毒にも薬にもなる
Facebookマインドフルネス・トピックス投稿記事
前帯状皮質と不安感の関係とは?
恐怖や不安というものは毒にも薬にもなるのではないかと思います。
もし不安感が全く無ければ盛んに危険な状況に身を晒すことになり、怪我や死亡のリスクが高まるでしょう。
また逆に恐怖や不安への感受性が高すぎれば、日々不安に襲われて、何気ない日常生活もお化け屋敷並みにしんどいものになるでしょう。
不安はありすぎても良くないし、なさすぎても良くない。
ヒトが生物として生きていく以上、不安とはうまくやって行かなければならないのなと思います。
不安とうまくやっていくとはいいますが、これは神経生理学的に見るとどういう状態なのでしょうか?
Facebook秋田 緑さん投稿記事 「言の葉カード」
【絶望】を味わう度 私の奥の眠れる獅子が 目覚める感覚がある。
【希望】に触れる度私の奥の隠し持った刀剣を 磨き上げたくなる。
絶望も希望も 私を大きく動かし 安らぎも退屈も 私を穏やかに休息させる。
すべての瞬間に意味があることを知っているから ドラマティックじゃない瞬間などない。
最後には必ずハッピーエンドにするシナリオを私が描くという気概以上に 私の運命を変えられるものはない。
Facebook加藤隆行さん投稿記事 【私を生かすエネルギー】
最近、怒りやら不安やら感情のことを書いています。どれだけお伝えしてもなかなか洗脳が解けないのがこの感情のこと。
誰もが怒りや不安や嫌悪や悲しみといったネガティブな感情は悪いものでポジティブが良いものだと勘違いしています。で、それは全部「教育」によるものです。
怒っちゃだめ泣いちゃだめ嫌って言うのはわがまま不安がってないで強くなれ。
いつからこんなふうになっちゃったんでしょうかね。
特に明治以降の富国強兵で資本主義による効率主義が導入されたことと世界の列強国の侵攻で
戦わねばならなくなってからが大きいのだろうな、と思ってます。
感情を自由に表現なんてしてられなくなったってこと。
とにかく右向け右しなきゃ日本が植民地になってしまうから。強くならねば。
だからこ感情に良し悪しを付けざるをえなくなった。
そしてそれは”正しい”こと、だったから。そんで当時からの軍隊教育がまだ、この日本には
続いてる部分ありますよね。とまあこういう話は置いておいて、で、言いたいのは
聞き飽きてきたかもしれないですが「感情に良いも悪いもないんですよ」ということなんです。感情というのは「私を生かし動かすためのエネルギー」です。ネガティブとかポジティブとかそんなの勝手に人間が評価判断してつけだけの意味のないレッテルです。
ネガティブ感情は私を「まもる」エネルギー。
怒りは最前線で私を防御するエネルギーで嫌悪は身体によくないものを避けるエネルギー
恐れや不安は危険から逃げたり、備えたりするためのエネルギー
悲しみは喪失、ショックなど大きな変化を立ち止まり受け止め発散昇華するための緩衝エネルギーです
そしてポジティブ感情は私を「ひろげる」エネルギー。
嬉しい楽しい大好きといった「喜び」の感情は私の可能性をひろげてくれて私が活動する原動力となり他者と喜びを共有することで人のつながりもひろげていく。
危険なときは「まもる」安全なときは「ひろげる」ただ、その出方が違うだけで
どちらも「私を生かすエネルギー」なのです。
だから、ネガティブを否定することは「命への冒涜」ポジティブだけ礼賛することは「命への偏見」なのです。ポジもネガも同じエネルギーで私を生かすもの。
だから宇宙からの「愛」と言ってもいいのだと思います。
良いとか悪いとか意味づけしていること自体が完全なる間違いで
いま、私の力を奪っているのは私が私を愛せないのは「私」が感情を否定しているから、
なのです。怒りや不安に感謝できるようになったら世界への認識が真逆にひっくりかえります。
そして私のすべてが私の味方となって、無敵の人生を歩めるようになりまっせ。
ということを4年前に『赤無敵』には書きました(^ω^)
Facebook小早川 喬さん投稿記事
怖い花だ、と ばあさんに言われた。毒があって縁起悪いと。
だが彼岸花には 曼珠沙華という別名があってこれは天上のありがたい花、とも。
毒もあるが、薬でもあるし、飢餓時の食糧にもなった。
何事にも多面性や相対性ってもんがある。ともあれ何やらとても賢い花だと思う。