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カラスウリ

2024.09.28 09:35

https://www.gakuinkai.com/hakumon43/tearoom/shikinosyokubutu_bn2022.html 【カラスウリ】より

 最近、カラスウリを見かけたことがありますか。我々の小学校時代前後には、周りに川や畑、草地、林等があり、自然環境豊かな世界がありましたが、人口増加等々により、その自然環境も大分変わってしまい、カラスウリもあまり身近には見かけなくなったのではないでしょうか。

 今回は、私の住まいする地域はまだ自然環境が残っており、散策途中に見かけるカラスウリを取り上げてみました。

 カラスウリ(烏瓜、唐朱瓜)は日本の山野に自生するウリ科のつる性多年草。原産地は中国と日本。別名:玉梓(たまずさ)・ツチウリ・キツネノマクラ・ヤマウリ。和名カラスウリ。 山野で見かける多年草なので毎年同じ場所で見かける。つるを伸ばし、周囲の樹木に絡みついて大きくなる。果実は直径5~7cmの卵型形状で、形状は楕円形や丸いものなど様々。はじめは、薄緑色の地に縦縞が入った、小さな西洋スイカを思わせる姿だが(写真①)、10月から11月末に熟し、オレンジ色ないし朱色になり(写真②)、つるからぶら下げるように実らせる。なお実はトマトのようにも見えるが、野生の生き物や虫が食べることはあまりないので、実が腐ってしまい地面に落ちていることも多い。

 カラスウリはこの実が有名で、花はあまり印象に残らないようだ。カラスウリの花は日が暮れると開花し、朝には閉じてしまう一夜花。真白なレースのような不思議な花を咲かせる(写真③)。こうした目立つ花になった理由は、受粉のため夜行性のガを引き寄せるためであると考えられており、その役割を果たすのは大型のスズメガ(写真④)だ。これはカラスウリの花筒は非常に長く、スズメガ級の長い口吻を持ったガでなければ花の奥の蜜には到達することはできず、結果として送粉できないためである。

 カラスウリの種子は長さ約8mm、幅約6.5mmで、黒褐色で風変わりな形が特徴。中心部は盛り上がったように厚みがあり、そこから3方向に突き出した突起がある(写真⑤)。この形状が大黒様のお腹のようで縁起がいいとか、打ち出の小槌のようだからという理由で、お財布に入れておくと金運が上がると言われている。

 また、カラスウリの種子はその形が結び文のようだということで、玉梓(たまずさ)という色っぽい別名もある。(結び文とは、手紙を折りたたんで、アヅサ(梓)の小枝にはさんだもの。「玉」という美称がついて「玉づさ」になった。)その奥ゆかしい別名を知ると、カラウスリがいっそう愛おしく思われるという感慨を、正岡子規はこう詠んでいる。

 道の辺に生ふる烏瓜又の名を 玉づさといふ聞けばゆかしく

 さてここで語源としてのカラスウリだが、同じ仲間の植物のうち、花や実が相対的に大きい種類には「カラス」、これらが小さい種類には「スズメ」の名が付けられることがあるが、「カラスウリ」と「スズメウリ」もその例である。

 カラスウリは前述のように、直径7~10cm程度の花を咲かせ、直径5~7cm程度の実をつける。花は白くレース状で、夏の夜に開花。その後、秋に朱色の実をつける。実が大きいので、遠くからでもよく目立つ。スズメウリ(写真⑥)は直径6mm程度の花を咲かせ、直径1~2cm程度の実をつける。確かに、カラスウリに比べるとかなり小ぶり。花は白色、実ははじめ緑色で、熟すと白っぽい色になる。

