。
色々とハプニングはありながらも昨日直葬を終えて、ひと安心。そのハプニングがまた、なるほど!という伏線をはらむ出来事だらけで、改めて義母は命を持って私たちに色んな事を教えてくれたのだとも納得。
そうそう、私の仕事はひとつもお断りすることなく遂行できたのも奇跡でした。私は大好きな仕事をすることで、自分が自分であって、ニュートラルで居られることも確認。それはもちろん、足繁く通ってくださるクライアントさんが居てくださるからこそ成立する話で、そちらにも感謝です!
これから先、また色んな感情の移り変わりが出てくるのだろうと思います。セラピストとしても貴重な体験ができたかな。近しいお友達、今度会ったら話を聞いてね(笑)
最後に!緩和ケア病棟の先生や看護師さんスタッフさんが本当にやさしくて素晴らしくて、感動しました。感謝感謝です。