蕎麦の話⑩ 芭蕉と蕎麦
蕎麦の花の美しさは、中国の漢詩にすでに登場し、その白く映える花の美しさがしばしば詠まれている。まず白居易。
「月明蕎麦花如雪」(月明らかにして 蕎麦 花 雪の如し)
月と雪に譬えられた蕎麦がセットになっている。、また張維屏はこう詠んでいる。
「野田月落路能弁 蕎麦一畦花似星」
(野田 月落ちて 路 能く弁ず 蕎麦 一畦 花 星に似たり)
田畑を行くと、月は落ちてしまったが道ははっきりわかる。蕎麦畑で花が星のように咲いているからだ、という意味。 俳諧では、蕎麦そのものは季語ではないが、「蕎麦の花」は秋の季語。芭蕉も詠んでいる。まず元禄4年(1691)48歳の句。
「蕎麦をみてけなりがらせよ野良の萩」
「けなりがる」=「異なりがる」とは、「羨ましく思う」の意。蕎麦の花を見て、その美しさをほめたたえることによって、野良一面に咲きこぼれている萩の花を羨ましがらせてほしいという。
『万葉集』約4,500首のうち、植物が詠まれた歌は3分の1に当たる1,500首あるが、最も詠まれているのは「萩」で約140首、次いで「梅」の約120首。100首を越えているのはこの2つのみで、「桜」は40余首。「蕎麦(花)」の歌は、と言うとゼロ。このように伝統的美意識と言う点で、「萩」と「蕎麦」は天と地ほどの差。しかし芭蕉は、萩に優先させてむしろ蕎麦を賞美したいと主張。そこには、「伝統的な〈雅〉の世界に寄り添いつつも、そこに縛られない日常卑近な〈俗〉の世界の価値を称揚する俳諧と言う文芸を旨とする者の矜持がはっきり表れている」(鈴木健一『風流 江戸の蕎麦』)ように思われる。そして次は元禄5年(1692)49歳の句。
「三日月に地はおぼろなり蕎麦の花」
広々とした畑に見わたす限り咲きほこっている蕎麦の白い花が、夕空にほっそりとかかる三日月のかすかな月明かりに淡く照らされて、地上は一面にほの白く、おぼろに霞みわたっているようだ、と詠んでいる。「満月と輝くような蕎麦の花」とは異なる「三日月とおぼろな蕎麦の花」の組み合わせは、妖気さえ漂わせている。次は、芭蕉の蕎麦の句で最も有名な元禄7年(1694)51歳の句。
「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」
山路といったのは伊賀の山家(芭蕉の生家)。この日、伊勢から門人支考が斗従(とじゅう)を同道してはるばる伊賀上野まで来てくれた。蕎麦を振る舞って、旅の疲れを癒す最高のもてなしをしたかったが、まだ花の時期でその望みはかなわない。せめて美しい蕎麦の花を見て疲れを癒して欲しいという芭蕉のあたたかい、もてなしの心が伝わってくる一句である。
支考と斗従が芭蕉の実家を訪れたのが9月3日。芭蕉は9月8日、伊賀を発って大坂に向かい、10月12日この世を去る。享年51歳。
(芭蕉の生家)三重県伊賀市上野赤坂町
(芭蕉の生家)
(蕎麦の花)
(国貞「市川團十郎の助六」)
(古峰「大橋の夜景」)