 他にも、カラスウリの葉が大きく生育旺盛なので、絡みついた木を枯らしてしまうことから、「枯らす瓜」がカラスウリになったという説もある。さらに、果実の色や形が平安時代に中国(唐)から輸入された染料の「朱」の鉱石(辰砂)を練って固めたものに似ていたので、「唐朱瓜(カラシュウリ)」と呼ばれたとの説もあるが、朱(辰砂)は「魏志倭人伝」に日本で産することが記述されるなど、もともと日本にも産する鉱物であり、中国から輸入されるようになるのは、戦国時代ごろになってからとされる。

 万葉集などには本種の名は登場しないが、平安時代に著された「本草和名」には「加良須宇利(カラスウリ)」と万葉仮名で記載されており、戦国時代より前には、すでにカラスウリと呼ばれていたようだ。

 カラスウリの仲間にキカラスウリ(黄烏瓜)という植物がある。キカラスウリは、カラスウリとよく似た一夜花を咲かせる。花も葉もカラスウリより大きいのでよく観察すれば区別がつく。キカラスウリの実は7~10㎝と大きく、球形または広楕円形で、熟すと黄色く色付くのが特徴(カラスウリの実は赤色、5~7cm程度のたまご型)。キカラスウリの種子は平坦で打ち出の小槌のような形をしていない、金運とは無縁な形状。

 利用としては、中国では医薬原料として活用されており、果実・種子・塊根ともに生薬として利用されて、かつては日本でも、しもやけの薬として実から取れるエキスが使用された。また、カラスウリの根を煎じて、ぜんそく薬にしたり、果汁を手足などのひびに塗ったりするという伝統的民間療法が長野県阿智、喬木村などに残っている。

 カラスウリの根は、地下で球根になっている。これをカラスウリの芋と呼ぶことがある。球根と言ってもチューリップやヒヤシンスの球根のような形状ではなく、蓮根や赤くないサツマイモに似ている。

 懐かしいのは、カラスウリの塊根からは良質のデンプンが採れ、かつては「天花粉」という名前で赤ん坊の肌を守るのに使われていた。そのために、大型で同属のキカラスウリを栽培していたほど。今では、農薬の使用によって受粉を媒介するスズメガが激減した。現在のベビーパウダーは、コーンスターチで作られているそうだ。

 カラスウリの花言葉に「良い便り」があり、結び文(前述)に由来する。また、カラスウリには「男嫌い」という花言葉がついている。夜にひっそりときれいな花を咲かせ、誰にも知られず夜明けには花を終わらせてしまう様子からついた花言葉。カラスウリの特徴的な花の咲き方に由来している変わった花言葉がついている。

 文学面からみると、花が咲き終わると、カラスウリは不思議な行動をとる。それまで上へ上へと伸びていたつるの一部が方向を転じ、地面を目指して急降下していく。地表に着くと、そこから根を伸ばし、新しい塊根を作る。

 岩手県の詩人・童話作家の宮沢賢治は、こうしたカラスウリの性質を、天上と地上、生と死を結ぶ連絡回路と捉えた。有名な「銀河鉄道の夜」では、「星祭り(七夕)」の夜に、子どもたちが「烏瓜のあかり」をこしらえて川へ流しにいく印象的な描写がある。モデルになったのが、8月中旬に盛岡の北上川で行われる「舟っこ流し」。提灯や紙花で飾り火をつけて川に流す、お盆の精霊舟の一種。作中には「青いあかり」という表現もあることから、カラスウリの提灯作りには、熟す前の青い実が使われたことがわかる。

 俳句には、カラスウリを詠んだ句に夜に咲く花の句は見当たらず、ほとんどが赤い実を詠んでいる。

  溝川や水に引かるる烏瓜  (一茶)

  蔓切れてはね上がりたる烏瓜  (高浜虚子)

 余談だが、カラスウリの英語の名前は、Japanese snake gourd(ジャパニーズ・スネーク・ゴード)。英名の由来はわからないが、スネーク・ゴードとは熱帯アジアの国や地域で食用にされるヘビウリという野菜のこと。このヘビウリもカラスウリ属の仲間。ヘビウリの実はヘビのように長く、曲がった奇妙な形状をしていて、花はカラスウリによく似た花を日中に咲かせるそうだ。

 皆様も散策途中にカラスウリを見かけたら、実を分解して、内部の種子を取出し、財布に入れてみてはいかがですか? 私も以前から入れているのですが、支出が多い種子(打出の小槌)を入れてしまったようで収入はさっぱりです。くれぐれも型の良い種子を入れてくださいね!


