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山川草木悉有仏性

2024.09.29 05:35

http://tomoko23.blog.fc2.com/blog-entry-442.html 【山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)】より

15年ほど前、故・梅原猛氏の著作「最澄と空海」の中で、「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしつかいじょうぶつ)」という言葉に初めて触れ、それ以来、心を寄せる言葉になっていました。

後で分かったことですが、「山川草木悉皆成仏」「山川草木悉有仏性」という言葉は経典中には見当たらず、伝統的な仏教用語ではなくて、現代になってから盛んに使われるようになったようです。

そして、特に梅原猛氏が「山川草木悉皆成仏」という言葉を好んで使われ、広まったとのこと。

2019年1月に93歳でこの世を去られた哲学者の梅原猛氏は、縄文時代から近世までを視野に収め、文学、歴史、宗教等を包括して、日本文化の深層を解明する「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立てられました。従来の常識や通説を疑い、それを覆す仮説を立てて論じる独自の構想力に対して、世間では異端児と言われ、専門家からはひどくバッシングを受けられました。

が、反面、ファンも多かったと思います。(私もファン)生涯の著作は700近くあるのかな?切れ味鋭く、熱く、全力で駆け抜けていかれたような印象です。

おっと、梅原猛氏についての話ではありませんでした。(^^;

もともと、インドの大乗仏教では成仏できるのは「有情(うじょう)」又は「衆生(しゅじょう)」と呼ばれる「心を持った生き物」すなわち、人間と動物に限るとされていました。

涅槃経の一節に「一切衆生悉有仏性」とあり、ここが出発点かと思われます。

その後、中国の三論宗や華厳宗(日本の奈良時代の南都六宗に含まれる)において、「草木成仏」という思想が生まれ、さらに、中国天台宗において「草木だけでなく塵や石ころまで仏性がある」と進み、日本の天台宗が「木石仏性」→「草木国土悉皆成仏」の思想へと進んでいきました。

全てのものに生命(霊的なもの)が宿るという捉え方は日本人独特の感性、根っこに持っているものだろうと思います。その思想的伝統と、人間中心主義への批判的な意味合いが合わさって「山川草木悉有仏性」「山川草木悉皆成仏」という、経典にのっているわけでもない言葉が仏教の教えとして語られるようになったのかと思っています。

(略)


https://note.com/cos_kyoto_info/n/n503a3b472677 【「アニミズム」の意味について】より

北林 功(Isao Kitabayashi)

「食とアニミズム」を書いている玉利康延さんのFBでの投稿が自分として興味深い学びがあったので、備忘的な意味も含めてこちらに残しておきたい。この特集は人間としての根幹に届くものであり、今を生きる意味を考え直すきっかけとしても全人類に読んでもらいたいと個人的に思う。

(以下、玉利さんの投稿内容)

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食とアニミズムの「アニミズム」について、なにか各方面で勘違いが起きているようなので、ダイジェスト版!

アニミズムとは1万年前に農耕と牧畜が生まれて、それ以降に生まれた多神教のすべてがアニミズムだと思っている。そこをよく誤解されるが、アニミズムとは少数民族に残っている呪術や宗教組織化されていない未開の自然信仰だけだと思っている人が多いのだが、Wikipediaで「アニミズム」と検索すると出てくる内容は、西洋が押しつけた一方的な価値観であり、オリエンタリズムや神秘主義的な価値観の延長で東洋社会、または未開社会を見た定義のまま、19世紀で時間が止まっている。そんなアニミズムなんて、クソくらえと思っている。

僕が思うアニミズムの定義は「アニミズム再考 梅原猛 1989年」に記述されていることが基礎になっている。僕がこれまで過去10年ちょっと日本のあっちこっちで見聞きしてきたことの整理が001 002 003 004に書いてあり、その体験を元に改めてアニミズムとはなにかを科学的に考えた場合の定義は梅原論とほぼ符合したからである。

『アニミズムとは一体何か。アニミズムとは、動物あるいは植物、あるいは無機物にも人類と共通の霊が存在し、その霊によって、全ての生けるものは生きるものになるという思想であると言えよう。(梅原猛)』

日本の神道も、日本の仏教も明確にアニミズムだし、中国の道教も儒教も、インドで生まれた全ての宗教も、アメリカ原住民の文明の全てもアニミズムだと思う。アブラハムの宗教と呼ばれるユダヤ教・キリスト教・イスラム教以外は、ほぼアニミズムだ。それは多神教のすべてがアニミズムから始まったからであり、アニミズムは今から1万年前に、農耕と畜産が始まった瞬間に同時に生まれた。それを007で書いている。

神と、農耕はセットで産まれ、農耕以前の狩猟採集と呪術の時代には、神の概念がそもそも存在しない。人間はまだ神を認知することができなかったからである。農耕が生まれ、食べものが東西に伝播していく。なので食べものの伝播ルートを辿っていくと、その足跡が自然と浮かび上がってくる。それを005 006 008 009で書いている。

ユダヤの神ですら、嵐をモチーフにして生まれているから唯一神を崇めていても、その唯一のものは嵐だっていうなら、自然信奉じゃないかと思う。気候風土によって生まれたという点では自然の元で誕生しているけれど、一神教が、すべての自然は人間より下、と定義したあたりから、一神教の一神教たる意味が始まり、アニミズムからは遠くかけ離れていく。これを、気候学者の鈴木秀夫は「砂漠の思想・森林の思想」と題して出版した。

アニミズムとは基本的に自然を信奉することだから「作物を大きくしてくれる神様が太陽にはいるようだ」とか「作物を大きく育ててくれる大地は地母神が住んでいて、母親のようだ」という認知を人間ができるようになったのが原始アニミズムである。じゃあ、その神様に名前をつけよう。ギリシャ神話では地母神はアテーナーと呼ばれ、日本の古神道ではイザナミって呼ばれた。神は時代時代によって徐々に変容していく。

自然現象に応じて、八百万に沢山生まれた神が徐々に脱落していったのがエジプトだった。具体的に言うと気候変動が原因で、エジプトが砂漠化するプロセスの中で神々は脱落してゆく。エジプトはかつて緑が豊かな土地だった。それがだんだん乾燥化していくなかで、○○の神が脱落した、というふうに、森林が減ってゆくたびに、神も減っていった。その最終的な局面で、紀元前1368年に、最後に太陽だけが残り、アテン神信仰という唯一神が生まれた。生まれたと言っても、当時のファラオ・アクエンアテンが政治的に必要に応じて「神は一つ!」と言い切ったことに由来しているのだが。その概念をそのまま模したのがユダヤ教のはじまりである。という話が007に書いてある。

僕はこれを、世界の食文化を紐解くかたちで、科学的に整理していきたいと思ったので、現在009香辛料まで書いたところである。いきなり009から読んだりすると、アニミズムとかぜんぜん関係無いじゃん。って思われているかもしれない。いやでもそれWikipediaに書いてある定義とは違うんです。最初からちゃんと読んでますか?001から順番に読んでいかないと繋がらないように書いてしまっている気がしてきた。やっぱり本にしなきゃダメか。

食とアニミズム

スーパーマーケットで手に入る食べ物で肉体を維持することはできるけれど、魂を維持することは難しいと常々思ってきた。その繋がり