ヨガRYT200⑦ 修了式
とうとうこの時が来てしまった…。身体もきつく、精神的にもだいぶ追い込まれた状況の中で、早く終わってほしいと願っていた自分がいたはずが、修了式までの1週間は寂しさでいっぱいになった。
この講座に申し込むまでに数カ月悩み、最終的に自ら選び飛び込んだにも関わらず、続けていく中で身体はヘトヘトになり、無理!と思うことの連続で何度も「なぜこんなことをしているのだろう?」と思うことが多々あった。ヨガを学んでいると、”自分の内をみつめる”という概念がよく登場する。理屈ではとてもよくわかっているつもりであり、そうした作業は得意な方だとも思っていた。しかし、改めてとことん向き合うということをはじめるとこれが思った以上に辛かった。
そんな中で、ある一つの気づきがあった。それは、「わたしはわたしである」ということ。その「わたし」の中心・核となっているものは、純粋な喜びという気持ちで作られているということだった。このことについて書き出すと、だいぶ長くなりそうなので、それについてはまた次回に……。
しかし、この気づきを得るまでにはとても一人では到達できなかっただろう。一人では諦めていたことも、同じように悩む仲間が周りにはいて、いつの頃からか皆の顔を見ると安心感が生まれるようになっていた。そして、そのことが最後までやりぬく力をくれた。50歳まで生きていると、いつの間にか見えないバリアを自分の周囲にはり、どうにか取り繕う自分がいたが、そんなバリアをはる余裕すらなくなると、それが思った以上に心地よいものだった。
今回の講座では、目に見える成果としてはアーサナ一つ一つの理解や哲学の学びが深まったことがあるが、目に見えないものの方がはるかに大きかった。
・「知識」とは、体験を通し、自ら悩み考えることではじめて真の知識となること
・その知識を言葉や文章で伝えていくことは、難しくも満ち足りた時間であること
・辛く大変な体験ではあったが、結果的にそれが「今」を味わっていると感じたこと
・「わたしはわたし」何者でもない、わたしであるということ。そのわたしを形造っている”喜び”という感情に気がつけたこと
など。まだ整理しきれていないものも多いが、これから先もヨガが傍らにいてくれたら、きっと大丈夫という確信が生まれている。物事をクリアな心でみる術を得た気持ちだ。例え、忘れてしまってもまた思い出せばいい。そして、当たり前のことだが自分の人生は自分が納得できるように生きるしかない。その為にも、自分の足で歩き、感じ、考え、ときどきとまりながら自らを見つめ直しながら生きていきたいと思う。
最後に、純粋に「ヨガが好き」といえる仲間たちと出会え、笑ったり泣いたりした時間が一番の宝モノとなったのは間違いない。辛くて大変だけれど、だからこそおもしろい。数カ月前の受講を悩んでいた私に、「絶対に受けろ!受けなかったら後悔するから!」とはっきりと今は言える。