Facebook「鎌倉手帖2012」ファンページ 投稿記事

からすうり

うずらの卵よりもひとまわり大きなこの実を見つけると、いつも「うわーっ!」と嬉しくなってしまいます^^;

カラスウリを歌った歌を調べてみると・・・

濡れそむる蔓一すぢや鴉瓜   芥川龍之介

堤の木ひょろりと立つなり烏瓜 河東碧梧桐

からす瓜風にふるへば思はれぬ高く尖れる屋根に鳴る鐘 与謝野晶子

ぶら下がってゐる烏瓜二つ 種田山頭火

行く秋のふらさかりけり烏瓜 正岡子規

俳句や和歌は心の動きを表すものだと習ったことがあります。だとしたら、やっぱりみんな烏瓜を見つけた時「うわーっ」ってなるんですね、いろんな方が歌に詠んでいるところをみると^^;


https://miho.opera-noel.net/archives/458【第八十七夜 正木ゆう子の「烏瓜」の句】より

  あっそれはわたしのいのち烏瓜  『静かな水』 

 正木ゆう子(まさき・ゆうこ)は、昭和二十七年(1952)熊本生まれ。一足先に俳人となっていた兄の正木浩一に誘われて同じく能村登四郎に師事し、「沖」の同人。俳論『起きて、立って、寝ること』で俳人協会評論賞受賞。代表句に〈水の地球すこしはなれて春の月〉がある。

 掲句の鑑賞をしてみよう。

 烏瓜は、ウリ科のつる性多年草で木々にからみつきながら上へと育つ。やがて夏の夕方から宵にかけて、糸状に裂けた真っ白なレースのような五弁の花が咲く。庭に植える草花ではないので、野山や雑木林に行かないと出会うことはむつかしい。秋になると、赤い夕日の色をした実をつける。小形のカラスウリを見つけたとき「あっそれはわたしのいのち」と瞬間に捉えた正木の、なんとストレートな表現であろうか。この作品を知って以来、私も烏瓜を見つけるや、まるで自分の分身の「いのち」に出会ったかのように叫んでしまう。

 

 〈蓬食べてすこし蓬になりにけり〉〈着膨れてなんだかめんどりの気分〉など、不思議な身体感覚と詩的感性の豊かな言語感覚の作品は、とても真似をすることなどできない。蓬の句からは、色白の正木の顔がほんの少し薄緑色になったように感じられるし、真冬の吟行先で着膨れた正木に会えば、コートやら毛糸の帽子やらマフラーで完璧な防寒服姿は、ころころした「めんどり」になっているに違いない。

 正木は、「生命と俳句 — 俳句とは何か」と題された文章の中で、「一句一章が切り取る瞬間」という言葉を使っているが、作品は、確かに圧倒的に一句一章が多い。瞬間を切り取ることで存在を顕現させるタイプの句を好むということであろう。さらに「自己が詩となって時を充填できるのは、今の瞬間においてだけであろう。なぜならそこでしか人は時と交差しないからだ」とも言っている。

 

 母を亡くした直後に詠まれた句を、句集『羽羽』の中から紹介する。

  此処すでに母の前世か紫雲英畑  『羽羽』

 正木の眼前に広がっている紫雲英畑は、天上の母から眺めればすでに「前世」の光景である。前世と現世を二重写しにして詠んでいる。父が亡くなり母が亡くなり、兄は早逝している。筆者の私もそうであるが、父が亡くなり母が亡くなって初めて、何もかもが剥がれた素の自分を感じた。